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「多様性」(ダイバーシティ / Diversity) の本家本元は日本 ―― 「多様性」が便宜的に使われている現状を憂う

「ダイバーシティという言葉が流行っています。日本語に直すと、多様性ということでしょうか? あなたは、確か英文科でしたよね?」

女性

「そういう時だけ英文科を言わないで下さい。それで良いと思います。その多様性という言葉に、どういう問題意識をもっているのですか?」

「最近特に、何かの主張の根拠として、この「多様性」が使われる傾向があるのです」

女性

「考えて見れば、便利な言葉ですものね」

「そうですね、何でも使えるオールマィティの言葉ですね。だから、余り野放図になるといけないのではないかと思っています」

女性

「ということは、規制をかけたいということですか?」

「規制ではなく、どういう場面で「多様性」が許され、逆に許されないのはどのような場面なのかをルール化をした方が良いだろうと思っています」

女性

「成る程、現在一番気になるのは、どのような点ですか?」

「「多様性」が一番求められるのは、文化、芸術、教育、スポーツといった分野ですが、気を付けなければいけないのは、どのジャンルにおいても原理、原則があるということです」

女性

「それは分かります。「多様性」という名の、何でもありでは、滅茶苦茶になってしまいますからね」

「あと、「多様性」の許容度というのがあると思っています」

女性

「それは何ですか?」

「「多様性」が推奨される分野と、そうではない分野が当然あるだろうということです」

女性

「狭い範囲でしか認められないものは、例えば何ですか?」

「「権力がらみ」の分野については、「多様性」という言葉はそぐわないのではないかと思っています」

女性

「具体的に言うと、どのような場面でしょうか?」

「政治の場面なんかは、「多様性」という言葉は禁句にした方が良いと思います。何でもありとなって混乱の元になるからです」

女性

「ここからが本論です ↓」

 「多様性」オンパレードの状況

政党は一つの綱領、理念、政策によって党員どうしが結ばれた上で作られた組織である以上、党内で様々な立場の意見を「多様性」として認めれば、時には政党そのものが瓦解します。そういった危険性がある概念であるにも関わらず、政党関係者の言動を見てみると、この間、乱発しています。

 

自民党 (日本学術会議の任命拒否をめぐって)民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りがみられることも踏まえて、多様性が確保されることを念頭に、任命権者として判断を行った
立憲民主党 党内に多様性があることはすばらしいこと。それが強みになる政党を目指したい。
国民民主党 我が党の最大の強みは多様性です。特に、15人の国会議員のうち5人が女性です。
日本共産党 (野党連合について)多様性の統一、ユニティ・イン・ダイバーシティが一番強い。

(「多様性神話にとりつかれた日本社会」八重山日報、2020.11.9日付の記事を元に作成)

このところの日本の社会は『多様性ファシズム』に傾斜しつつあるのではないだろうか。多様性を錦の御旗に社会改革を推進する動きにブレーキをかけようとする言説は、袋だたきにあってしまう」(同上)と指摘しています。

 上の表を見ると、「多様性」が便宜的に使われていることが分かります。政党人は曖昧模糊(あいまいもこ)とした言葉を使わず、なるべく具体的に事実に基づいて説明する責任があることを自覚して欲しいと思います。

まず、自民党ですが、「多様性」を使って任命拒否の理由をぼかしています。学術会議は政府機関でありメンバーは準公務員なので総理大臣が任命権者です。当然、何か問題があれば任命しないこともありですが、前例のない6人の任命拒否ですのでもう少し分かりやすい言葉を使う必要があります。

立憲民主党の「多様性」は意味不明です。勝手に使って自画自賛しています。国民民主党は単純に女性がいることを「多様性」と言っていますが、違うと思います。共産党は革命政党なので、彼らの狙いは革命しかありません。そこにもっていくために、ありとあらゆる言葉を武器のように使う政党です。だから、本気で言っている訳ではありません。「多様性の統一」というならば、与野党連合を提唱すれば良いと思うのですが、階級史観のため、それを言うことはしません。

 

 アメリカの「多様性」は白人優位の社会を作ってしまった一つの反省として起きたもの

アメリカの証券取引所のナスダックが米国上場企業に対して、黒人など人種的マイノリティー(少数派)やLGBT(性的少数派)、女性の取締役登用を義務付けるという、上場ルールの改定を行うことを昨日(8/6)行いました――「ナスダック上場企業は今後、役員の多様性について情報開示が求められる。さらに女性とマイノリティーから1人ずつ取締役を選任しなければならない」。力づくで「多様性」を実現しようとしていますが、それだけ逆に何か危機意識のようなものがあるのかもしれません。

 「宝物は常に海の向こうからやって来る」と思っている日本人なので、このアメリカの措置を日本でも採り入れようとする動きが必ず出てくると思います。ただ、アメリカと日本は歴史も伝統や文化が違いますので、そのまま採り入れるのは危険です。

アメリカのそのような動きは、白人優位の社会を作ってしまった一つの反省として起きているものです。黒人が奴隷として使われ、その後奴隷解放宣言(1863年)が出たのですが、人々の心の中に根付いた差別感はなかなか消えることがなく、現在もくすぶっていて、何かの事件をきっかけに燃え上がるような状況です。真の融和社会の実現のために必要と考えた今回の措置だと思っています。

(「NHK」)

 「多様性」の本家本元は日本にあり

日本に住んでいた人たちは自然豊かな列島の中で、農業と漁業を営みながら狭い農地を地域の人たちと共同で守るという生活を何万年もの間続けて来た歴史をもっています。アメリカの歴史は征服、差別から始まっていますが、日本の歴史は共生から始まっています

日本人は自然のもつ多様性に驚きのまなざしを向けてきましたその痕跡はいろいろなところに発見することが出来ますが、例えば、虫の声を日本人は楽しむという感覚をもっています。日本の子供は昆虫採集をするとアメリカ人に言ったら、「どうしてそんなことをするのか」と驚かれたという話も伝わってきています。「虫が好きな民族は世界でもギリシア人と日本人だけだ」と言われているそうです。ラフカディオ・ハーンが蝉や虫の声が入った日本映画を欧米で公開しようとしたところ、「ノイズが入っている」と言われそれを除去しようとした音響担当者がいたというエピソードもあります。


薬師寺宮大工棟梁であった西岡常一氏が『木に学べ』(小学館文庫、2003年)という著書を書き遺しています。その中で、何故法隆寺は1350年もの長い間、その威容を保つことができたのか、その理由を書いています――「人間の魂と自然を見事に合作させた」(同上72ページ)。具体的に言うと、木は同じように見えて、全部違うので、その木の特徴を捉えて建物のどこに使うかを決めるそうです。当然そこには木を見抜く人間の力が必要です。適材適所という言葉は、そういった建築畑の人たちから出てきた言葉ではないでしょうか。柱に使う木、梁(はり)として使う木、大黒柱として使う木、それぞれの役割があるそうです。そして、中には曲がりくねったくせ木もあるそうです。それらを上手く使えば、建物は強固になるそうです。人間の社会や組織と同じかもしれません

揃えてしまうということは、きれいかもしれませんが、無理を強いることですな。木には強いのも弱いのもあります。それを同じように考えている。昔の人は木の強いやつ、弱いやつをちゃんと考えて、それによって形を変え、使う場所を考えていたんです」(同上82ページ)。多様性の考え方は、日本に於いてはすでに古代の時代からあったのです。そして、一番分かりやすい例が日本の石垣です。同じような形でありながら、全く同じものはありません。上手く組み合わせてできた強固な石垣が全国各地にあります。あれが、多様性の具体的な良き見本です外国から学ぶのではなく、日本の歴史から多様性を学んで欲しいと思います。

禅の言葉に「看脚下」という言葉があります。遠くを見ないで足元を見ろ、自分を見つめろという教えです。今の日本に必要なアドバイスだと思っています。

(「よりみち」/江戸城 )

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