「今日も不登校のことを話題にしたいと思います」
「前回で終わりではなかったのですね」
「不登校の根本原因は、日本の中央集権的な教育制度にあります。そこに行きつくまで、話をしたいと思います」
「とことん掘り下げようということですね」
「そうですね。そうでないと日本人はすぐに対症療法に走るという悪いクセがあるからです。最近では、ある新聞社がデジタル技術・遠隔教育を使ったらどうかという提案をしていますが、こういう対症療法をしている場合ではないと思っています」
「対症療法で解決するような問題が40年以上にわたって続くはずがありませんものね」
「そう考えれば、構造的な問題が根底にあることが分かると思います」
「元々そういった問題があり、1980年代から現象面で出てしまったという捉え方でしょうか」
「そういうイメージで捉えて良いと思います。身体の内部に原因がある湿疹なのに、湿疹だけを見つめて薬を塗っても、根本的解決にはならないということです」
「問題だとおっしゃっている中央集権的な教育行政は明治の維新期から続いています。基本的な制度設計をしてから100年も経っています」
「どの時代にも合うような普遍的な制度というものはありません。時代の流れの中で劣化していくものです」
「単純に制度劣化と考えれば良いですか?」
「制度劣化が根底にあり、その上で別の要素なり力が加わると現象として現れます」
「ゆとり教育の方針が一つのきっかけを与えたということですね。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「全国PTA連絡協議会」提供です」
スタート時点で無理があった
地方によって言葉、風習、産業、文化、さらには地形的特徴も違うのに、それを全国一律教育で行うという考えでスタートしたのですが、その時点でかなり無理があったのです。それを戦後においても踏襲してしまいます。教育行政を担う文部省(現文科省)の職員は、国家公務員上級試験に合格した人たちなので、法学部や経済学部出身者が殆どです。教員免許を取得している人はいると思いますが、教育学部出身者は殆どいないと思われますし、教育現場経験者は皆無でしょう。
そういう文科省が全国の小中高等学校、さらには幼稚園に対して、教育内容に絡んだ方針を打ち出さなければなりません。調理士免許を持っていない団体が、全国の料理店にメニュー指導をするようなものです。その矛盾を解消するために諮問行政という方式を取っています。
中央教育審議会が中心に位置づけられていますが、その他、教育課程審議会、科学技術・学術審議会がありますし、その下に各種委員会、分科会があります。審議会のメンバーは大学で教育学を教えている方や経済団体のトップも含めて、各界で実績があった人です。「船頭多くして船山に登る」という諺もありますので、そういう方を集めれば良いというものではありません。組織というのは、特に日本の場合は忖度の原理が働きます。それが働くことによって決まった方針が、必ずしも正しい訳ではないのです。実際に、「ゆとり教育」の方針もこういった審議会の中から生まれたものです。
(「PIXTA」)
中央集権的教育行政+開放免許制度+ゆとり=不登校
このように書くと、戦前も現在と同じく中央集権的な教育行政であったはず。それなのに、特に負の現象が起きていない、それは何故なのかといった疑問を持つかもしれません。教員養成制度がしっかりしていたのと、各家庭が学校に対してリスペクトがあったからです。
登校・下校という言い方があります。すべての学校が山の上にあるなら分かりますが、なぜこのような表現をするのでしょうか。要するに、これが当時の人々の学校に対する意識だったのです。明治の始めの頃のエピソードです。保護者が職員室に入る前に、叩頭(こうとう)したということがあったそうです。「三歩下がって師の影を踏まず」と教えられた時代です。今や盗撮を警戒して三歩下がって師から離れる時代になってしまいました。
教育に必要なものは、信頼関係と教師の教育的力量です。両者は不可分の関係にあるのですが、特に重要なものが教師の教育的力量です。それさえ維持されていれば社会的な信頼が生まれ、何とか制度の綻(ほころ)びまでいかなくて済んだと思うのですが、戦後の開放免許制度によって教師の質が落ち、文科省の誤った方針提起もあり、ヒビが亀裂となり、不登校という現象が起き、それが拡大しているということです。
(「数学プロセス」)
鍵を握るのが、地方分権と教員養成
以上のような原因の上に、不登校30万人以上という数字があるということです。1985年に大阪に「登校拒否を克服する会」、東京に学校以外の居場所づくりの活動をする「東京シューレ」が結成されています。当時は不登校ではなく、登校拒否と言っていたのですが、そのように大きな問題として認識され始めて約40年経ちますが、事態は悪化するばかりです。土台も含めて建て替えが必要なのに、部分的な修繕で大丈夫だと思っているからです。
原因が明らかになりましたので、それを克服する施策を考えれば良いと思います。まずやるべきは、文科省の持っている教育権限を地方の教育委員会に移すことです。元々江戸時代は各藩で独自の教育を展開できていたのです。心配ならば、当初はモデル地区を選んで、徐々に権限移譲するという方法もあります。地方によって欲している人材が違いますので、その人材が供給できるような教育課程を地方が独自の判断で自由に編成できるようにすべきです。文科省はそれを裏から支える役割に徹するべきです。地方創生と政府は言っているのですから、その為にも地域の実情に見合う人材育成を学校教育の段階から行うべきだと思います。教科書も学校ごとに変えても構わないと思います。現に私学は教科書を現場の教員が採択しています。
次に教員養成の問題です。教員の待遇を上げれば教員の質が上がる訳ではありません。今となっては、開放免許制度に手をつける訳にはいきません。すべての初任者に現場を中心に最低でも1年間の研修を実施するべきでしょう。初任者を、いきなり担任デビューさせるという乱暴なことが行われてきました。現場で補助的な業務をしつつ、授業実習を重ねるなどして、きちんと子供を指導できる教師を養成する態勢をつくるべきでしょう。そして、「チームとしての学校」と文科省は言っているのだから、校長をはじめとする管理職を数年単位で機械的に転勤させるのではなく、ヘッドを固める意味で多くの裁量権を与えて特色ある学校づくりを推奨することだと思います。
(「政治ドットコム」)
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