「梅雨が長引いていますよね」
「今日から連休ですが、天気も全国的に芳しくないようです」
「Go To キャンペーンも今日からです」
「そちらの評判も芳しくないようです」
「思い付き、行き当たりばったりではダメだと思います」
「どうしたのですか? 口調が厳しいですよ」
「だって、聞いて下さいよ。急に東京を除くということを言われたので、キャンセルをしたのです」
「そうだったのですか……」
「子供が、今年は夏休みが2週間くらいしかない、と言うものですから、じゃあ連休中に家族で近場の熱海にでも、と思ったのです。運が良ければ海水浴も考えたのです」
「なるほど、温泉と海水浴、いいプランだったのですね。天気が悪いと言っていますので、却って良かったのではないですか?」
「あのを……。全然、慰めになっていないんですけど……」
「すいません、失礼しました。だけど、そうやって家族旅行を計画できる幸せを感じることも大事だと思います」
「切り返しが上手いですね。まあ、確かにそうですね。九州は大変な豪雨被害でしたからね」
「そうですね、特に熊本県の球磨川の氾濫被害は凄まじかったですね」
「やはり、異常気象ということでしょうか?」
「球磨川の場合は、それだけではないと思います」
「ここからが本論です ↓」
地球温暖化が九州豪雨と長梅雨をもたらしている
鹿児島県の奄美地方が7月20日に梅雨明けとなりました。これは、1951(昭和26)年の統計開始以来、最も遅い梅雨明けだそうです。そして、現時点においても日本全国の梅雨明けの見通しは立っていないし、今年の梅雨明けが遅れるだろうということです。
九州地方の豪雨は、梅雨前線が停滞し、そこに大量の水蒸気が流れ込んだことによって起こったということです。その大量の水蒸気は、2年前の西日本豪雨の3倍以上と名古屋大の坪木和久教授は言います(『日経』2020.7.21日付)。遠因としては、インド洋付近の海面水温の上昇があるということです。根底には、地球温暖化の影響があるということなのです。
そのような気圧配置の構造的な原因で起きていますので、来年以降も今年のような豪雨災害が起こる可能性が大いにあるということです。
「暴れ川」球磨川の氾濫は予想されたこと
今年は熊本県の球磨川の氾濫が多くの被害を与えました。ただ、球磨川というのは、「日本三大急流」の一つです。過去400年間に100回以上も洪水を繰り返してきた、「暴れ川」として有名な川だったのです。
水は時として牙を剥きます。その時のことを想定して、平時にいかに対策を立てるか、そこが統治者の腕の見せ所です。いざという時に、見事に被害がなく治めることが出来れば、お見事と言われて拍手喝采を浴びることも出来ます。
球磨川にちなんだ加藤清正公のエピソードがあります。地元の熊本では「せいしょこさん」と呼ばれ大変親しまれているのですが、「治水の神様」として力を発揮した人でもあったのです。そして、農林水産省のホームページには、清正を「熊本城の築城をはじめ、河川の利水・治水や干拓に着手し、かつて荒廃していた国土を、優れた技術で生産基盤整備を強力に推進し、農業生産力の増大によって藩の経済的安定基盤」を図ったと紹介しています。
その加藤清正が治水を諦めたと言われているのが、球磨川なのです。清正が肥後の南端の小藩の相良藩を攻め落とそうとしていた時です。球磨川沿いの大きな岩、現在、「清正公岩」と呼ばれている巨岩に差し掛かった時、そこから険しい山々を縫うように流れる激流を見て、「この岩より先は相良にくれてやる」と言って引き返したそうです。
並大抵の治水事業ではないことを一瞬で見抜いたのです。その眼力通り、球磨川の治水は戦後の20世紀になっても二転三転、結局殆ど有効的な治水事業が成されないままここまで来て、先日の大きな被害に遭ってしまったということです。
「ダムなし治水」の実験県となった熊本県
国は、球磨川の支流の川辺川ダムの計画を1966(昭和41)年に発表しています。
当初は1976年の完成を目指していたのですが、地元の反対などで工事が進まず、事業変更を繰り返し、2008年になっても本体工事を着手できない状態だったのです。一向に着手できないダム事業の代名詞として「東の八ツ場、西の川辺川」と呼ばれるようになります。
そして、ついに2008年に浦島郁夫熊本県知事がダム建設の白紙撤回を国に要求します。その翌年の2009年に民主党が政権をとり、彼らのマニュフェストに「八ツ場ダムと川辺川ダムの建設中止」と書かれていたこともあり、民主党政権の時の2009年に前原国土交通相(当時)の時に中止が表明されたのです。
球磨川は過去にも度々水害を発生させてきましたが、今回の豪雨被害は戦後最大の被害となるだろうと言われています。
詳しい数字は現在において分かっていませんが、相当な被害額が予想されます。蒲島知事は「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった。非常に悔やまれる」(『産経』2020.7.8日付)とのコメントを発表しています。
ダム反対の論拠は自然破壊
球磨川は全長115キロの1級河川です。流域の年間平均雨量は全国平均の約1.6倍の2800ミリです。本流と支流の合流にあたるところに位置しているのが、今回甚大な被害が出た人吉市と球磨村渡地区です。
同じような水害は1965年に起こり、翌年の66年に川辺川ダムの計画が発表されました。その直後から、自然破壊、水没の村が出るという理由で反対運動が起こります。ただ、ここまでは、よくあるパターンです。ここからが、行政の腕の見せどころなのですが、結局反対者を説き伏せることができずに事業を中止してしまいます。
ダムは自然を破壊する、というスローガンが掲げられることが多いのですが、もともと人間の文明自体が自然破壊の産物です。現に、人間が生きるために、多くの動物と植物の命を頂いています。自然を守れと言って、全く手つかずにして文明社会を維持することは不可能なので、ダムだけを目の敵にしても何の意味もありません。
もちろん、ダムさえ作れば後は何もしなくても大丈夫といった「ダム万能論」を言うつもりもありません。
1級河川のような大きな川を治めるためには、上流から下流の流域住民の考えを合わせて、お互い協力しないと上手くいきません。霞提(かすみてい)という自然に優しいものを設置するにしても、豪雨のたびに、その地域だけが被害に遭うとなると、当然不公平感も出てきます。
戦国時代は、治水事業が上手くできれば名将と言われました。つまり、自然をどのように捉え、人をどのように動かし、城下の町のビジョンをどのように描くかというところまで考えていないと上手くいかないからです。
単に治水事業と考えないで、地域統合の事業と考え、流域住民の合意を形成する中で、一つのコミュニティをつくるつもりで、自治体はリーダーシップを発揮し、各種団体と連携して動いて欲しいと思います。
人が動けば、そこに一つの文化が生まれることもあります。要は、発想の転換が必要ということです。
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