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日本の大学教育が直面する本質的転換点 —— 戦後から現在へ、そして未来へ / 東大新構想から見えてくる課題

女性

「世界大学ランキングなんていうのが、あるのですね」

「初めて知ったような口ぶりですが、かなり前からありますよ。毎年、発表されています」

女性

「そうなんですか。今まで関心がなかったので、見逃していたのかもしれませんね」

「お子さんのことを考えているのですか? 日本の大学は、総じてそんなに高くありません。東大でも30位くらいだと思います」

女性

「2025世界ランキングによると、28位です。2024年が29位なので、1ランクアップしています」

「京大が55位ですから、ベスト50位の中に日本は1校しか入っていません」

女性

「中国がベスト20位の中に2校も入っています。日本の大学のランキングが低いのは、何故ですか?」

「一言で言えば、制度設計をするべき人たちが、大学のあるべき姿の青写真を描けないからです」

女性

「制度設計をするべき人、というのは?」

「大学で言えば、学長クラスの人。あと、文科省の事務次官クラスの人です」

女性

「大学改革という言葉は、私の学生時代からありましたけど……」

「ずっと言ってますよ(笑)。日本人は制度設計が苦手な民族なのです。いつまで経っても、きちんと出来ないだろうと思っています」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「早稲田大学」提供です」

 戦後から続く大学改革の空転と歴史的背景

大学改革という言葉が叫ばれるようになって、すでに半世紀以上が経過しているのではないでしょうか。「象牙の塔」であってはならない、市場原理や競争原理を導入すべきだという声もありました。机上の学問ばかりでなく、実用性も重視せよという要請もありました。しかし、さまざまな要求が飛び交う中、実際には目に見えるような改革はほとんど進みませんでした。そもそも、どの方向に改革すべきなのかを定めるには、戦後の大学を取り巻く歴史を知ることが重要です。

戦後、連合国総司令部(GHQ)は、日本の教育制度を抜本的に改革しました。おそらく、米国型の民主主義国家に日本を再構築し、それが最終的には世界平和につながると考えたのでしょう。国民学校、高等女学校、師範学校、陸軍大学などは廃止され、小・中・高・大の単線型「6・3・3・4制」が導入されました。しかし、小・中・高校と比べて、大学はさほど大きな改革を受けませんでした。その時点ではまだ進学率が低く、大きく手を加える必要がないと判断されたのだと考えられます。

戦前のエリート教育を担った旧制高校の多くは、そのまま国立大学となり、教員も大学教授として移行しました。看板こそ変わったものの、エリート養成や教養重視といった精神・文化はそのまま残されました。また、師範学校や専門学校を統合して教育学部がつくられ、これを「ポツダム学部」と揶揄する声もありました。こうして、かつての師範学校の教員も大学教授となり、進学者の増加とともに、大学と教授の「インフレ」が進みました。こういったことが、大学改革の必要性が叫ばれる要因だったのです。

(「jp.pinterest.com」)

 東大新学部「カレッジ・オブ・デザイン」の意義と課題

東京大学は2025年4月4日、文理融合型で5年間一貫教育を行う新学部を、2027年9月に創設すると発表しました。定員は100名で、そのうち半数程度を留学生とする予定で、世界中から優秀な学生を集める構想です。東大にとっては約70年ぶりとなる新学部の設置であり、「東大の教育力の浮沈を左右するプロジェクト」(『日経』2025年4月5日)とされています。学部長にはマイルス・ペニントン教授が就任する予定で、東大開学以来、初の外国人学部長となります。

5年間一貫制としたのは、学部と修士課程を一体化して修了できるようにしたためです。1年次は全寮制で、国際理解と国際交流を図る方針です。寮の設備や管理体制など、実際の運営面も注目されるところです。また、留学生の受け入れを見据えて入学時期を秋に設定し、講義はすべて英語で行うとしています。ただし、国際交流を標榜するのであれば、英語に限定する必要はないのではないかと思われます。入学も春と秋の2期制とすれば、より柔軟な対応が可能です。単位制を活用すれば、半年程度のずれであれば十分に補えるはずです。何もかもを海外に合わせる必要はないでしょう。

新課程の名称は「カレッジ・オブ・デザイン」とされていますが、これは学部の一つという扱いです。その内容を見ると、比較的クローズドな学部設計に見えます。しかし東大は総合大学ですから、新課程の学生にも文理の枠にとらわれず自由にカリキュラムを選択できるようにすれば良いだけだと思います。

(「読売新聞オンライン」)

 文理融合の前に考えるべき文系教育の再構築

文系の学問は「人文系」とも呼ばれ、人間が創り出した事象を対象としています。一方、理系は自然科学が対象であり、大自然の法則や構造を解き明かすことが主眼です。ゆえに、両者では学問の方法論が大きく異なります。たとえば、理系では分析が非常に有効な手段ですが、文系学問においては分析し過ぎることでかえって理解を阻害することがあります。文系では、むしろ総合的・俯瞰的な視点から研究を進めた方が、本質的理解につながることが多いのです。そうした背景からも、「文理融合型」よりは、まず「文系融合型」を目指すべきではないかと考えます

また、文系学部では専攻と就職先が直結していないケースが多く見られます。たとえば、文学部を卒業して金融業界に就職するのは決して珍しくありませんし、東大法学部卒業生が財務省に入省するのも一般的です。とはいえ、これでは大学で学んだことの意義が不明確になりかねません。法学、経済学、社会学、文学、歴史学、教育学といった学問を融合させた新たな文系学部の創設が、まず求められているのではないでしょうか。

さらに懸念されるのが、日本の歴史教育の状況です。中学校では一応、現代までの教科書が配布されていますが、授業で最後まで到達することはまれです。高校では日本史は選択制であり、大学ではまったく学ばない学生も少なくありません。つまり、日本に住みながら、日本の通史を知らないまま社会に出ていく若者が多いのが現状です。これは大きな問題です。現在、大学での歴史教育の扱いは軽視されており、史学科として細分化されていますが、「歴史学部」として格上げした上で、法学や経済学を学ぶことができるようにすべき時期に来ています。

(「日本経済新聞」)

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