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日本はみずから戦争責任を追及していない ―—「茹(ゆ)でガエル」状態だった戦前の日本 / 戦争責任を分析できていない3つの理由

  • 2024年12月5日
  • 歴史
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女性

「前回のブログで紹介した『日本の戦争責任』を書いた若槻氏ですが、彼は天皇制廃止論者なんですね」

「そうなんです。ただ、仮に天皇制を廃止したところで、日本にとって何のプラスもありません。そこの部分が私と違うところです」

女性

「あの本を読んで、もしかしたら「日本の戦争責任」ではなく、「天皇の戦争責任」という表題を付けたかったのかなと思ってしまいました」

「いや、それは違います。それだと左翼になりますが、彼が問題にしているのは、あくまでもシステムとしての天皇制なんです」

女性

「天皇制があったから、あのような戦争になってしまったという捉え方なんですか?」

「彼は民主主義論者なんですが、民主社会にとって特に必要ないのではないかという立場です」

女性

「先生も民主主義論者ですけど、天皇制そのものをなくしてしまおう等と云う意見には与(くみ)しませんよね」

「それは空想的な意見であり、日本では現実的に不可能です。そして皇統そのものが一つの文化として定着しています」

女性

「国際的にも、Tennowで通じますものね」

「かつてはemperorと翻訳していましたが、天皇は皇帝ではありませんからね。そのまま、Tennowで良いと思います。若槻氏の主張で首肯するところが多いのですが、戦争責任という一言でまとめられるような問題ではないと思っています」

女性

「では、どう捉えれば良いとお思いですか?」

「明治維新まで遡ることになる根が深い問題です。そこでボタンの掛け違いが起き、それが修正されることなく連鎖して雪だるまのように大きくなってしまったと考えています」

女性

「ここからが本論です ↓ 表題は「読売新聞オンライン」提供です」

 「茹(ゆ)でガエル」状態―—戦前の日本

若槻泰雄氏の『日本の戦争責任』(上、下)は、ある意味、衝撃的な内容になっています。当時の政府関係者、軍隊関係者、官僚、学者・文化人などに対して、豊富な資料を使って舌鋒鋭く批判しています。そして、その大元の原因を天皇制というシステムに求めています――「天皇制が廃止された日こそ、日本にはじめて真の自由とデモクラシーが訪れ、合理的精神が日本国民の中に確立するときなのである」。

彼の著書が扱っている歴史範囲は日露戦争からです。日本の歴史全体を見ずに天皇制を論じてしまっています。日露戦争以降の日本は特に坂道を下るように、戦争国家に変貌していきますが、その元々の出発は明治維新期にあります。要するに、部分的に日露戦争以降の歴史を眺めても、正しい判断が出来ないと思っています。さらに天皇制を論ずるならば、その成立期の古代にまで遡る必要があります。

本の帯に「どうして国民は戦争に反対できなかったのか。政治家、官僚はなにをしていたのか。学者、評論家はなんといっていたのか」と書かれています。日本の国全体が好戦的雰囲気にどうして巻き込まれてしまったのかというのが彼の問題意識です。要するに、「茹(ゆ)でガエル」だったということです。

(「株式会社ビボネット」)

 日本はみずから戦争責任を追及していない

湯にいきなりカエルを入れると驚いて逃げますが、水に入れた状態から徐々に温度を上げるとカエルは逃げることなく「茹でガエル」で死んでしまうそうです。それと同じ現象が日本社会で起きたのです。カエルを湯に入れたところではなく、水に入れたところから、つまり原因を日露戦争よりも先の、明治維新期に遡って考える必要があるのです。

「日本がドイツの場合と異なり、みずから戦争責任を追及していない」と若槻氏は指摘します。ドイツは戦後にナチスを徹底的に糾弾しました。国土も2分割され、屈辱の日々を約1/2世紀味わったということもあり、隣国から侵略のことで何かその後、責任追及されるようなことはありません。日本は朝鮮や中国から、何かの拍子に戦時中のことが非難的な言動を伴って発せられます。その違いは何なのか。戦争に至るまでの原因と責任を、きちんと総括していないからです。

未だにそれが出来ていないのは、3つの原因があります。1つは、歴史学の細分化です。文芸評論家の三浦雅士氏はそれを「専門領域細分化主義」(『日本歴史』2009.1月号)と言っています。歴史というのは全体を俯瞰することによって、初めて部分史が理解できます。歴史は単なる史実の積み重ねではなく、主体を定めて、その主体から全体像を眺める作業が必要です。日本には通史学会がありません。そんなこともあり、古代史専門の方は近現代史に無関心というように、専門外のことは知らなくて良いみたいな風潮が実はあります。全体像が定かでない場合、動きが激しい時代をどう見るかで意見が分かれることになりがちです。明治維新がその典型的な例です。

(「ameblo.jp」)

 戦争責任を分析できていない3つの理由

2つ目は、戦争がなぜ引き起こされるのかといった大きな問題を考える場合は、ありとあらゆる学問分野の成果を動員する必要があります。歴史学、法学、政治学、経済学といったそれぞれの分野からの総合的な総括が必要です。そして歴史学も通史的な視点が必要です。今までの原因究明は単眼的なものが殆んど、というか全てそうだったと思います。これでは、正確な分析が出来ません。

3つ目は、どの時代から総括するのかという問題です。その合意が形成できていません。人によっては太平洋戦争が始まるところから考える人もいます。少なくとも、徴兵制の導入(1873)、江華島事件(1875)から辿る必要がありますし、政府部内での権力闘争にも当然目を配る必要があります。やがて陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥に占められます。元老院というシークレット・キャビネットがつくられ、日本の政界に隠然たる影響力を行使するようになりますが、このメンバーは薩摩、長州出身者で占められます。唯一議長だけが華族出身でした。長州閥、薩摩閥が形成される元々のきっかけは明治維新という名の明治のクーデターです。当然、そこまで遡る必要があるということです。

データ的に見て、無謀な戦争になぜ突き進んでいったのか。次回は、その辺りのことを話題にしたいと思います。

(「日本の古本屋」)

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