「今日の『日経』の記事(秋田浩之「日欧が米軍を奪い合う日」)の中で、日欧連帯の大切さに着目して、種を蒔いたのは安倍元首相だと紹介しています」
「昭恵夫人が弔辞の中で、主人は多くの種を蒔いたということをおっしゃっていましたが、そちらにも種を蒔いていたのですね」
「彼の外交は、世界を駆ける外交と言われていましたからね。外交努力を人一倍した方だと思います」
「プリンケン国務長官が、帰途の予定を変更して、わざわざ日本に立ち寄ったのを聞いて、安倍元首相の存在の大きさが分かりました」
「アメリカはプラグマティズムの国ですからね。本音で惜しい友人を失くしたと思っていると思います」
「銃撃された現場では、まだ献花が絶えないそうですよ。そして今日、岸田首相が安部元首相の国葬儀をすると記者会見で言われていましたね」
「そうなんですか。良いことだと思います。日本の国のために懸命に働き、選挙の演説中、志半ばで命を落としてしまった。本人の無念を考えれば、その位のことをしてあげるべきでしょう」
「海外からのお悔やみの数が半端ではありませんでしたからね」
「それはそうと、ここ数日のワイドショーでも、この問題を大きく取り上げていますが、どの報道も事件の側面からしか取り上げていないので、日本社会全体が一面的思考になっているような気がして、そこを心配しています」
「様々な角度から事件を検証する必要があるということですね。警備の面からの見直しをすると言っています」
「ただ一番の問題は、犯人の思考回路です。彼の頭の中で、自分がもっている被害意識と安倍氏を結び付けることがなければ、今回の事件は起きなかった訳です」
「確かにそうなんですが、無理矢理結び付けてしまったのですね」
「仮に結び付けても、普通は実行しません。実行に走ったという彼の特異な性格と、自分の考えに基づく行動を優先しても構わないという考え方は一体どこから来ているのか、そういった検証をすべきと考えています」
「その辺りを検証するのは、もの凄く難しいと思います」
「難しいからと言って、何もしなければ、根本的な防御ができないと思います」
「根本的防御ですか……?」
「犯罪を考え、引き起こすのは人間なので、その人間をいかに善導するかを考えるということです」
「重要だとは思いますが、大変難しいことだと思います。ここからが本論です ↓」
教育によって人は、善人にも悪人にもなる
自分の事だけを考えて、勝手な行動をする人間が増えれば社会は崩壊します。崩壊して弱体化すれば、必ず他国の支配が入ります。
自分勝手な理屈をもとにしての凶悪事件が増えています。このような事件が増えているメカニズムについて、マスコミは殆ど何も報じません。彼らが受けてきた教育にも遠因があるのですが、その辺りについては何の問題意識もないようです。
今のマスコミは、教育を「聖域」と見ているところがあります。それは、政党にも言えることで、野党はなるべく文科省に関わる案件の話題を出さない様にしているのではないかと思っています。
(「まんが王国」)
戦後に社会科が創設された理由
社会科という教科は、戦後の教育改革によって新設された教科です。戦前の『国史』、『修身』に変わるものとして位置付けられました。言ってみれば、戦後の民主主義社会の担い手を育てるという目的で創設された教科ということが言えるかもしれません。
というのは、戦後に一番最初に作成された学習指導要領のネタ本はアメリカのヴァージニア州の初等学校用学習指導要領(以下「ヴァージニア・プラン」/1943年)だったのですが、このヴァージニア・プランは、究極の教育目標として「民主社会の存続と発展を図ること」だったのです。
そして、子どもに対して、どういうアプローチだったのかというと、「学問の体系によらず、青少年の現実生活の問題を中心として、青少年の社会的経験を広め、また深めようとする」(文部省『学習指導要領社会科編Ⅰ(試案)』東京書籍、1947年)教科であると規定しています。具体的に言うと、例えば、「人格の発達」、「生命、財産の保護」、「物やサービスの生産と分配と消費」というように、テーマ(「コア・カリキュラム」)を決めておいて、それについて授業を進めるというものでした。
ただ、考えて欲しいのですが、学問の体系によらない教科を敢えて設置するのもおかしな話です。単純に、軍国主義教育を一掃させたい、その願いから創設した教科であったと思います。
(「明治国際医療大学」)
社会科の本来の目的や理念が忘れられている
教科の表題と内容の出自はすべてアメリカという教科が社会科であり、最初に学問の体系によらない教科であることを謳いますが、1958(昭和33)年の学習指導要領の改訂を機に、当初の問題解決学習から系統学習へ転換します。実はこの年は「道徳」が新設された年です。つまり、戦後それまでは知識習得と態度形勢を社会科が担っていたのですが、後者の役割が切り離された上で、知識習得に重きが置かれ、その内容についてはそれぞれの学問分野の体系を使うようになります。
社会科で扱う学問分野は実は大変多く、具体的に憲法学、政治学、社会学、経済学、歴史学、考古学、地理学、哲学、心理学などです。多くの学問の寄り合い所帯のような教科です。ただ、そのことが社会科の内容が安定しない原因の一つとなります。
科目の表題や内容、さらには必修と選択がよく変わります。かたちの上では、文科省の教育課程審議会の中で決まっていますが、水面下でそれぞれの関係する学会間の対立や文科省との話し合いがいろいろ行われているのだと思います。
ただ、そういう中で社会科の本来の目的や理念――日本に民主主義を根付かせ、公の秩序に従った公民の育成――といったものが忘れられかけていると思っています。
自分の勝手な論理を掲げて、人の命を奪ったり、独りよがりの行動をする者が増えているような気がします。戦後教育、特に戦後の民主主義社会の建設を担う人材を育成するために設けられた社会科の迷走が関係しているのではないかと思っています。
(無料イラストのIMT)
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