(2020/2/8日に書いた文章です)
日本という国は、国としてみるよりも、一つの王朝としてみた方が正確に認識できるのではないかと思います。天皇を中心に国民がまとまろうということで、憲法十七条を聖徳太子が制定しました。それ以降、和の国として、権威の象徴として天皇を配し、その下で時の権力者が実際の政治をとり行ってきました。ヨーロッパやアジア大陸、半島に成立した日本以外の国々は対照的に、権力者が頂点に立って国内外にその権勢をふるいながらも、興亡の歴史を繰り返しました。
江戸時代に大政奉還があり、その政権を総理大臣、国務大臣に委任をしたことが大日本帝国憲法(以下「明治憲法」)に明記されています。戦争をはさんで明治憲法の改正手続きを経て日本国憲法が制定されましたので、王朝は古代より連綿とつながっていることになります。
このように長い歴史をつくることができたのは、権力をもたない一人の権威者の元ですべての国民が和の精神で一つにまとまり、国づくりをしてきたからです。さらに、権威者が権威者としての道を間違いなく歩むために、人間としての欲望を半分捨てて頂いた上で、神とつながることにより皇統を守ろうとしたのです。
そのような統治の形態が、ほぼ固まったのは天武天皇(在位673-686年)の頃で、その原理を『古事記』の中に書き遺したのです。神話の形をとったのは、そのような統治の原理を中国に知られたくなかったからです。もし知られて、大陸に安定した王朝が成立したならば、やがて日本は呑み込まれてしまうだろうと先人は考えたからです。対外的に正史として『日本書紀』を編纂し、対内的に『古事記』を書き遺したのは、そのような理由からです。
『古事記』には神話に託して後世の人たちに向けて多くのメッセージが入っています。ただ、それを唯物論の立場から読むと、奇想天外な話で終わってしまいます。そのことを『古事記とスピリチュアリズム』で明らかにしています。
日本は第二次大戦では多くの犠牲者が出て、しかも敗戦、占領という憂き目に遭っています。ただ、幸いにも天皇を統治のシンボルとした従来の日本の形態(国体)は解体されることなく、古代より連綿と続くことになりました。占領憲法である日本国憲法の第1章は「天皇」です。これは、戦勝国アメリカも従来の日本の統治システムを認めたことになります。
新しい令和の時代となりました。価値観の変動が激しい時代となりました。資本主義競争もますます激しさを増すでしょう。戦後75年間で世界から多くの国がこの地上から消えています。国も一つの組織なので、舵を切り間違えると、滅亡の淵に行くことになりかねません。
このような時だからこそ、日本のアイデンティティでもあり、文化でもある天皇制を堅持し、国民が和の精神でまとまって、苦難の時代をともに手を携えて乗り越える必要があると思います。「君が代」は、日本の国が、いつまでも続きますようにと願いを込めた歌なので、国歌としてふさわしいと思います。
国民主権の原理と矛盾するという指摘もありますが、そうなってくると、国民主権と象徴天皇制について明記している現在の憲法に問題ありということになってしまいます。そして国民主権というのは、政治的に重要なことについて、最終的に国民が決めるという政治的原理を定めたものです。天皇は、実際の政治について関わることはありませんので、何ら矛盾しません。
さらに、天皇制の成立は古代の時代です。主権や平等権という概念は、近代ヨーロッパ世界が生み出した法概念です。後から出てきた概念や原理で、すでに成立をしている制度を否定することはできません。
日の丸、君が代については、少なくとも子供たちにその意味やいわれを歴史と共に語り継いでいく必要があります。
もうすぐ建国記念の日です。完全な休みにしていますが、できれば公立の小学校では何か式典を工夫して欲しいと思っています。
例えば、全校朝礼を実施して日の丸、君が代についての講演会をするとか、地域の人たちとの交流会を企画するなど、その日は日本や地域のことを考える日にして欲しいと思っています。
読んで頂きありがとうございました