「ノーベル賞をとった湯川秀樹という方を知っていますか」
「ええ、存知上げております」
「どうしたの、急に丁寧な言葉になって」
「やはり、ノーベル賞を取った方の名前を出されれば、そうなっちゃいますよね」
「その湯川博士が、少年少女向けに『宇宙と人間 7つのなぞ』(筑摩書房)という本を書いているのです」
「あら、そうなんですか! いつ頃、書かれたのですか?」
「1974年とあるので、昭和の時代ですね。今から46年前ですね。だけど、内容的には全然古くありません。現代の子供たちが読んでも、充分勉強になると思います」
「ちくま少年図書館23と、通し番号が振ってあるので、シリーズものなんですね」
「そうなんです。それでちょっと調べてみたら、1970年から86年にかけて全100巻刊行され、その年に産経児童出版文化賞大賞を受賞したとのことです」
「ということは、逆にそのシリーズを買いたくても買えないということですか」
「100巻のうちいくつかは文庫本として出版されているようです。この湯川博士の本も河出文庫から出版されています」
「今、中学生や高校生くらいの子の知的好奇心を満たすような本の出版がめっきり少なくなったと思っています。そういったシリーズをどこか引き受けてくれると良いですね」
「教育界に、一般教養的なものを軽視する風潮があります。出版しても売れない、みたいなことだと思います。受験と部活動とゲームしか頭にないみたいなところがあります」
「昨年、リチウム電池でノーベル賞をもらわれた吉野彰さんは、小学4年生の時に担任の先生からファラデーの『ろうそくの科学』を勧められて、それを読んで化学に興味を持ったといっていましたよね。そういうきっかけを与える本の存在って、大きいと思います」
「そういうふうに直接専門的に結びつかなくても、視野を広げることは大事なことだと思います。どうしても、人間は生きていると、段々視野が狭まってしまうからです」
「年齢とともに目は衰えていきますからね」
「あのね……」
湯川秀樹博士の子供たちへのメッセージ
湯川秀樹氏(1907-81)は、1949(昭和24)年に戦後日本で最初のノーベル賞を受賞しています。2人の会話の中で紹介した本を、彼は67歳の時に書いています。日本のこれからを背負っていく子供たちに向けて書かれたメッセージだと思います。
彼は父親から、学校の成績のために勉強するなんて、おろかなこと。自分が好きな学問を深く学びなさい」と常に言われていたそうです。そんなこともあり、自主的に勉強や読書に励んでいたそうです。
『宇宙と人間 七つのなぞ』を読むと、彼の読書の多彩さが分かります。最初のなぞは、「宇宙のなぞ 素粒子のなぞ」について書いていますが、フィンランドの神話の紹介から始めています。歴史学者や科学者の中には、神話は非科学的と思って、見向きもしない人がいますが、そこには物理や歴史の重大な法則が潜んでいるかもしれないのです。多分、湯川博士はそういうことで、神話を紹介したのだと思います。
「いのちのなぞ」のところでは、『古事記』のスサノオノミコトの神話を取り上げています。特に、文脈的にスサノオノミコトの話を出す必然性は余りないように思いますが、関心を持って欲しい、読んで欲しいという気持ち故の紹介だと思います。
さりげなく日本の神話と西洋の神話の違いを簡単に紹介―—日本の神話は星に関する話は殆どないが、西洋の神話には星に関する神話が多い―—そして、何故なのかと読者に問いかけています。七夕の彦星の話があるではないか、と思う人のために、あれは中国発祥の神話とさりげなく書きつつ、そして、どこにも問いの答えは書かれていません。考えてみて下さいということだと思います。
ことばは、どうしてできたのか
ことばのなぞ、について書かれています。内容的には、国語学、発達心理学、文明論を踏まえて書かれています。ご自身の専門外のことについて、かなり興味、関心をもって、ことばというものを深く掘り下げようとしています。
日常的に何の問題意識も持つことなく、ことばを使っている子供たちが多いだろうと思われたのでしょう。実は成り立ちやことばをどうやって習得するかという問題意識で見てみると、不思議なことが多いということが分かります。
日本には古来からの言葉として、やまとことばがあり、そこに中国の漢語が入ってきた。単語の数は増えたけれど、日本語の構造自体は余り変わらなかった。日本語の言葉の特徴は柔軟性があること。全く違った系統のことばの中から、自由に単語を取り込めるようになっています、などと言葉の特徴や歴史について、分かりやすく書かれています。
その他、取り上げていることは「生命のなぞ」「数と図形のなぞ」「知覚のなぞ」「感情のなぞ」です。身近なことにも、これだけ多くのことが解き明かされない謎としてあることを、当時の学問的成果を踏まえて書かれています。
最後に「あとがき」を紹介します――「人間はいろいろなことに疑問をもつ。そういう疑問の中には、だれかに聞けば答えがわかるものがある。書物を読めば疑問が解ける場合も多い。学問が進歩するのに伴って、昔の疑問が解けて、もはや不思議でなくなっている場合が次々とふえてゆく。しかしまた、昔の疑問が解消してしまったのでなく、形を変えて残っている場合も少なくない……」。そういった疑問や好奇心を、いつまでも持ち続けて欲しいと書かれてあります。
先入観(イドラ)に陥らないためにも、様々な角度からの検討が必要
非常事態宣言が出され、小学校から大学まで全国的に休校になっています。時間がポッカリ開いたこういう時を利用して、このような一般教養を高めるような本、あるいは普段読めないような長編の名作にチャレンジすると良いかもしれません。
本には他人の意見が書いてあります。本を読むというのは、自分とは違う人の意見を聞くことになります。賛同すること、反発すること、それぞれあると思いますが、そういう知的な作業を積み重ねる中で、独善的ではない座標軸が自分の中に定まっていきます。
フランシス・ベーコン(1561-1626)は、人は先入観(イドラ)に陥りやすい、ということで4つのイドラを提唱しています。人の目は前しか見えません。自分のことが見えなくなる構造をしています。どうしても、感情や思い込みが入って視野が狭くなり、間違った判断をしがちです。それを防ぐためには、多分野、多方面からの意見を聞くことです。
完全に正しいという思い込みから出発して、そこから論理的に導き出した結論は正しいと推定されます。しかし、最初が誤りであれば、そこから導き出された結論も誤りとなります。へたをすると、自分が長年組み立ててきた論理のすべてが崩壊する可能性があります。いわゆる「ボタンの掛け違い」です。全部最初に戻す必要があります。
そうならないためにも、憲法問題は憲法の基本書だけ読むのではなく、様々な立場から書かれた日本の歴史書、政治学や社会学といった分野にまで広げてあたってみることが必要かもしれません。明治維新は何なのかと思った場合は、記紀や古代史、世界史にあたってみる、といった作業が必要かもしれません。
湯川博士の『七つのなぞ』の最初は「宇宙のなぞ 素粒子のなぞ」です。マクロ世界とミクロ世界を並べています。宇宙のしくみの解明のためには、ミクロの世界の解明が必要という判断がそこにはあります。そのように、一見関係のない分野同士が有機的につながっていることもあるのです。
何かの技術を習得したいという場合は、一番よく書かれたマニュアル本を1冊読めば事足りるでしょう。ただ、学問の世界、特に見解が分かれているようなことについて述べる場合は、多方面からの意見を意識的に採り入れる必要があります。
新聞の社説、識者の意見にも、思い込みで書かれたものが時々見受けられます。お互い気を付けたいものです。
読んで頂きありがとうございました