「今日は夢の話をしましょうか」
「どうしたのですか? 何かありましたか?」
「先日、リアリティ溢れる夢を久々に見てしまったので、たまには浮き世を離れた話題をと思いましてね」
「差支えなければ、内容を教えて下さい」
「長編ストーリーなんですが、かいつまんで言うと、場所は名古屋の実家で寝ているところから始まります。郵便屋が速達を配達してきて、それを何故か私の息子が受け取ります。母親、つまり私の女房が死んでしまったという内容です」
「いやだ、怖い夢じゃない」
「死因は貧血で意識を車の中でなくして、そのままの状態だったらしいということ。それでお葬式を出さなければいけないということになって、名古屋から東京まで運ばなければいけないという話になる。ここで、亡き父親と母親が登場する。夢の中ですが、頭の中は葬儀の事やら、今後の自分の生活をどうするかで混乱状態です」
「家族揃って名古屋にいることには、疑問を感じないのですね」
「葬儀の仕方を決めなければいけないという話になって、家族葬で良いのではと私が言うと、母親が知り合いが多いので、そういう訳にはいかないだろうと言う。とにかく、まだ本人と会っていないので、亡骸がある場所に移動することになります」
「確かに、長い話ですね」
「亡骸と面会します。顔に銀色の粉がまぶされて横たわっている本人と対面します。じっと見ていると,かすかに動くのです。動いたよ、今、と言っていると、母親が触ろうとするので、触っちゃあだめでしょと言っているのに、また触ろうとします。ダメ、ダメと言っているうちに目が覚めて、何だ夢だったのかと思ったという話です」
「今日は、スピリチュアル的な話題を提供したいと思います。ここからが本論です ↓」
夢そのものを科学的に解明する時代の到来
我々の身近にあって、現代人の殆どの人が気にも留めないものが「夢」です。考えてみれば、不思議な現象だと思いますが、ここに学問の光を当てようとしたのがフロイトやユングといった心理学者です。彼らは深層心理の働きによって夢を見るのだから、その夢を通して人の無意識の世界を解明すれば、本人も把握できていない自分の姿や性質を把握することができるのではないかと考えたのです。ただ、彼らの捉え方は、あくまでも夢は人間の心(心理)を探るための一つの手段であり、材料に過ぎなかったのです。
「夢」と言っても、その印象の濃淡はまちまちです。2人の会話にあるように、いつまでも鮮明な記憶として残るものもあれば、起きた瞬間に忘れてしまうものもあります。また、殆ど1場面だけがフラッシュバックのように出ることもあります。寝ている本人の夢への関わり方も様々です。思ったり、悩んだり、考えたりすることもできます。ただ、不思議なのは、夢の中の当人は考えているのだから、そこに亡くなった父と母がいることのおかしさに気付くはずなのですが、気付かないのです。当たり前のように、2人を「生きたまま」受け入れてしまっています。
「夢は第二の人生」と言ったのは、19世紀のフランスの詩人ネルヴァルです。さしあたり、第二の人生の中では、父と母は単純に健在だということでしょうか。そして、そこでの父は生前の父とは少し違います。外見は合っているのですが、どこか間が抜けたとぼけた感じの人になっています。その時も、私のカバンを間違えて自分の背中に掛けていたのです。
そういったことを含めて、夢そのものを正面から科学的に解明する時期に来たと思っています。
古代人は夢を通してカミと対話していた
「どうして人は夢を見るのか」と、古代の人たちも当然不思議に思っていたことは確かです。そして、彼らは「夢は人間が神々と交わる回路であり、そこにあらわれるのは他界からの信号だと考えていた」(西郷信綱『古代人と夢』平凡社新書、1972年/22ページ)のです。確かに、日本には「夢のお告げ」という言葉がありますし、法隆寺に夢殿という建築物もあります。
なぜ、夢殿という名称なのかということの理由は、明確ではないとのことです。そこで西郷信綱氏は、「聖徳太子が夢を見るための聖所を祈念したもの」(同前、36ページ)という仮説を立てています。
夢を見ることによって、カミのご請託を聞く、そのためには沐浴や断食などをして、最後は白装束を着て厳かな気持ちで夢殿に入ったのではないかと言うのです。確かに、太子の時代は蘇我氏、物部氏の有力豪族の上に朝廷が乗っかっているような不安定な政権です。天皇ではなく、大王(おおきみ)と言われた時代です。大王の呼び名があるということは、各地に中王、小王がいるということでしょう。
悩み多き時代だったと思います。皇室の在り方とともに、自身のあり様、さらには立ち位置をどうすればいいのか、有力豪族たちと、どのように接していけば良いのか、藁をもすがる気持ちで夢殿に入ったのかもしれません。
(「平凡社」)
『古事記』神話は、「夢」を文章化したもの
『今昔物語』には、夢殿の話が出て来ます。その中には、「太子ノ夢殿ニ入リて七日七夜出デ給ハザリシハ然也ケリ、ト知ル」という一節があります。丸1週間、食事を断って籠っていたと書かれています。
そういう記述が残っているので、古代の先人がいかに夢を大切にし、夢を求めていたのかが分かります。『古事記』の中の非現実的な記述の数々は、夢の内容と関係が深いだろうと思っています。
同時期に『日本書紀』が日本の正史として出されます。どうして『古事記』を出す必要があったのか、と言う人がいますが、唯物論的に考えてはいけないということだと思います。古代の先人たちは、現実の対応とカミへの対応、2つをセットに考えていたと思うからです。それが証拠に、天皇家が主宰しての宮中祭祀(さいし)は、古代から現在まで連綿と続いています。皇居宮中三殿では、天皇陛下が祭祀を行っています。年間約20件近くの祭儀が行われています。
現実の外交といっても対中国ですが、そこと国内向けの正史は『日本書紀』であり、『古事記』は皇統の正統性について、史実にカミからのメッセージを入れながら編集したのです。カミからのメッセージをどのように受け止めたのかということですが、「夢」として受け取ったのではないかと考えています。
『古事記』の中には、突拍子もない話がいくつか出て来ます。ただ、それも「夢」の中の映像を文章化したものだと考えれば、合点がいくと思います。そして、その内容については、純粋に夢だけを入れたのではなく、日本の国家が永続するように秘密のメッセージを話の中に盛り込んだのです。そのことについては、機会があれば書きたいと思います。
21世紀の時代となり、大局観のない政治が行われています。この調子だと、早晩日本にとって様々な危機が波状的に襲ってくると思います。そういう時は『古事記』に組み込まれたメッセージを読み解いて、日本の再興に役立てて欲しいと思っています。
(「こくちーずプロ」)
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