日本で稲の栽培が始まったのは、縄文時代後期から弥生時代にかけてと言われています。それ以来、日本人は米を主食にしてきました。やまとことばでは、稲の神様のことを「サ」と呼んでいました。早苗、早乙女といった言葉にその名残があります。そして、「米」を分解すると八十八になります。神様の力と多くの人の手の助けがあって、お米が採れると考えたのです。
そのため、日本では食器を手でもって食べます。西洋では、食器を下に置いて食べます。この違いは、食に対する考えの違いから来ています。西洋では、自分の力で獲得したと考えるので、自分の力を誇示するために人に見えるように下に置いて食べます。日本では食を得たことを自然神とこの食にまつわる人たちへの感謝を込めて「いただきます」と言って、食器を手で持って食べます。下に置いて食べることを「犬食い」と言って嫌いました。
副食として、野菜、山菜、魚介類、獣、鳥も食べられていました。それらは、主食の周りに置かれる数々の品ということで、やがて「おかず」と呼ばれるようになっていきます。
日本料理の正式な配膳法である本膳料理は、室町時代に完成します。本膳には、ご飯、汁、煮物、香り物、酢の物。二の膳には、吸い物、和え物、三の膳に焼き物を載せます。安土・桃山時代になると、茶の湯の文化が中国から入ってきて、懐石料理が誕生します。懐石というネーミングは、禅宗の修行僧が寒さをしのぐために懐に温めた石を入れたところから来ています。本来は濃茶を飲むだけだったのですが、空腹でそれを飲むのは胃に負担がかかるということから、簡単な食事を出すようになったのが、懐石料理の始まりとされています。
会席料理というのもあります。同じ「かいせき」なのでややこしいのですが、この「会」は句会の意味です。和歌、連歌、俳諧を楽しみながら、美味しい料理とお酒を味わったところから始まっています。
禅宗は、生活すべてが修行と考えます。食事も一つの修行なので、箸の持ち方から始まって、使い方、食べ方など作法があります。例えば、迷い箸や箸を舐めることは、行儀が悪いとして注意されました。それと、もともとあった食は神様からのいただきものという考え方が混じって、今の日本の食文化が形成されていったと考えられています。
日本民族がもっている仲間内で固まるような「邦人意識」があることは確かでしょう。長年、農耕民族として土地と関わり、地域との関わりの中で集団生活を営んできたという歴史があります。日本民族の良さは、地域という「舞台」が設定されることにより発揮されるものなのです。その「舞台」から切り離してしまうと、突然「小心者の大根役者」になってしまうところがあります。いざと言う時に緊張しやすい、上がりやすいというのは、民族の血から来ているものなのです。
「舞台」の上で名演技をさせるためには、完全な「個」として捉えるのではなく、地域や職場といった集団の中で「個」を捉える必要があります。クラスや職場に配属する場合は、その人の人間関係を考えて配属します。
日本の学校教育はすべて一斉授業という発想ですが、もうその発想はやめて欲しいと思っています。授業によっては、クラスや学年を細かく区切るということを考える時代だと思っています。当然、合間には個別指導も採り入れることを考えなければいけません。
戦後の行政、特に高度経済成長期以降の行政は効率優先という発想だけで行われているところがあります。そういうことが、日本人の繊細な心を微妙に傷つけていることに余り気付いていません。
大規模市町村合併によって、昔から使っていた郡や町、村の名前を勝手に変えてしまう。漢字表記をひらがな表記に変えてしまう。学校統廃合で学区を変更してしまう。小学校や中学校を勝手に廃校にしてしまう。行政の都合や判断で行われてきた何気ない行為ですが、こういうことが度重なって地域の人間関係に影響を与え、場合によっては地域が崩壊します。人の流れが変わりますので、商店街が寂れて、シャッタ―通りになったりします。
こういったことを理解している人が、国会議員、首長、地方議員として地元や国のために活躍して欲しいと願っています。
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