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『自立した自治体は可能か』―—元市長の「政治的遺書」を読む(1) / 理想と現実とのギャップを思い知る

  • 2024年1月11日
  • 2024年1月13日
  • 政治
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女性

「今年は重要な選挙が多い年だそうですね」

「もうすぐ台湾選挙がありますし、アメリカの大統領選挙もあります」

女性

「結果次第で、国際情勢が大きく揺れ動くかもしれませんね」

「国際情勢とは直接連動しないと思いますが、7月には都知事選、そして実は私の住んでいる市では、もうすぐ市長選挙なんです」

女性

「現職の方は立候補されるのですか?」

「現職は今回は立候補しないので、新人4人の争いと言われています」

女性

「誰に投票するか、もう決めたのですか?」

「それがまだ決めかねています。自公が推薦する方が本命と言われていますが、自民党に対する批判票を集めれば、分かりませんからね」

女性

「私はどの政党が推薦しているかでおよその見当をつけて、人柄が良さそうな人を選ぶようにしています。だけど、私の場合は、選んだら終わりみたいな感じですけどね」

「ほとんどの人がそうだと思います。議会の傍聴なんかしたことないでしょ?」

女性

「あるんですか?」

「一応、傍聴は2回あります」

女性

「私は1度もないのですが、何人くらいの人が聞きに来てましたか?簡単に傍聴できるものですか?」

「2回とも、5、6人程度でした。手続きは簡単です。事務局で住所、名前を書いて傍聴券をもらって入るだけです。何か証明するものも必要ありません」

女性

「傍聴して、何か気付いたことがありますか?」

「私が傍聴したのは議員の一般質問の時でした。空港の騒音問題を質問していた議員がいて、少し驚きました。知り合いの議員に後で市政と直接関係ないことを質問しても良いのか聞いたことがあります」

女性

「そしたら、何て?」

「良いとのことです。あと地方議会には、いろいろ独自の取り決めやルールがあるみたいです」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Facebook」からのものです」

 多選批判もあり、接戦を制して市長に当選

ここに1冊の本があります―—『自立した自治体は可能か』(花伝社、2004年)。国分寺市長を1期だけ務めて辞められた方が、「政治的遺書」と言って書かれた本です。市長になる前は、大学教授で憲法、教育法を教えていた方です。本人は選挙に出るつもりは毛頭なく、「国分寺市民の会」のメンバーとして活動していたそうです。

その会の中から一人の市長立候補者が決まり、会として準備に入った矢先に「一身上の都合」により辞退をしたい旨の意志表明があったそうです。その善後策を協議している時に、ご本人に白羽の矢が立ちます。家族の反対があったものの、今までの成り行きもあり、引き受けてしまいます。ただ、本人は心の片隅で共産党推薦なので当選するはずがないと思っていたそうです。

ところが、立候補してみたら接戦を制して、受かってしまったのです。現職は4期16年務めていました。多選に対する批判票もあったでしょうし、元大学教授という肩書や誠実そうな話ぶりに期待が膨らんでいったのだと思います。

(「紀伊國屋書店」/在庫あり)

 理想と現実とのギャップを思い知る

ご本人は大学で憲法の講義の内容として、地方議会や地方財政のことについて学生相手に教鞭を取っていますので、自分なりにあるべき地方自治像をもっての市長就任だったようです。ところが、思っていたことと現実とのギャップが次から次へと生まれる状況であったことが本を読むと分かります。

その本の中には、市長としての苦労話が多く書かれていますその原因の一つが共産党が与党だったことが大いに関係があります。彼はこのように書いています――「与党、とくに共産党は、役所の中の行政組織とか、職員の配置とか、事務手続きとか、そういうことについては、知識がないだけではなくて、ほとんど関心がない」。市長として、市民のための行政組織やシステムを作る上で、職員の配置は大事なことですが、与党とは相談できない状況だったのです。彼らは、地方政治はあくまでも国政への足掛かりとしか考えていなかったのです。

市長と一般職員との自由懇談会を提案したそうです。良い提案だと思うのですが、大変だったそうです。それは、「職務命令か、研修か」から始まって、「超過勤務手当を払うのか」、「組合の切り崩しなのか」まで言ってきたそうです。

(「寺子屋塾」)

 組合とのなれ合い行政だった

市役所の職員は公僕なので、行政サービスの提供者という意識が大切ですが、「市民福祉の向上のために働いているという自覚は、全くといっていいほど感じられない状況になっていた」そうです。

一番驚いたと言っているのが、防災訓練の時に、課長しか参加しなかったことだそうです。いざという時のための訓練なので、全員参加でなければ余り意味はないと思います。理由は、時間外手当を出さなければ、組合として協力できないと言われたそうです。

そういう組合なので、権利意識だけが凄まじいようで、職員互助会という組織に対して毎年5千万円(当時)の補助金が市の財政から出ていたとか、組合の事務所の電気代が私費によって賄われていたとか、夫婦で働いていても、両方に住宅手当が支払われていたということがあったそうです。

これらは、それまでの市長と組合との力関係の中で密かに決められていたことです。市長からすれば「飴玉」を与えて、言うことを聞いてもらおうという感覚だったのでしょう。多選の弊害というやつです。組合は、これらは既得権ということで、それを守るというスタンスを常にとったそうです。次回は、この話の続きになります。

(「情報労連リポート」)

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