「前回は興味深い話を有難うございました。市長にしろ、知事にしろ、あのような手記を発表される人は少ないのではないかと思いましたけど……」
「ほとんどいないと思います。彼の場合は、もう政治活動をすることはないし、自分の経験を後世に遺したいという思いだったでしょうね」
「落選しても、再起を考えていれば書けないですものね」
「本に書いてあることが、かなり具体的で、事情を知っている人が読めば、あの人のことが書いてあると分かってしまうような内容ですからね」
「だけど、学者市長さんらしく、かなり市政の課題に対して真正面から受け止め、いろいろ実績を上げたと思いますけど。2期目の選挙はダメだったんですね」
「2期目は共産党の推薦を受けずに無党派で戦ったのですが、保守候補に400票差で負けてしまいました。だけど、その後、倒れられて入院していますからね。休めということだったと思いますよ」
「今までの課題を含めて、全部背負いこむ勢いで市政に取り組んだ感じがします」
「学者だったので、地方自治の理想像みたいなものを持っていたと思います。理想と現実のギャップの中で、随分戸惑ったようですね」
「もう少し、理解者というか、協力者がいれば良かったと思います」
「共産党推薦で当選したため、共産党が与党になったものの、彼らは市政というものに正面から取り組もうとしなかったと書いてありますね」
「だから、相談相手にならなかったのでしょ」
「それが不幸の始まりだったでしょうね。半ば孤立無援状態で市の行政に向かわなければいけなかったようですからね。あと、期待していたのに、当てが外れてしまったということもあるようです」
「そういうのを逆手に取って、面白おかしく書けばよかったのに。最近、流行っているじゃあないですか。例えば、『学者市長のぷりぷり日記』とかいう題名にすれば、もっと売れたと思いますよ」
「そういう感じの方ではないので、無理な注文だと思います」
「ここから本論です ↓」
市長と議会で協力して市政をすすめる
「市長と議会で協力して市政をすすめる」―—これが教科書に書かれている地方自治についての説明です。山崎元市長は「実際には車の両輪にはほど遠いものだった」と書いています。さらに「市民のための市政を実現させていく、そうした使命感を担って議員の仕事についている方は、きわめて数少ない」と言っています。
国会では、与党と野党が対立をして、お互い論戦を交わすという光景をよく見ます。地方政治はそういった対決の軸が議員間ではなく、議会対行政(市)、議員対行政(市)の方が際立っていると言います。
議員同士でお互いに妙な馴れ合いがあると言います。与党と野党が論戦をすることもなく、彼らの目線は専ら行政なんだそうです。そして、実際に議場の配置のされ方は、議員は全員行政の方を向いています。「与党は首長を事の如何にかかわらず支持をして、野党は事の如何にかかわらず批判をする」。これでは、自治体の合理的な施策や方針が打ち出しにくいと言っています。日本の民主主義は、未成熟ということでしよう。
(「地方自治の仕組み/大津市」)
財政再建に取り組む
前の市政から引き継いだ時、財政状況が最悪だったそうです。負債総額が800億円を超え、多摩27市の中でワースト1位だったそうです。
赤字の原因は2つ。国分寺北口の再開発のために土地買収に300億円以上つぎ込んだこと。下水道事業に多額の費用がかかったためだそうです。いずれにしても借金を減らすために市民の負担を増やそうとしたところ、与党の共産党から「あなたの責任ではないので、深刻に考えなくて良い。市民負担を少なくして進むのが、あなたの取るべき道」と言われたそうです。
そこで財政の問題を市民にも考えて欲しいということで『財政白書』を作成したのです。市民からの反響はすごいものがあったそうです。執筆者による連続講座を開催すると、毎回7,80名参加者がいたそうです。市民には好評でしたが、議員の中には攻撃と受け止めた人たちもいたそうです。北口の再開発や下水道普及に尽力してきた議員もいるからです。その事業が赤字の根源のように書かれればおもしろくないということでしょう。
(「YouTube/東京の街と公園ガイド」)
市民運動なるもののあり方
市長として4年間、様々な市民運動グループと関わってきたそうです。市民運動に対して、こういった感想を書いています――「市民運動にも問題が多々ある。市民ないし市民運動というと、その言葉の新鮮さもあって、市民イコール善、市民運動イコール善という暗黙の前提があったような気がするが、プラスの評価ばかりではない」。
市民運動グループだけではなく、日本の社会そのものが民主主義という面からすれば、未成熟だと思います。日本には多くの組織がありますが、それぞれのしきたりや慣習、力学で動いているところがまだまだたくさんあると思います。
山﨑市政は1期だけで終わってしまいましたが、国分寺駅と西国分寺駅周辺の再開発事業は彼の実績です。特に国分寺は再開発前は、どこの田舎の駅なのかというような駅舎でした。西国分寺駅も同じようなものでした。彼の前の本多市政の16年間、ほとんど事業は進みませんでした。地権者との話し合いを軌道に乗せて、再開発事業をスタートさせたのは、山﨑市政の実績です。今や両駅とも魅力的な都会の駅に変貌しています。
(「国分寺市」)
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