単一化、画一化といったことに対する概念が多様化である。
そして、この多様化の中にこそ発展の萌芽がある。
例えば進化の過程やビックバン以降の宇宙の歴史を見ても分かるが、物質や生物などを含めてすべてのものは単純なものから複雑なもの、単一化から多様化に進むものであり、それが謂わば自然の流れである。
発展のベクトルはそういう方向に進むものである。
思想や学問・文化も同じである。
司馬遷の三国志の歴史舞台で有名な中国の春秋戦国時代(B.C.770~B.C.221)、多くの国が勃興して、その覇権を争った政治的混乱期でもあったが、多様な人間のエネルギーが昇華して、現代でも充分傾聴に値する思想――儒家思想、道家思想、法家思想など――が多く産み出された。
ただ、世の中には時々、逆に動くものがある。
「逆走」ということがあるが、それは車だけではなく、時々社会の事象において起きる。
ただ、「逆走」で対向車と衝突事故が起きるように、単一化、画一化の果てには衰退が待っていることが多い。
年末に4日間もかけて党の中央会議を行った国がある。
その出席者全員が男性で、同じような服装をし、右手にペンを持ち、誰もが何やらメモをしている様子の映像を見た。
こういう一糸乱れぬ会議に憧れる人もいるが、このような画一的な国が発展することは、まずあり得ない。
単一なものから多様化が発展の弁証法でもある。
特に、21世紀のAI時代の本格的到来を間近に控えている大学入試は多様性が求められる。
ところが、行おうとしていることは、それとは反対、真逆なことを行おうとしている。
どうして共通テストを導入しなければいけないのか。
関西弁の漫才師の言葉を借りると、「アホちゃうか」と思わず言いたくなるような思いである。
かつての時代と比べても、多くの大学や学部の新設もあり、多くの学科、今まで聞いたこともないような学科、さらには様々な入試システムの導入があり、現場の教員でも把握しきれない程の状況である。
なのに、どうして共通テストなのかということである。
共通テストが導入されると、危惧されることがいくつかある。
1つは、現場での授業がそれを意識したものになってしまうということである。
実施回数を重ねれば重ねるほど、過去問としてそれが累積していく。
過去にはこういう問題が出たので、それに対応して、こういう授業、問題をしましょうという動きが必ず出るということである。
共通テストがすべて良問であるならば、それに振り回されるのも時には良しと考えるが、中には悪問もあるだろう。
センター試験を見ると、教科書を適当に見て3、40分くらいで作ったのでないかという問題もある。
そういうものに現場は時として振り回される。
2つ目は、全国一律の教育課程、教科書を前提にしての共通テストなので、日本ではしばらくは、全国同一カリキュラム、検定教科書という中央主権教育体制はまだまだ続くことへの失望感である。
中央主権教育体制が何故ダメなのか。そもそも自然の法則に反する。
アメリカは教育課程や使用している教科書(教科書がない州もある)、さらには義務教育年限も州によって異なる。
教育は文化なので、地方分権化の上に教育営為を考えるのが自然な成り行きである。
そして権力はただでさえ腐敗しがちなので、教育に関する権限何から何まで一切を一つの省庁に集めない方が良い。
その利権を目当てに様々な人間や団体が近づいていくからである。
1994年に文部省(現文科省)と日教組の歴史的和解が行われたが、それを機に日教組の反日イデオロギーが文科省に流れ込んでいる状況がある。
「ゆとり教育」という発想は左翼的であるし、文科省の事務次官まで務めた人間が現在各地で反日的な講演活動を行っていることがその証左である。
ところで、1876(明治9)年に来日したドイツのベルツ博士は自身の日記に「日本では、ルネッサンス以来500年をかけて築き上げたヨーロッパの近代文明を10数年で習得するという文化革命が行われている」と書いているが、黒船が来航して「上喜撰たった四杯で夜も眠れず」(4隻の蒸気船が来ただけで夜眠れない程である)と心配した日本であったが、そのおよそ50年後には当時世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で撃破している。
そのようなことが何故起きたのか。
江戸時代において各藩で行われた人材育成教育のなせる業である。
松下村塾が有名であるが、会津藩の日新館、佐賀藩の弘道館、土佐藩の教授(こうじゅ)館、津和野藩の養老館など、多種多彩な教育が全国の藩校、私塾、寺子屋で行われていた。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。
吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。(Wikipedia)
司馬遼太郎は「この多様さは、明治初期国家が、江戸日本からひきついだ最大の財産」(下線筆者/『「明治」という国家』日本放送出版協会/76ページ)と評価している。
教育は地方分権化をはかり、大学入試は各大学にまかせ、それぞれ自由競争させる。
競争原理が働き、教育の質的転換がはかられ、世界ランキングトップ10(現在は東大の36位が最高)を目指すような大学も現れるだろう。
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