
男「今日の『産経新聞』で『財務省と日銀 日本を衰退させたカルトの正体』(ビジネス社)という本の広告が出ていましたが、今話題の書です」

「「財政危機という真っ赤なウソ」とか「消費税は二重課税」という見出しを見ると、結構刺激的な内容かなと思ってしまいます」

「著者の植草氏は大蔵省のキャリア官僚だった人で、森永卓郎さんとも親交があった人です」

「内部告発のようなものなので、説得力があるでしょうね」

「一番の内部告発は、彼のかつての直属の上司からの話です。それを読んで、どうして財務省が「財政再建」にこだわるのか分かりました」

「財政に責任を持っている省庁として当然の仕事だと思っているのでしょ?」

「いや、そうではなく、からくりがあったのです。本文に書きましたけどね」

「ところで、最近は財務省の告発モノが多いと思っていますが、何か理由があるのですか?」

「森永卓郎さんが皮切りだ思いますが、続いて高橋洋一さん、そして今回の植草一秀さんですね。触発されてという部分はあると思います」

「これで良いのかと思っている人が増えたということでしょうね」

「財務省に向けたデモは相変わらず続いていると言います」

「この本が出たので、エネルギーが倍増するかもしれませんね」

「財務省デモのことも本の中で触れています。全部が全部反対派ではないと書いています」

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「note」提供です」
なぜ財務省は「金庫番」に固執するのか
財務省の重要な仕事の一つに、経済の安定と活性化があります。景気が後退局面に入った際には、財政出動を行い、需要を下支えすることが求められます。たとえば、1,000億円の予算があると仮定した場合、景気対策としてそれを社会に還元することで、人々の消費や企業の設備投資といった経済活動を刺激する効果が期待されます。
しかし実際には、財務省はその資金を国債の償還費用に充てようとします。これはなぜでしょうか。経済学者の植草一秀氏が『財務省と日銀』(ビジネス社、2015年)の中で述べているように、財務省の幹部は「赤字国債の発行が続く限り、予算編成がシーリング(上限枠)に縛られる」ことを嫌っているのです。
シーリングとは「天井」を意味し、予算配分に上限が設けられる仕組みです。例えば、ある政治家が地元からの陳情を受けて「橋を建設したい」と財務省に働きかけたとしても、シーリングによって橋の建設費の上限が10億円と決まっていれば、それを超える予算を付けることはできません。財務省としては、状況や関係者の政治力に応じて柔軟に予算配分を行いたいものの、赤字国債の存在がその自由を阻んでいるのです。そのため、彼らはまず国債償還を最優先にし、シーリングの撤廃を目指します。結果として、経済の実態や景気の動向を無視した予算運営になってしまう傾向があるのです。
(「www.amazon.co.jp」)
国益より省益を優先する体質の起源
財務省に限らず、日本の中央省庁の多くが「国益」よりも「省益」を優先する傾向を持っています。この体質はどこから生まれたのでしょうか。その根幹にあるのが、高等文官試験、つまり現在の国家公務員総合職試験の前身です。これは、いわゆるキャリア官僚(高級官僚)を採用するための試験であり、敗戦をはさんで明治時代の制度を継承しているのです。
国家公務員試験には総合職と一般職の2種類があり、いずれも最終合格しただけでは採用にはなりません。受験者は「官庁訪問」を通じて各府省と面接を行い、各省が個別に採用する形となっています。採用権と人事権は各省庁にあるため、一度採用されれば、基本的にその省庁内で一生働くことになります。この点は総合職と一般職で共通しています。
しかしながら、このような人事制度は極めて不合理です。広い視野と総合的な政策判断力が求められる国家公務員であれば、本来は複数の省庁での業務経験を積むことで、知識や判断力を磨くべきです。それにもかかわらず、採用段階から特定の省庁に“囲い込む”仕組みとなっており、その後の異動も省庁内に限定されがちです。この構造こそが、視野を狭め、「国益」よりも「省益」にこだわる官僚文化を再生産している要因の一つだと考えられます。
(「hr-team.co.jp」)
なぜ日本だけが「省庁内キャリア制」なのか
日本の国家公務員制度は、世界的に見ても非常に特異です。特にG7諸国と比較すると、「省庁別採用」や「省内完結のキャリア形成」がここまで制度化されている国はほとんどありません。たとえば、イギリスでは内閣府が人事を統括し、キャリア官僚は複数の省庁をローテーションしながら経験を積むのが常識です。これにより、広い視野と柔軟な発想を持った行政人材が育成されています。
一方で、日本では各省庁が人事権を持ち、異動もその省庁内に閉じたものとなっています。しかも、総合職(キャリア)と一般職(ノンキャリア)を別枠で、異なる試験によって採用するという仕組みが制度的に存在します。発想が前近代的であり、階級社会の名残りのような制度です。このような採用方法を採っている国は、少なくともG7の中には見られません。一体、いつまでこの制度を続けるつもりでしょうか。
イギリスには「ファスト・ストリーム」という幹部候補育成制度がありますが、これは全公務員から業績などを踏まえて選抜される仕組みです。ところが日本では、最初にキャリア枠で採用されるだけで、幹部候補としての地位がほぼ確定し、その後は天下り先まで用意されています。実務能力とは無関係に、試験に通ったという一点だけで、終身的な特権が保証されているのです。ペーパーは優秀かもしれませんが、それと公務員としての能力は別だと思います。
それはともかく、結果として、官僚組織が“キャリア共済組合”のような性格を帯び、組織の硬直化と劣化を招いているのが現状です。
(「朝日新聞」)
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