(この文章は3/13日に書きました)
やがて、それは分かることでしょう。
憲法改正の気概を感じさせて欲しい
「夢を夢のままで終わらせてはいけない」と安倍首相は1月の施政方針演説で言いました。現実の政治は、何か方針を言えば、それに向けて現実が動く訳ではありません。試合と同じで守りを固めて、相手の包囲網を突破する作戦と覚悟がなければ、目的を達せないまま終わってしまいます。
桜の問題や今回の森法相の発言といい、失点が多すぎるのですが、例えば、「国会議員定数削減法案」という「武器」や国会解散をちらつかせながら、野党と上手く渡り合って欲しいと思います。野党の議員が内心一番恐れているのは、選挙です。共産党はある意味別にして、その他の政党は綱領を読んでも、それほど「この国のために」といった確固たる政治信念があるわけではありません。実際に、党から党へと渡り歩いている議員もいる位です。
国民主権にふさわしく、国民投票での決着を
憲法改正を国会で議論する憲法審査会には「中山方式」という暗黙のルールがあります。憲法を政局に絡めないことや、少数政党の声を尊重することなどを柱とする与野党間の紳士協定です。中山方式というのは、平成12年に設置された衆院憲法調査会の初代会長を務めた中山太郎元外相によって考案されたもので、会の運営は原則与野党の合意が必要、少数政党にも均等に発言機会を与え、強行採決などを避ける。その代わりに、法案や政治日程をめぐり与野党が駆け引きを繰り広げる国会対策とは一線を画して、議論をするといった内容のものです。しかし、この紳士協定が守られていません。
国会が審議をしないのならば、改憲原案を国会に出し、国会を通過させるという奥の手があります。原案の提出には衆議院100人、参議院50人の賛成が条件ですが、この数字は簡単にクリアーできる数字です。国民主権が憲法に謳われています。国会が憲法改正に向けての議論自体をしないのであるならば、国民に最終的に判断を仰ぐのが筋でしょう。停滞は許されません。時代の流れが早くなっています。アメリカ占領軍が制定した憲法は、すでに制度疲労を起こしています。時代も令和の新しい時代に入りました。新しい時代に相応しい憲法にしましょう。
日本の伝統をふまえた憲法にしましょう
2000年以上の歴史を有する1つの王朝が、この日本国の歴史と文化を育んできました。その歴史を憲法にまず明記する必要があります。今の憲法は、単なる西洋憲法の日本版です。前文には、本来その国の成り立ちや文化、歴史について書かれるべきですが、敗戦、占領下という主権が奪われている状態で制定されたため、そのような内容が書かれていません。欠落しています。
日本の憲法学者の多くが犯している誤りは、何千年も戦争、紛争、革命で血を流してきた西洋の歴史が生み出した「権利」、「立憲主義」、「主権」などという概念を使って日本の憲法を解釈しようとする学問姿勢です。
西洋人と日本人では、狩猟民族と農耕民族、民族の種類が根本的に違います。国づくりの考え方や憲法の考え方も違います。そして、日本がその歴史の中でつくり上げてきた3つの憲法―—十七条の憲法、明治憲法、日本国憲法―—を整合的に矛盾なく解釈する必要があります。日本国憲法だけを切り離して、解釈することは、避けなければいけないと思います。
そうすると、3つの憲法に共通することは、天皇は権威者であって、権力者ではないこと。十七条の憲法の中で示された「和」の考えは、現在にまで変わらず貫かれていることが分かります。日本の歴史を紐解くと、西洋と違って、権力者が民衆に牙をむいたことがありません。同じ方向を向いて、国づくりに励んできたのです。そのような国柄であることを、前文に明記する必要があります。
憲法の前文は、もっぱら9条を掲げるための言い訳的な文章となっています。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という現実離れした防衛論が書き込まれています。これを含めて、現実の防衛政策の実態に合わせた規定が用意されるべきでしょう。
読んで頂きありがとうございました