(この記事は2/12日に書きました)
どの楽器の音色も素晴らしかったのですが、特に琴2台のあのような音色は初めて聞きました。とにかく、聞きほれてしまいました。最後、ふるさとを演奏して終わったのですが、もう少し聞きたいなと思ってしまった位でした。
二階幹事長、石破元幹事長といった現在、あるいはかつての政権内部や自民党の中から、女系天皇容認発言が出始めています。様々なイデオロギーが現実の政治の舞台にも流れ込みますので、日本の国を常に見つめる気持ちを持たなければ、知らないうちに変なところに自身の考えを置くようになり、さらには政党全体が変異してしまうということになりかねません。保守政党に身を置くということは、今までの日本の文化・伝統、さらには皇統を守るという使命をもっているということであり、それを少しでも変えたいと思う方は、所属の変更をされるべきだと思います。政党内部から従来と異なった意見を発信するのは、やめて頂きたいと思っています。
「表現の不自由展」で話題の主となった愛知県の大村知事は、もともとは自民党衆議院議員です。ただ、彼の表現の自由をめぐる解釈や考え方を見ると、それはまるで野党左派の考えです。彼は「(表現の自由は)よほどのことでない限り制限することはできない」と繰り返し主張しています。21条の表現の自由を重要視するのは、東大憲法学の特徴ですが、いくつかの判例があるように、現代は条文既定のないプライバシー権よりも弱い権利となっています。
知事選の時に彼に票を入れた人は、自民党の議員だった人が知事に立候補したからというのが大きな理由だったと思います。彼の人格に対して1票を入れた訳ではありません(選挙民は候補者の人柄はわかっても、人格までは分かりません)。その人たちからすれば、裏切られた思いでしょう。だから、ネットでリコールをする会が立ち上げられてしまうのだと思います。
自民党支持者の力で当選された方は、それを裏切ることは許されません。代議政治というものは、一種の契約関係で成り立っているので、そのことについて、十分自覚をして行動して頂きたいと思っています。
女系天皇容認発言は、天皇制についての無知から来ているものだと思います。なぜ、男系にする必要があったのかについて、全く分かっていない故の発言と見受けられます。
まず、反対論者の理屈を封じ込めるために、共産党の意見を紹介します――「女性天皇を認めることは、日本国憲法の条項と精神にてらして合理性をもつと考えます。女系天皇も同じ理由から認められるべきと考えます」(「赤旗」2019.6.4日付)。この程度の屁理屈で納得してしまう人もいるのですが、これはダメです。生徒には、「後だしジャンケン理論」と言って説明しているのですが、すでにあるものに対して、後から作った法や決まりなどで裁くことはできません。法的には、事後法の禁止原則と言います。
共産党が言っていることが抽象的で分かりにくいのですが、憲法の定める平等権の観点から、男性天皇、女性天皇さらには男系、女系、どちらでも良いではないかという意見です。
天皇制の成立は、はるか昔の古の時代です。その当時において、先人たちが日本という国をいかに未来永劫滅びることなく残すにはどうしたら良いかと考えた末に編み出した非常に「合理的」な制度です。それをたかが憲法の条文にあるからといった単純な理由で、それらを否定することはできません。ましてや、根拠としている日本国憲法は占領憲法なので、2重3重に間違っています。
国家(王朝)はなぜ滅びるのか、どうすれば滅びることなく、その組織を未来永劫残すことが出来るのか、この哲学的な難問に先人たちは取り組んだのです。その理由は、大陸や半島で多くの国が激しい興亡の歴史を繰り返し、それを見ていたからです。また、日本においても大陸と同じように内戦を繰り返していました。
権力を強くして組織を保持するのは、誰もが思いつくことです。ただ、その強さを代を継いで維持できるのかという問題があります。万里の長城を築いた秦の始皇帝は、絶対的な権力者として君臨しました。しかし、彼の死後すぐに反乱が起きて秦は滅亡します。
このように、どんな権力者でも、いつかは死ぬということです。そして、その絶大な権力を、誰にも隙を与えずに代を経て受け継ぐことは、ほぼ不可能だということです。
誰のアイデアか分かりませんが、逆発想のアイデアだと思います。権力がなくても務まるようなポストを設け、そのポストを神話で神と繋げます。神と繋ぐことができれば、権威は付きます。権力者は権威者に承認してもらえさえすれば、権威を民に示すことができます。
権威と権力を分離し、お互い協力関係の体制を築くことができれば、国家の組織として盤石だと気付いたのです。現代につながる象徴天皇制の誕生です。
まず、『古事記』の上巻の最後で神と繋げる作業をしています。つまり、二柱の神が結婚して4人の子供をもうけ、その末っ子として誕生したのが神武天皇なのです。その次に行ったのが皇統の確立です。初代神武天皇から始まって、第33代推古天皇までを史実にそって描く努力をする。そして、そこから126代の令和天皇まで綺麗に繋がっています。だから、権威が自ずと生じ、誰も取って代わろうという気持ちさえ起きなくなります。
仮に、女系を認めてしまうと、ある女性天皇の子供が天皇に即位した瞬間に女系となりますが、そうなると皇統がかわります。天皇家は名字がないのですが、今度は田中家が天皇家、その次は中村家というように、皇統が変わってしまい訳が分からなくなります。そのことは、先人が千年以上にわたって繋いできた皇統を捨ててしまうことを意味しています。
権威と権力の関係を『古事記』は「治(し)らす」と「領(うしは)く」という言葉で説明しています。国譲りの有名な場面です。天照大御神(アマテラスオオミカミ)に遣わされた神が大国主神(オオクニヌシノミコト)に「汝がうしはける葦原の中つ国は、我が御子のしらす国である、と任命なさった。汝の考えはいかがなものか」と問う場面があります。
これは出雲地方をおさめていたうしはく者の大国主神に天照大神を筆頭とする高天原(タカマガハラ)の神々が国を譲るように迫るところです。
この場面を使って、天皇と権力者の関係を説明しています。しらす者は天皇です。うしはくは、神や天皇から委任されて、実際の政治を行うことです。このことを日本国憲法も第6条で規定しています――「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」。うしはく者が内閣総理大臣と言っています。
古代に定められた権威と権力の分離原則が、現代にまで引き継がれています。
読んでいただいてありがとうございました。