「韓国の文大統領が9月下旬に、国連総会の一般討論演説で終戦宣言を提案したことを知っていますか?」
「その意味が、今一歩よく分からないのですが……」
「簡単に言えば朝鮮戦争とは、休戦状態のままなので、改めて終戦宣言をし、南北交流をし、統一に向けて動きたいということだと思います」
「北朝鮮側もそれを望んでいるのですか?」
「望んでいないと思います。望んでいたら、南北の共同連絡事務所を爆破して破壊するなんていうことはしないでしょ」
「そうですよね。あれは、いつでしたか?」
「6月中旬でしたね。きっかけは、北朝鮮に対する批判ビラを気球を使って、ばら撒いたことに対する報復です」
「何か、倍返しという感じですよね」
「100倍返しですね」
「話を戻しましょう。非核化が解決していないのに、そういう宣言を出せるものなのですか?」
「無理だと思いますし、どうもアメリカとも相談せずに、勝手に国連で発言したようです」
「先走ってしまったということですね」
「文大統領は、常に気持ちが北に向いています。だから、そうなるのでしょう」
「どうしてですか?」
「彼は統一したいという気持ちが強いのです。「核あり統一」であれば、日本に対しても中国に対しても今よりは強く出られるというのがあるのではないかと思います」
「強く出てどうするのですか?」
「彼らにとって、有利なポジションを取ること自体が意義あることなのです」
「よく分かりませんが、ここからが本論です ↓」
グローバル時代――「男は黙って……」は通じない時代
かつて「男は黙って、〇〇ビール」というコマーシャルが流行りました。日本的なコピーということで、当時の社会に強いインパクトを与えたのですが、今はそういう時代ではありません。
グローバル時代ということは、多くの国が混然一体になって国際社会を切磋琢磨して生き抜くというイメージだと思います。日本人の得意な、「分かっているだろう」では、駄目だと思います。たぶん、殆ど分かってくれないと思った方が良いと思います。
日本の隣人たちは、すべて自己主張が強い人たち
外交で大事なことは、相手の打とうとする手を読んで、それに先回りをする対策を立てることです。そういう意味で、スポーツとよく似ているかもしれません。チーム戦なので、お互い読み合いです。その時に、相手の思考経路を日本人と同じであろうと思ってしまうと間違えてしまいます。グローバル時代です。国が違えば、価値観や考えていることが全く違います。顔や性格が違うのと同じです。
何も考えないで相手に近づけば、外交の世界は大変なことになりますし、日本は何度も煮え湯を飲まされてきました。ただ、何回飲んでも、学習していないというのが私の感想です。
外交交渉について、政府機関や外務省の中で引き継がれていないのでしょうか。常に、後手後手に回って、押されっぱなしです。例えば、韓国との間で日韓基本条約を結ぶ時も、訳の分からない8億ドルの経済協力を定めたのです。
そもそも日本と韓国は戦争をしていません。逆に、同じ「国民」として「仲間」として戦争を戦った間柄です。賠償金とか謝罪という概念はあり得ないのです。あり得ないことを、時の政府が認めるので、次々とおかしなことが請求されてくるのです。
韓国は植民地支配と言います。それはそれで良いと思います。正確には、併合です。植民地と併合はどう違うのか。植民地はまさに支配、被支配の関係です。併合は同じ国民として扱い、半島を日本として統治したということです。
問題なのは、その後です。彼らが賠償金要求した時に、愚かにもその土俵に乗るから話がおかしくなってくるのです。欧米諸国で戦後、植民地支配をした国に対して賠償金を払った国はありません。なぜなら、戦前は植民地経営は合法活動だったからです。合法活動なのに賠償金というのは、おかしな話です。
賠償金ではなく、経済協力金という反論が聞こえてきそうですが、実質的に賠償金です。当時の韓国の国家予算の3倍という莫大な協力金を支払います。
日本は韓国に対して、無償3億ドルに等しい価値を有する10年間の日本国の生産物及び日本人の役務による供与、有償2億ドルを韓国政府が希望した韓国政府に合計5億ドル分供与する形式で、相互に請求権を放棄することで合意しました。しかし、最終的に日本は約11億ドルの経済援助を行ったのです。韓国は日本からの受けた請求権資金・援助金で浦項総合製鉄、昭陽江ダム、京釜高速道路、漢江鉄橋、嶺東火力発電所などが建設されて、最貧国から一転して経済発展し、「漢江(はんがん)の奇跡」と言われたのです
韓国の外交官で「対日外交の名分と実利」(Diplomatic Propriety & Our Interests With Japan)の著書がある劉義相(ユ・ウィサン)氏は香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストに、両国で争いが続く理由として2つの点を挙げています。1つは、1965年の条約は「植民地時代に関するすべての問題を解決」していないこと。もう1つは、同条約が「個人の賠償請求権を市民から奪った」ことと言っています。
彼らの詭弁を分析してみたいと思います。1965年の日韓基本条約は締結されたことが事実なので、国際法的に「問題が解決されていない」と主張することはできません。ご本人は解決していないと思っているだけで、個人の感想が国家間の取り決めを無効にすることはありません。
2つ目の主張も、奇妙奇天烈な主張です。韓国の国民の賠償請求権は、韓国国内で処理されるべき問題です。日本とは関係のない問題です。
「土地や資源のみならず韓民族の言葉や歴史、さらには氏名まで奪い」といいますが、土地は現にありますし、資源はもともと南朝鮮にはありません。言葉は遺っていて、現に朝鮮語を話し、ハングル文字を使って、自分たちの歴史を学校で語っているではありませんか。名前もしかりです。何を云いがかりをつけているのかと思います。
福沢諭吉の「脱亜論」を思い出す時
福沢諭吉が脱亜論を明治の時代に説きました。彼は慧眼の持ち主だと思います。相手にしない、遠く付き合うということだと思います。
根も葉もない「慰安婦」の問題で2015年に日本は謝罪を表明し、被害者支援の基金に10億円の拠出を約束しています。この額は韓国が求めたものでした。手打ちをした理由について、安倍晋三首相は当時、「今後、日韓は新しい時代を迎える」、「子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない」と記者団に語ったのですが、結局お金を出したから、またつけ狙われることになります。
理不尽なお金は払わない。する必要のない謝罪は、しない。何か要求されても、少し間を置いて、しばらく考えます。基本的には無視をする。そんな心構えで良いと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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