大学入学共通テストのあり方を話し合う有識者会議が、今月の15日に開かれるそうだ。
有識者会議がどういうメンバー構成か分からないが、現場の実態をある程度把握している人間が入っていないと、「小田原評定」になるか、またトンチンカンなものが出てくるだけである。
とにかく、英語も含めて、大学入試の全国共通テストという前時代的な発想から抜け出して欲しいと思っている。
それも含めて、結論ありきではなく、オープンな議論をお願いしたいし、時にはパブリックコメントを求める位の度量が欲しい。
記述力と言っているのだから、受験生に問いかけてみても良いと思う。
大人より立派な意見が返ってくるかもしれない。
そうなれば、一石二鳥であろう。
「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能というのが英語の「新指標」である。
ただ、この中で「話す」という字句が何気なく入っているが、日常会話レベルの「話す」なのか、スピーキングという意味なのかがよく分からない。
ただ、どちらにしても大学入試で見極める必要はないし、無理であろう。
「話す」が会話という意味であるならば、ヒアリングと単語の知識と発音・アクセントが分かっていれば、ある程度こなせることが予想できる。
スピーキングという意味であるならば、文章力が当然必要となる。
国語の文章力が弱くて、スピーキングが強いということはあり得ないので、何もスピーキングをする必要はなく、日本語の文章力をみれば済む。
だから、どちらにしても、「話す」という技能を敢えて問う必要はないので、「読む」「書く」「聞く」の3技能だけを考えれば良いと思う。
その辺りについて、セールスフォースドットコム日本法人CEOの小出伸一氏が「日本流も米国流もない」という題名の手記(『日経』2019.12.25日付)の中で書いている。
そこには、米IBMに出向し、ニューヨークにある経営戦略室での会議の経験が綴られている。
30人のスタッフの内アジア人は彼1人だけだったとのこと、ただ自分の意見を言うと「つたない英語でも耳を傾けてくれた」ので、そこから自信が芽生えたそうだ。
そして結論的に「外資系では流ちょうな英語が不可欠と思われがちですが、意味が通じる最低限の英語で十分です。
英語力より、その人が何を語れるのかという背景の方が大切なのです」(下線筆者)とおっしゃっている。
英語の話す力というが、その中身が大事だということである。
ある意味では当たり前のことかもしれないが、意外と盲点なのかもしれない。
英語を喋ることができれば、それで良いのではと単純に思ってしまうが、おしゃべりと人前で自分の意見を話したり、新しいアイディアを提案することは別の能力である。
おしゃべりは幼児でも出来るが、まとまった話となると、大人でも苦手という人がいる。
実際に、「おしゃべり上手、話下手」ということがよくある。
だから、大学がどのレベルの学生が欲しいか、それに尽きると思う。
中にはインターナショナル・プログラム(IP)、つまり英語で経済学を学ぶプログラムを展開している大学もある。
プレゼンテーションやディスカッションを英語で行いながら、経済の勉強もするというプログラムである。この大学にしてみれば、おしゃべりの会話程度では困るだろう。
ただ、すべてがそういう大学ばかりではない。国文学科で日本の古典を主に研究するようなところでは、「英語力はあればこしたことはないが……」という程度であろう。
世界の多くの国は、多民族国家である。そういった国では、いくつかの言語を学んだ方が生きていく上で力になる。
あるいは、いくつかの言語を知らないと生活できない、といった事情がある。
ただ、日本の場合は、国内で完結した人生を送るつもりならば、英語を知らなくても充分生活していくことができる。
そして、日本語は世界的にみて、マスターするのが難しい言語である。
表意文字と表音文字の2種類を使う民族はおそらく日本人だけであろう。
英語はアルファベットという表音文字26文字の組み合わせであるが、日本語の場合は、ひらがな、かたかな、漢字の3種類、漢字の数は無数にある。
しかも漢字には音読みと訓読みがある。
それらを覚えて正確に書き、意味を理解し、使いこなすだけでも大変である。
子どもたちの読解力が落ちている。
それは現場で教えていて実感する。
教科書の読み取りが遅い、要点をまとめて書くことができない生徒が増えている。
漢字を正確に書けない、読めない。
しゃべり言葉で文章を書いてしまう生徒が多い、等々である。
PISA(国際学習到達度調査)の結果が2019年12月にあったが、読解力は15位である。
ちなみに、数学的リテラシーは6位、科学的リテラシーは5位である。
中国はすべての分野でトップである。
これら3つの能力を高める教育を考えないと、将来国は没落して、中国に呑み込まれることになる。
外国語の能力は、あくまでも付随した能力であり、将来の国力に直接影響をあたえることはない。
日本防衛の観点からの教育力の増強を考える時である。
そして、今の日本の状況を分析すると、英語よりも母国語の習得をどうするかをまず考える必要がある。
先人は「読み、書き、ソロバン」と言った。
そこには、英語はない。
英語はあくまでも外国語である。
学力に余裕があり、海外で活躍したいという人が学べばよいのではないだろうか。
大学に入って本気で学べば、2,3年でかなりのレベルに到達できる。
アメリカやイギリスでは幼児でも英語を話す。
何も、大学入試で英語全国共通テストなど考える必要はないし、小学生から英語漬けにする必要はない(家庭によっては幼児から英語を習わせている)。
日本語よりも英語みたいな雰囲気が子供たちを覆っている。
正しい日本語が伝わらなくなる恐れが出ている。
母国語がすべての基本である。
その言葉が失われれば、文化がなくなり、文化がなくなれば、国は衰退するが、その兆候は現れている。
文科省ならびに政府関係者は、大局観に立った指針を示していただきたいと思う。
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