「夏が来て、終戦記念日が近づくと、不思議なことに大東亜戦争の話題が出てきます」
「確か、昨夏も大東亜戦争を話題にしたと思います」
「我々の親の世代で止まったはずの言葉ですが、何とか言葉として受け継いでほしいと思っている人がいることは確かです」
「その点は、どのようにお考えですか?」
「考えを述べる前に事の経過を1941年の12月8日に真珠湾攻撃によって日米開戦の火ぶたが切られました。その時に、この戦争の名称が議論されたのです」
「そこで大東亜戦争という名称が出て来たのですね」
「出たことは確かですが、海軍は反対して太平洋戦争という別の名称を提案してきたのです」
「海軍と陸軍が、その時点で仲間割れしていたのですね」
「その事例が象徴的ですが、海軍と陸軍はお互い背中を向けて戦うことになります」
「それでは当然勝てっこないですよね」
「そうですね、陸軍と海軍が同じ方向を向いて短期決戦で、途中で講和に持ち込むというのが国力を考えたらとるべき戦略だったと思います」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「『新』経世済民新聞」提供です 」
大東亜会議―—タイミングが遅すぎる
2人の会話のように、12月8日の会議では決まらなかったものの、12日の閣議で「大東亜戦争」と呼ぶと決定されています。さらに、1943(昭和18)年11月に当時のアジア7カ国の首脳が東京に集まって大東亜会議が開催されています。メンバーはビルマ、満州、中華民国、タイ、フィリピン、自由インド仮政府、そして日本です。
ただ、アメリカとの「太平洋戦争」の分岐点となったのが、ミッドウェー海戦でした。1942年6月のことです。この戦いで日本は空母4隻、航空機300機などを失います。それもあり、これ以降の戦局は一挙にアメリカ有利に傾いていきます。
大東亜会議がその1年半後の開催です。そこで大東亜宣言が採択されますが、国際的な影響力が殆どなくなった状況下での宣言でした。単なる仲間内の自己満足的な宣言で終わってしまっています。現に、大東亜会議そのものが当時の戦争の中に埋もれてしまっています。その1年後には、本土への空襲が始まります。タイミングが遅すぎたということです。
(「NHK」)
「強兵富国」を説いた明治政府
平川祏弘氏が「『太平洋戦争』か『大東亜戦争』か」(「産経新聞」2024.7.5付) という題名の論文を「正論」欄に寄稿しています。彼の考えは、「正面」の太平洋戦争と「側面」の大東亜戦争という2つの側面があったというものです。意見としては分かりますが、従来の論争の決着になっていません。
戦争の始まりを真珠湾攻撃から考えている限り、このネーミングの論争は決着がつかないと思っています。大日本帝国が起こした戦争であることは間違いないので、大日本帝国が成立した原点に戻って考えるべきだと思います。
大日本帝国憲法が発布され、その翌年の1890年に帝国議会が開催されます。その時の総理大臣は明治天皇から指名を受けた長州藩出身の山県有朋でした。彼が最初の議会演説で「富国強兵」、正確に言うと「強兵富国」を説いています――「列強の間に立って国権を完全に伸長するには国富の兵強からざるものはなし」。衆議院の第一党の自由党や改進党が経費削減を訴えたのに対して、軍を強くすることが最優先と言っています。下のグラフで分かるように、国民の税金負担は重くなっていました。それでも政府は強兵を前面に掲げたのです。
(「アート工房」)
大東亜戦争の名称は使えないのでは
その軍事をどのように使おうと考えていたのでしょうか。そして、大東亜戦争の前提の大東亜共栄圏に向けての行動があったのでしょうか。その検証を行いたいと思います。
岩倉使節団が欧米に向けて派遣されている最中に征韓論が起きます。征韓論のきっかけは日本が新しい体制になったということを明治天皇の名前で手紙を送りますが、「皇」や「勅」の字があったため受け取りを拒否されます。華夷体制の国なのである意味仕方がない措置だったと思われますが、無礼ということで突如「征韓論」が出てきます。今ならさしずめ「遺憾」で終わってしまうのですが、当時は血の気が多い国だったようです。ただ、岩倉使節団ということで100人を超える人員を欧米に派遣するのですが、隣国の朝鮮に対しては手紙だけで済まそうとする。そこに問題があったような気がします。
やがて、岩倉使節団が帰国します。彼らの多くは征韓論には反対でした。賛成、反対で割れている時に江華島事件が起きます。日本の軍艦が朝鮮半島の江華島付近の水域に入り込むという挑発を行い、守備隊から砲撃を受けるという事件です。この結果、朝鮮側は35名、日本側は1名の死者が出ます。その後、この威嚇外交が成功して日朝修好条規が結ばれますが、日本の治外法権を認める不平等条約でした。これでは大東亜共栄圏も、大東亜戦争の名称は使えないのではないかと思っています。敢えて言えば、アジア太平洋戦争でしょうね。
(「jugyo-jh.com」)
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