(この文章は3/26日に書きました)
・家永教科書裁判とはなにか?
・教科書検定の問題点
について書いています。
前回「教科書検定」について扱った記事はこちらからどうぞ。
教科書検定は共産主義者の攻撃と捉える必要あり
教科書検定の問題を、中学生の子供たちに使用させる教科書について、適切かどうかを判定するために文科省が行っている問題と捉えるのではなく、日本民族弱体化の一環として、「まっとうな教科書」に対する共産主義者の攻撃と捉える必要があります。そうしないと、問題の本質を見間違える恐れがあるからです。だから殊の外、歴史教科書に対して、枝葉抹消的な修正要求が多いのです。
日本の検定制度は、当初は共産主義思想の防波堤的な役割を果たしました。「家永教科書裁判」を検証すれば、それが分かります。
東京教育大学教授の家永三郎氏が自身の高校日本史教科書『新日本史』(三省堂)が不合格になったことに対して、国を相手に起こした一連の民事訴訟を言います。1997年の最高裁の判決をもって終結しましたが、初提訴より32年かかったため、「最も長い民事訴訟」ということで世界ギネスに登録をされています。
訴訟における最大の争点は、検定は憲法違反、つまり憲法が禁止するところの「検閲」にあたり違憲であるという主張でした。最高裁は、不合格となっても一般図書として市販できるので検閲ではないし、違憲ではないと判断しました。ただ、検定内容の適否については、国側に裁量権のオーバーを認めて国に損害賠償請求を認めました。
しかし、検定制度そのものは、逆に最高裁のお墨付きをもらう形になってしまいました。ただ、当時の最高裁の裁判官は、左翼的な言説を阻止するためには、検定制度の存続も止む無しと判断したのだと思います。ところが、これが皮肉にも左翼的な言説を守るための制度になっていきます。
日教組と文部省が思想的に合体をして、検定制度が変質をし始める
家永教科書裁判と前後して、日教組と文部省(現 文部科学省)が1994(平成7)年に歴史的和解をしています。和解というと聞こえは良いのですが、言葉を変えると「合体」です。それ以来、文科省が共産主義者に取り込まれていきます。
この辺りのことについて、前川喜平前事務次官は、村山富市内閣の時に、当時の文部大臣に「日教組との関係を改善してほしい」という密かな指示が出ていたと言っています。それで与謝野文部大臣は当時の日教組の横山英一委員長と極秘に何度かトップ会談をしたとのこと。
その辺りのことについて、「95年に日教組の運動方針がガラッと変わり、文部省との対立点を表に出さなくなったのは大きな転換でしたよね。反対、粉砕、阻止ではなく、立場は違うけれども話し合える関係を作りましょうと。その証として、与謝野さんの後の島村宣伸文部大臣が中央教育審議会の委員に横山英一さんを任命したことは画期的なことでした」(辻田真佐憲 前文部科学事務次官・前川喜平2万字インタビュー 前川喜平前事務次官が語る「思想的には相いれない、加戸守行さんのこと」)と述べています。そして、この前川喜平氏も現在は反日的な講演会や活動を全国で行っています。文科省が組織的に変質したという何よりの証拠です。
日教組と文部省の蜜月ぶりを示すエピソードとして、次のような話があります。1889(平成元)年の連合発足の直後に、日教組が連合に持ち込んだ運動に「子どもの権利に関する条約早期完全批准運動」がありました。「子ども」か「子供」といった表記の問題や意見表明権をめぐって、連合内に混乱と対立を招くことになります。
ところが、この日教組に助け船を出したのが文部省(現・文部科学省)だったのです。1994 (平成6)年5月20日付で、坂元弘直文部事務次官が発出した「児童の権利に関する条約について」と題する通知です。この文部次官通知は、条約名称について「児童のみならず子どもという語を適宜使用することも考えられる」(第8項)とされ、連合内の民間労組は唖然とさせられた、「子ども…」も条約名称に使ってよいというのは文部省だけであり、日教組に配慮したのかと断じざるを得なかった、と語るのは元 文部科学大臣秘書官の鳥居徹夫氏です(「TOKYO XPRESS」文部科学省とは一体だが、連合内では浮いている日教組)。
検定制度が変質した今、国レベルの検定制度をなくすべき
今月号(2020年5月号)の『Hanada』の中に「『つくる会』教科書の不合格 今回の検定は『不正かつ違法だ』」という関係三者の対談記事が掲載されています。
それを読むと、かなり事細かい指示やチェックが入っていたことが分かります。あの「朝日新聞」が、過去に合格した教科書が不合格となるのは極めて異例、と報じたほどの検定内容だったのです。
なぜ、そのような検定だったのか、それは共産主義者による標的になったからです。教科書調査官の中には、毛沢東思想研究家で、毛沢東思想を崇拝しているような人物も入っていたとのことです(上記対談記事 藤岡信勝氏談)。であれば、学問的な争いをしても無駄ということです。彼らは、目的のためなら屁理屈を言いまくるだけだからです。
奇しくも『Hanada』の中にスティーブン・バノン氏の「中国共産党は人類にとって危険だ」という論文が掲載されていました。その中で「中国共産党が発信する数字は、全部嘘です。全くのデタラメです。彼らはいろいろな方法で数字を操作していますが、多くの人が見ているので、その数字が嘘だとすぐに分かります。……中国政府はずっと世界に嘘をつき続けてきました。なぜか。その政権自体が嘘つきだからです。彼らの言うこと全てが嘘です。嘘の上に成り立つ政権」と手厳しいです。
検定制度という「砦」が共産主義者の手中に落ちてしまった以上、学問的に正しいとか正しくないということで争っても無駄です。なぜならば、共産主義者は結果を得るためならば、何でもします。嘘も一つの戦術だと思っています。騙される方が悪いとしか思っていないでしょう。レーニンも革命のために嘘を有効に使え、といったことを書いています。
先の関係三者の対談記事の中で藤岡信勝氏は「検定制度を廃止せよ、というつもりはありません。ある程度の検定制度は必要でしょう」と述べておられます。「ある程度の検定制度」というのが具体的に何を言っているのか分かりかねますが、国レベルの検定制度を置く時代ではありませんし、先進国でそのような国はありません。
ここ30年間労働生産性が上がっていません。それは多様な人材が育っていないからです。同じものを同じ方向で見て、その答えを覚えて解答するという「一斉一律教育」が通用するのは工業社会までです。データが資本となり、そのデータをいかに活用して社会の冨に結び付けるか、従来の生産という発想を抜け出すことが教育界にも求められています。
新しい時代にふさわしい検定制度を、多くの関係者が参加する形で創設すべきです。それを国レベルではなく、地方レベルに。
読んで頂きありがとうございました
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