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学力低下と教育政策の迷走  ―― デジタル導入、生活習慣、指導要領改訂の落とし穴

「小中学生の学力低下が確認された、そうです」

女性

「さもありなん、という感想ですが、原因について何か言っていますか?」

「原因分析はこれからみたいですけどね……」

女性

「デジタル化を急ぎ過ぎたからではないでしょうか?」

「時代の流れがありますので、仕方がない面はありますけどね」

女性

「私は、文明の機器はなるべく使わないようにして教えるのが学校のあり方だと思っています。タブレットを小学生に持たせる必要はないと今でも思っています」

「私の時代は、ちょうど電卓が出始めた頃でしたね。小学校の算数の問題は電卓があれば、簡単に解けてしまいます。使ったら意味がないと思ったので、使いませんでしたけどね……」

女性

「勉強というのは、頭を使うためにやるものですからね。ただ、子供たちを見ていると、便利だから使えば良いという感覚なんです」

「少なくとも、有難みを知った上で使って欲しいですよね」

女性

「小学生にそれを求めるのは無理なので、学校側でコントロールして欲しかったなと思っています」

「ここからが本論です↓ 表紙写真は「learning BOX」提供です」

 デジタル導入は学力向上に直結しない

日本人には、新しい文明や技術に飛びつきやすいという特性があります。明治維新の際に西洋文明を積極的に取り入れたのもその一例であり、古くは稲作、金属器、仏教や文字なども海を越えて伝来し、大きな影響を与えてきました。そのため、「外から来るものは素晴らしい」という観念が無意識に根付いているのかもしれません。

しかし、目新しいものを無条件・無原則に導入することは問題です。大人がコンピューターを職場で使うことは必然ですが、子どもにまで同じ論理を当てはめる必要はありません。学ぶべきは「道具の操作」ではなく「頭を使う習慣」であるべきです

便利すぎる道具を与えると、自ら考えずに答えを出せてしまいます。これでは勉強の意味を失います。学ぶことの目的は「自ら考える力」を鍛えることにあるはずです。したがって、どの段階で子どもにデジタル機器を与えるかは慎重に考える必要があります。無原則に導入すれば、思考の芽を摘み、学力低下を招く恐れがあります。子どもに必要なのは「新しいものに飛びつく力」ではなく、「考えることの価値を理解する力」なのです。

(「東海テレビ」)

 子どもの学力低下が示す現実

文部科学省の全国学力・学習状況調査によると、2024年度の経年変化分析調査で中学3年生の国語・英語を含む主要教科の平均スコアが下落しました。専門家からは「これほど顕著な低下は20年ぶり」との指摘もあります。文科省の局長は「結果を重く受け止める」と述べましたが、現場の実態をみると危機感は一層強まります。

例えば小学校6年生の算数で「10%増のハンドソープは増量前の何倍か」という基本的な問題に対し、正答率は41.3%にとどまりました。正解は「1.1倍」であり、日常生活にも直結する問題です。通常であれば8割程度の正答率を期待できる問題です。日常会話でも出てくるようなレベルの問題です。この結果は深刻です。

背景には、絶対的な勉強時間の不足があります。多くの子どもたちがスマートフォンやゲームに多くの時間を費やし、机に向かう時間を失っています。家庭や学校での学習時間が減れば、当然学力は下がります。学力低下は一時的な現象ではなく、日常生活習慣の変化による構造的な問題だと言えます。今求められるのは、時間配分を見直し、学習の優先順位を社会全体で再認識することではないでしょうか。

(「note」)

 学習指導要領改訂と責任の不在

学習指導要領は小中高の教育内容を定める大綱であり、戦後ほぼ10年ごとに改訂されてきました。しかし、一度定めれば、定期的に大幅改訂する必要はありません。実際には「10年に1度の改訂ありき」というルールのようになっており、現場の混乱を招いています。

次期改訂は2027年を予定し、中教審で審議が進んでいますが、議論を主導するのは現場から離れた人々です。これは戦前の軍隊で、現場を知らない参謀が作戦を立てて失敗した構図に似ています。責任を取らない「ヘッド」と振り回される「現場」という日本的官僚制の特徴が、教育の場にもそのまま現れているのです。

その象徴が「ゆとり教育」でした。理念だけが掲げられ、旗振り役の責任も不明確なまま導入されました。結果的に学力低下を招いたにもかかわらず、十分な検証や総括はなされませんでした。そして現在、次期改訂では「主体性」がキーワードとされています。だが、この言葉も結局は虚しいスローガンでしかなく、現場がまたも振り回される危険があります。教育政策は子どもの未来に直結するものであり、無責任な試行錯誤を繰り返す余裕はありません。

教育の再生には、まず「責任の所在を明確にすること」と「現場の声を反映させること」が必要です。中央集権的な学習指導要領の運用を見直し、地方教育委員会に一定の裁量を委ねるべきです。各地域の実情に即した柔軟な教育カリキュラムを可能にすれば、現場と子どもに寄り添った教育が実現できます。

(「数学プロセス」)

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