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「唾吐き」から考える民族の深層心理 ―― 日本と西欧の空間に対する意識の違い / 模倣を超えた理解のために

  • 2025年10月14日
  • 歴史
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「今日からナ・リーグの優勝決定シリーズが始まります」

女性

「ドジャースには、頑張って欲しいと思っていますが、相手は強いのでしょ?」

「難敵であることは確かです。相手のブルワーズは今季のメジャー最高勝率を誇るチームです」

女性

「かなり強い相手なんですね」

「得点力はドジャースが1位で825です。ブルワーズは機動力を生かして2位の806なので、ほぼ互角です」

女性

「何試合するのですか?」

「7試合制なので、先に4勝した方がナ・リーグの優勝となります。そして、ワールド・シリースに駒を進めます」

女性

「大谷選手を始め多くの日本人選手が活躍しているので大リーグの試合を観ることが増えたのですが、気になることがあります」

「何ですか?」

女性

「外国の選手は、どうしてあんなにツバをよく吐くのですか?」

「気になります?」

女性

「とっても。あと、不思議なのは、野球選手はツバを吐くけど、外国のテニス選手はツバを吐かないですよね」

「コートは聖地という感覚があるのだと思います。小さな疑問を大切にして、今回はその辺りのことについての話題を送りたいと思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「ディリースポーツ」提供です」

 存在を可視化する文化――不安定な境界が生んだ自己主張

唾を吐くという行為は、一見すれば単なる癖や無作法のように見えます。しかし、そこには民族の深層心理が宿っているのです

ヨーロッパの歴史を振り返れば、国境は常に変動し、宗教や言語の違いによって人々は絶えず他者と境を争ってきました。土地への帰属は流動的であり、個人の「ここにいる」という存在確認は、内面ではなく行為によって示すほかなかったのです。唾吐きは、そうした「存在の痕跡」を外界に刻み付ける象徴的行動だったのです。

農耕民族が定住と共同体の安定の中で「和」を重んじてきたのに対し、遊牧や狩猟を基盤とする社会では、自己の領域を示すことが生存の条件でした空間は共有ではなく、奪い取るもの、守るものでした。したがって「唾を吐く」という行為は、他者との距離を保ち、場を支配する無意識的マーキングの名残とも言えます。近代化によって都市が整備されても、この「外に示す文化」は行動の奥に残り続けました。唾吐きは自己の存在の表明――そのような空間意識に基づい行動なのです。

(「illust STAMPO」)

 共同体の清浄観――農耕社会における空間の共有と秩序

これに対し、日本をはじめとする農耕民族の社会は、空間を共有し、整然と耕し、共に生きることによって存続してきました。

土地は共同体の生命線であり、穢(けが)れを嫌い、秩序を守ることが生活の根本原理でした。唾を吐くことは、場を汚す行為であると同時に、他者との調和を乱す行為です。だから、唾は吐くものではなく、飲み込めと幼き頃より躾けられました。唾を飲み込むという日本人の習慣は単なる我慢ではなく、空間の清浄を保ち、共同体の調和を守るための自然な倫理なのです。

日本では、空間それ自体に霊性が宿ると考えられてきました。神社仏閣に限らず、茶室や道端の祠(ほこら)にも清浄の「気」が存在し、人はその前で身を慎みます。つまり、日本的空間観とは「全ての場に聖性が内在する」という一元的世界観であり、聖と俗を峻別する必要がありません。ここに、欧米の「区別による秩序」と日本の「調和による秩序」の違いがあります。唾を吐くか、飲み込むか。その小さな行動の違いの背後には、空間の捉え方そのものに対する見方・感覚の違いが横たわっているのです。

 (「@DIME アットダイム」)

 聖と俗の二元世界――球場とテニスコートにみる態度の変容

しかし、欧米人がどの空間でも同じように振る舞うわけではありません。たとえば、野球場やサッカー場では唾を吐き、テニスコートでは決してそうはしません。これは単なるマナーの問題ではなく、空間に対する意識の違いを示しています。球場はもともと労働者階級の闘技場であり、泥と汗と唾が混じる「俗」の象徴でした。肉体的闘争が価値とされる場では、唾吐きはむしろ「戦う身体の証」として容認されてきたのです。

一方、テニスコートは貴族の庭園から発祥した「聖」の空間であり、秩序と静謐(せいひつ)が重んじられます。白いウェア、無言の礼節、整えられた芝――そこでは身体を超えた美と形式が求められ、唾を吐くことは場を穢す冒涜行為とされます。つまり欧米人の世界観では、「聖」と「俗」がはっきりと分かれており、行動の可否は空間の属性によって決まっているのです。

日本人はこの外見的マナーのみを模倣して、「あの場では吐かない」「この場では吐く」と形式を真似ますが、その背後にある二元的世界観を理解することが肝要です。外形を追うのではなく、行動を生む精神の層にまで踏み込むこと。それが文明を真に理解することだと思います。

(「チラックス研究所」)

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