(この文章は3/12に書きました)
もしかしたら、スピリチュアル的な意味も込められているかもしれません。
『夢辞典』の「虹」の項目には、こう書いてあります。「努力は適切に報われるでしょう。あとは後始末が待っているだけです。これまで心の宝探しに励んできたあなたですが、今、完成の一歩手前まできています」とあります。
スピリチュアリズムとは
スピリチュアリズムというのは、この大宇宙は「見えない世界」と「見える世界」とによって成り立っており、「見える世界」は「見えない世界」によって支えられているという見方です。「見える」「見えない」というのは、あくまでも人間の感覚(視覚)が基準ですので、本来は異次元も含めて、見えないミクロの世界があり、それが集積して、「見える世界」が現れているだけと考えます。科学の進展とともにミクロの世界の解明がかなり進んできました。素粒子の存在までは、科学的に明らかになっています。今は、それより先の異次元世界の解明に焦点が当てられています。現在は、それは当然あるものという前提のもとに、いかにそれを証明するかという実験段階に入っています。
スピリチュアリズムの開祖的な地位にあるのがスウェーデンボルグ(1688~1772)です。彼の前半生は9か国語を操り、数学、物理学、天文学,化学などの多方面の分野において北欧で活躍しました。50歳半ばに幽体離脱を体験して、霊界に出入りできるようになり、その経験をもとに『霊界日記』『霊界探訪』など多くの霊界体験記を遺しています。ロンドンの大英博物館には、彼の著作が保存されているとのことです。
彼は現実の見える世界も見えない世界も、同じバランスで考えていました。宗教家の中には、ともすると現世よりも来世ということで、世俗的なものに価値を認めないという人もいますが、彼は「世俗的なものを拒否する必要はない」(『天国と地獄』)と言っています。その理由について、「人間が天界の生命を受け入れるためには、世俗に生き、仕事をし、道徳的・社会的に生きることで霊的生活を受け入れなければなりません」(前掲書)としています。彼は自ら予言した通り、1772年3月29日に旅先のロンドンで地上の生活を終えています。
スピリチュアリズムと朱子学、根底に流れる共通性
すべての物事を陰(-)と陽(+)で考えるのがスピリチュアリズムの特徴ですが、江戸時代の官学(幕府公認の学問)であった朱子学も、その点では同じです。朱子学は朱熹(1130~1200)が説いた学問ですが、彼が生きていた頃は殆ど見向きもされませんでした。
朱子学の世界観もやはり壮大で、この宇宙を範疇(はんちゅう)に考えます。本質を「理」、その作用を「気」と考えます。この宇宙間に存在する物や事象は、すべて「気」の集まりによって出来上がっているとします。元素という言葉があるように、もともとは小さなものであり、それがなぜ集積して形を為すのかと言えば、「理」の働きがあるからと説きます。
人間も「気」と「理」によって成っていると説きます。「理」を魂と呼ぶかどうかは別にして、「理」が「気」の集合体である肉体から離れることを死と言いますが、その瞬間から「気」が一斉に離れ始めます。
人間にとって重要なのは「理」なので、それを鍛えるために精神修養ということが説かれます。人間の欲望によって「気」が乱れます。乱れ過ぎると、健康を害することもあります。そうならないようにするためにも「理」をしっかりするような生活を心掛けます。
スピリチュアリズムや朱子学が教える複眼的な視点
スピリチュアリズムや朱子学の考え方や発想を現代に生かすとするならば、両面から見るということだと思います。「一面的にモノを見るな」とよく言われますが、人間は考え方の癖みたいなものがあり、ともすると、知らず知らずのうちに片側だけ見て、判断することがあります。
そもそも、グローバリズムというのは、東洋的な見方、西洋的な見方、2つの側面から視ましょう、というメッセージがそこに込められていたのではないでしょうか。ところが、日本では、世界は1つ、みんなで英語を学び、日本の歴史も憲法も西洋的視点だけで考え判断しましょう、そんな流れになってしまいました。視点が狂うと、そこから負のスパイラルが回転していきます。まさに、今の状況がそうです。これでは「まずい」と天が判断して震源地の中国に武漢ウイルスをバラまいたのです。ここで、立ち止まって考えろと言っているのですが、今までの対応を見ていますと、相変わらずバタバタしています。
明治維新期に、何故あれだけの人材が日本にいたのか。これは考えてみれば不思議です。江戸期は公教育制度も中国のような科挙もなかったのです。ところが、幕末から近代化を成し遂げたその底力は凄まじいばかりのエネルギーです。作家の司馬遼太郎氏は、その時代の人物や明治時代そのものに魅力を感じておられましたが、大作家を惹きつけるだけの魅力溢れる時代だったと思います。
江戸期に朱子学が官学として、学ぶべき学問とされたのが大きかったと思っています。江戸時代の識字率は50%位ではなかったかと言われています。今の大学進学率と同じ位です。学歴はやたらと高くなりましたし、科挙くらい難しいと言われている公務員上級試験もありますが、ただやみくもに知識だけを追い求めさせているだけで人間を作っていません。
朱子学はまず「理」を大切にします。人間の精神です。そして、社会を流動的に見ます。明治期に啓蒙思想を日本で広めた「明六社」という団体に、佐久間象山の弟子が多くいます。佐久間象山は、幕末の時代にあって西洋近代科学と朱子学(儒教)を弁証法的に戦わせて、そこから日本の歩むべき道を考えようとしました。
危機の時ほど、柔軟な思考が求められます。江戸期の教育から、そういった人材が多く輩出したということだと思います。
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