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台湾海峡「波高し」 ―― 暴発しそうな中国をいかに抑え込むか / 周辺諸国との外交・軍事の協力が必要

「19歳の少年がその家に住む4人のうち2人を殺した上、火をつけて全焼させた事件があったでしょ。実名報道をした今週号の「週刊新潮」を買いました。」

女性

「週刊誌を買うのは、結構珍しくないですか?」

「ちょっと酷い事件なので、どういう生い立ちなのかなと興味があったのです」

女性

「実名報道に対して、日弁連が批判声明を出したのは知っています」

「放火殺人は今までの判例の流れからすれば、間違いなく死刑の事案ですが、仮に19歳ということで無期となった場合は社会に舞い戻ってくる可能性があります」

女性

「日本は終身刑がありませんからね」

「加害者の情報を知らせて、自己防衛を喚起するというのも行政の責任としてあるような気がしますけどね。それと、その週刊誌が「特集」ということで、台湾問題を大きく扱っていたので驚きました」

女性

「週刊誌の特集は、余り硬派的なものは載せないのではないかと思いますけど……」

「それで少し驚いているのです。統合幕僚長だった河野克俊氏の「中国は確実に台湾に侵攻する」という6ページにわたる論文を載せています」

女性

「イメージ的には、『Hanada』とか『WILL』に掲載されそうな表題ですよね」

「逆に言えば、中国からの緊張感というか目に見えないプレッシャーを、普通の市民が感じ始めたのではないかと思っています」

女性

「嫌中国のパーセントは上がっていますけどね。ところで、私は軍事のことは詳しく分かりませんが、侵攻して、占領して、何をしたいのですか?」

「自国の領土として組み入れたいということだと思います」

女性

「当然、それに対して台湾政府は抵抗するでしょ」

「すべて制圧するつもりでしょう。ただ、そうなると香港の時の比ではないと思います」

女性

「一種の内戦ということですか?」

「定義が難しいですが、ある意味内戦であり、ある意味で侵略戦争になると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 中国は美人だと思うと、すぐに自分のものにしようとする国

台湾海峡、「波高し」の状況となっています。中国の習近平主席が、台湾統一を中華民族の悲願だと言ったからです。

ただ、そもそも、悲願という認識が間違っています。固い絆で結ばれていた本土と台湾島、それが外圧によって長きにわたって切り離されていた。そしてその間、本土と台湾の人々は統一されて一緒になることを今でも夢に見ている、という現実があれば悲願といえるでしょうが、そんなものは何もありません。

今の台湾政府も中国との統一を望んでいません中国はただ単に、今の中国にとって台湾が魅力的に見えるので、屁理屈をこねて獲りに行こうとしているだけの話です。要するに、相手が幼い頃は見向きもしなかったのですが、年頃になり魅力的な美人になったため、急に結婚したくなったということです。自分本位の単なる片思いに過ぎないということです。

かつて台湾の李登輝総統は、「中国は美人だと思うと、すぐに自分のものにしようとする国」と表現しましたが、要するにそういうことなのです

(「POTETO  Media」)

 台湾の歴史を調べる――台湾を発見したのはポルトガル人

台湾の歴史を調べると、そもそも台湾という島を発見したのは、中国人ではなくポルトガル人です。時代は16世紀の半ばの大航海時代です。ポルトガル船が台湾付近を通過した時に、自分たちの持っている地図にない島、台湾を偶然に発見したのです。船員たちは緑に覆われたその島の美しさに感動して、ポルトガル語の美しい島を意味する「フォルモサ」の名称が付けられたのです。

その後、台湾の統治に乗り出したのがオランダです。台湾島の統治を確認できる最初の勢力はオランダの東インド会社です。その後は、スペインが台湾統治に乗り出し、両国の間で争いも起きているのですが、東インド会社は1642年にスペイン勢力を台湾から放逐することに成功しています。その当時、現地人がオランダ人を「Tayouan」(「来訪者」の意味)と呼んだところからタイワンの名前が付いたと言われています。

(「www.gamecity.ne」)

 清の時代に台湾が中国の領土となるも「化外の地」扱いとした

やがて中国本土では、明が滅び清が興ります。ただ、明の残党勢力が台湾に入り、オランダ人勢力を駆逐して、台湾を清に対する反抗活動の拠点とします。台湾は中国本土に反抗するかたちで向き合うことになります。言ってみれば、これが台湾の地に流れているDNAなのかもしれません。

中国反抗の活動の中心人物が鄭成功ですが、彼が台湾を「東都」と改名して、その後継者たちが約20年間抵抗を続けるのですが、最後は清の軍隊に制圧されます。台湾が初めて、中国の領土となった瞬間です。もしかしたら習近平主席が民族の悲願と言っているのは、このことなのかもしれません。ただ、悲願の末に獲得した領土なのですが、その後は「化外の地」扱いでした。「化外の地」というのは、中華文明に属さない土地という意味です。

清の領土となり、その「化外の地」に漢民族が移住するようになるのですが、どちらかというと反政府的な人たちが移る傾向が強く、そんなこともあり清朝は治安が悪いという理由で女性の台湾への渡航を禁止します。当時の台湾の治安の悪さを物語るような事件を紹介します。1871(明治4)年に起きた、宮古島島民遭難事件です。年貢の米を届けるために沖縄本島に向かっていた宮古島の船が難破して、台湾に流れ着いたのですが、乗組員54名全員が現地の台湾の原住民に殺害されたという事件です。殆ど意味のない殺害をする位、文化的にも知的にもレベルが低かったということでしょう。

(「まほろば社会研究室」)

 日清戦争で日本に割譲される

台湾が日清戦争で勝利をした日本に割譲されることになります。当時は、戦勝国が賠償金をもらい、相手の領土を割譲できるという変なルールがありました。そのルールに倣って、清朝から割譲を受けたのが台湾だったのです。その際の清側の交渉の窓口となったのが李鴻章ですが、「台湾はやっかいな島、日本は苦労するだろう」とつぶやいたと言われています。そして、実際に統治に対して多くの抵抗に遭い、最初の20年位は苦労に苦労を重ねることになります

日本の台湾に対する統治は、その後敗戦に至る1945年まで続きますそのおよそ3/4世紀に亘る日本の統治によって台湾は近代国家の土台が作られます。台湾は日本の植民地でしたが、西洋的な植民地経営をせずに、日本的な植民地経営を行ったのです。ダムを作って治水管理をし、道路などのインフラ整備をし、学校を建てて教育を普及させます。帝国大学までつくります。そういった統治を目の当たりに見て、現地人の武力による抵抗も徐々に減っていきました。

台湾が親日的なのは、3/4世紀に亘って先人たちが現地で様々な苦労をしながら、台湾の発展のために尽くしたからです。3.11の時は、アメリカとほぼ同額の義援金が日本に届きました。世界で2番目に多い金額でした。

その台湾に対して中国が牙を剥こうとしています。侵攻計画を立てているようですが、軍事的防御網を周りの国との協力で構築をし、計画実施に踏み切らないようにする必要があります

(「産経子どもニュース」)

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