「右目が赤いのですが、どうかしたのですか?」
「先日、テニスボールが当たったのです。思わぬ方向から飛んで来て、気が付いたら目の前という感じでした」
「医者に行きましたか?」
「全治3週間の診断です。角膜の裂傷が診断結果です。右目がよく見えないので、今週の発信は、今回で終わりにしたいと思います」
「まあ、無理をしないで下さい」
「ただ、人間の眼はつくづく精密機械だと思いました。ほんのちょっとしたことで、日常生活が不自由になりますからね」
「無くなって初めて分かる健康かな、というやつですか」
「無くなったと言えば、党首選の道が一瞬でなくなりましたね。今日の『産経』の記事です。先日のブログで取り上げて、どうなるのかなと思っていましたが、予想以上に共産党の反応が早かったですね」
「本を出しただけで除名ですか?」
「しかも、発行したのは先月の20日です。ということは、17日目で除名された訳です」
「超早いですね」
「早過ぎるということは、ほんの僅か数名で決めたということです」
「理由は何ですか?」
「簡単に言えば、分派活動ですね。党の統一と団結に努力し、敵対行為を行わない、という規約に背いたとのことです」
「本を出したことで、議論を呼び、統一と団結が深まる可能性もあると思いますけど」
「いずれにしても、除名は最高刑なので本来はしかるべき委員会にかけて、慎重に討議、検討するのが公党としての義務でもありますが、一刀両断という感じです」
「ここからが本論です ↓」
分派活動の実態が全くないのに除名
共産党の規約によれば、処分は、警告、権利停止、罷免、除名とあり、出版して20日足らずで「最高刑」の除名処分となりました。100歩譲って、内容的に反共本を出したとか、党員歴が極めて短く、殆ど貢献していないということであれば、まだ理解の余地がありますが、彼は民青同盟の専従活動家から党に入り、国際部長を歴任、国会議員秘書、党本部勤務もあるなど充分なキャリアを積んでいます。
しかも、分派活動の実態が全くないような状況での判断。独裁政党であることを世に知らしめるようなものです。
(「Twitter」)
党首選をすると困る事情があるから決定を急いだ
慌てて除名処分をしたということは、党内に党首選も良いではないかという意見が広がるのを恐れたからです。それが広がって、仮に実際に党首選を行ったところ、志位氏がそこで敗れるという事態があった時に収拾がつかなくなるという判断があったのでしょう。
最悪のことを考えて、火の粉のうちに振り払えということでの決断なので、トップ三役プラス不破氏の合議によって決まったと思われます。本来的には、中央委員会だと思いますが、松竹氏との繋がりがある人が当然いるので、そこのラインから擁護論が万が一出てしまったら、これもまた収拾がつかなくなる恐れがあります。
そんなことから、トップの少数の話し合いで決めてしまったということでしょう。逆に、そのトップの人間で党全体を動かしていることが分かってしまいましたし、日頃多様性ということを口にしていますが、あくまでも戦術として使っているということが分かります。
(「You Tube」)
スターリン型独裁政党であることを隠している
決定が早過ぎたり、書くべきことが書かれていなかったりする場合は、そこに何か秘密にしておかなければいけないことがあるものです。
日本共産党綱領の冒頭部分には、共産主義という考え方がどのような経緯で日本に入って来たのかということを当時の社会情勢との絡みで書く必要があります。ところが、自然発生的に党が作られたような書き方をしています――「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された」。ただ、1920年代というのは、第一次世界大戦という人類最初の世界規模の戦争を行い、多くの死傷者を出したという反省から世界は平和を志向する動きをとった時代です。1920年には国際連盟が創設され、日本は常任理事国になります。「人民の解放闘争の高まり」というのは、具体的に何を指しているのか分かりませんが、「闘争」の時代ではなかったと思います。
ロシア革命が1917年に起き、それにとって権力を掌握したロシア共産党が革命を世界に輸出する機関としてコミンテルンを創設します。もともと、共産主義は「万国の労働者よ団結せよ」(「共産党宣言」)なので、世界同時革命を目指す組織をソ連が作ります。そのコミンテルンを1921年まではレーニン、それ以降はスターリンが指導をします。コミンテルンが創設された当初は、レーニンの理想に共鳴して世界各地からモスクワに人々が集い、活気溢れた国際組織だったそうです。
ところが、レーニンが死去し、スターリンがソ連の指導者になりコミンテルンを指揮して各国にコミンテルン支部を創設し始めます。日本共産党の前身は、このコミンテルン日本支部から出発したものです。ちなみに、中国共産党はコミンテルン中国支部から発展したのです。指令元はソ連ですので、1年違いの兄弟党です。
そして、民主集中制というシステムは中国共産党も採用していますが、このシステムはスターリンが編み出したものです。上部組織が下部組織を指導するという前提で作られていますので、ヒラの党員が各段階の党内選挙で得票を重ねて中央役員に上がることは不可能になっています。もともと全ての人事は党中央で決めるために編み出されたものです。今回、松竹氏が提起した党首選はヒラ党員でも党首選挙ら立候補できるという提案です。民主集中制と真っ向から対立する考え方なので、慌てて除名処分にしてしまったということです。
「民主」とあるので誤魔化されてしまいそうですが、実際には権力集中制なのです。自分たちにとっての民主だという意味なので、一般的な意味とは異なります。
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓