
「今まで私はバブルは自然にはじけたと思っていたのですが、そうではなくて『はじけさせてしまった』というのが正解なんですね」

「良い所に気付きましたね。それを伝えるために、前回の記事を書いたのです」

「ただ、誰もが自然に弾けてしまったと思っていますよね」

「一種の情報操作のようなものが巧みに行われていると思っています」

「情報操作ですか?」

「意識しているかどうかは難しい判断だとは思いますが、新聞は完全に大蔵省(現在の財務省)に寄り添った記事を書いています。新聞社の記者や論説委員の多くが「大蔵省記者クラブ」出身なのである意味仕方がないとは思います」

「仲間なので、かばってしまうということですか?」

「というか、批判的なことを書くと、その仲間から締め出されてしまうという心配でしょうね。官僚筋からの情報源が少なくなると、彼らにとって死活問題ですからね」

「その辺りは何となく日本的ですね」

「出る杭は叩かれると言いますが、実際には、抜かれて外に捨てられます」

「前回の続きということでお読み下さい。ここからが本論です ↓ 表紙の絵は「PIXTA」提供です」
「負の連鎖」の「起点」を突き止めることが重要
『日本経済の死角』(ちくま新書、2025)は、住友銀行出身で第一生命研究所に在籍している河野柳太郎氏による著作です。実務経験を持つ方だけに、現場感覚に基づいた鋭い分析が印象的でした。「死角」とあるので、バブル崩壊のメカニズムを説かれているのかと思いましたが、主題はむしろその後の「失われた30年」に焦点を当てたものでした。
氏の問題意識は、生産性が向上しているにも関わらず、なぜ賃金が上がらないのかという点にあります。その原因として、2000年代半ばには不良債権処理が一段落した後も、大企業が財務基盤の強化に固執し、設備投資や人的投資、そして賃上げに消極的だったことを挙げています。結果として個人の消費支出が伸びず、企業の売り上げが伸びないという悪循環が続いているのです。
この構造を著者は「合成の誤謬(ごびゅう)」という表現をし、たびたびこの言葉を使っています。「合成の誤謬(ごびゅう)」というのは、負の連鎖、負のスパイラルといった意味です。企業が健全経営を心掛けた結果、全体としては需要が抑制され、経済が停滞するというジレンマです。ただ、重要なことは、その連鎖、もしくはスパイラルがどこから始まったのか、つまり「起点」を突き止めることです。ところが、著作ではその核心に迫る視点が弱く、「バブルは自然に崩壊した」という通念を前提に議論が展開されている点が残念に思われました。
(「X」)
経済は「生き物」であるという発想の欠如
経済は単なる数字や統計の集合ではなく、生身の人間によって動かされている「生き物」のような存在です。生身の人間のように丁寧に扱う必要があります。ところが、「バブル」が発生した時に、官庁筋から乱暴な政策が乱発されたため、日本経済は致命的なダメージを受けたのです。
日本のバブルは資産バブルでした。土地、株が上がったのです。これを「高すぎて買えない」という庶民の感覚から捉えて判断してしまったのです。しかし、物事には二面性があります。経済活動が活発になれば、土地や株式は高くなるのはある意味で当然であり、むしろ喜ばしいことです。将来の値上がりを見込んでゴルフ場、リゾート開発といった本業とは関係のない事業への進出もありましたが、これらも経済活動が活発ゆえに起きる現象であり、雇用需要を喚起する活動でもあります。しかし、大蔵省・日銀はこれを「バブル」と断定し、総量規制(1990年)や1年3か月のうちに5回も利上げをして、最後は6%台とする対応をしたのです。頭ごなしに全否定で臨んでしまったため、そのショックが社会に走り、30年間立ち直れなかったというのが本当のところでしょう。
それからバブルというネーミングを普通に使っていますが、経済成長の先取り現象だった可能性もあります。実際に現在、東証株価や土地価格はいずれもバブル期の最高値を超えてきています。バブルと決めつけて「火消し」をして、経済全体を水浸しにしてしまったのです。本当は台所のコンロのつまみを強から弱といった段階的な調整で済んだかもしれないのです。誤った判断によって、成長の芽を自ら潰してしまったとも言えるのではないでしょうか。
(「Wedge ONLINE」)
バブル処理の誤りと歴史から学ぶべき教訓
歴史を語る時に大事なのは、何を教訓として残すのかということです。今の状況だと、何となくバブルが発生・崩壊して、何となく経済的な不況が30年経って、とまるで自然現象のように語られています。今の状況を作った元凶が大蔵省(現財務省)にあり、日銀はその大蔵省に同調して金利を引き上げ、それらを見ていながら見ないふりをして記事を書いてきた大手新聞社がいます。そこを解明して教訓として残す作業をしなければ、また同じようなことが繰り返されると思っています。
バブル対応が強力だったため、あっという間に鎮火して、経済活動は水浸しとなり、回復のための「水拭き=対策」は殆ど行われませんでした。そんなことから早くも1992年以降になると、複数の野党・地方首長から公共投資による早期需要喚起策が提案されるようになります。ところが、対策はなされず、すべての部屋は濡れたまま放置されたこともあり、1997年には相次いで大手銀行、証券会社が倒産、もしくは自主廃業します。どうして、何の手当もしなかったのか。火を消すことしか頭になかったからです。火が消えたのでこれで良いと思い込んでいたのです。実際には濡れたまま放置したためにカビが生えてしまったのです。主だったものを表にまとめてみました。
会社名 | 破綻・処理時期 | 概要・備考 |
北海道拓殖銀行
(拓銀) |
1997年11月 | 戦前から続く有力地銀。バブル期の不動産融資の焦げ付きで破綻。経営破綻した日本で初の全国地銀。 |
日本長期信用銀行(長銀) | 1998年10月 | バブル期の巨額不良債権で破綻、国有化(後に「新生銀行」へ)。長期信用供給の中核だった。 |
日本債券信用銀行(日債銀) | 1998年12月 | 官民の債券業務に特化。長銀同様に国有化され、その後「あおぞら銀行」へ。 |
山一證券 | 1997年11月 | 四大証券の一角。簿外債務2,600億円超。自主廃業。涙の記者会見が話題に。 |
カビが生えて使えなくなったので、結局、公的資金によって部屋をリフォームすることになります。公的資金は第一次(1995年)、第二次(1998年)、第三次(1999年以降)と全部で3回、合計50~60兆円の公的資金が民間金融機関の破綻処理に使われたのです。水拭きをする手間とカネを惜しんだため、結局それ以上の費用がかかってしまったのです。
こうした誤りを繰り返さないためにも、バブル崩壊をめぐる政策判断とその影響を検証し、明確な教訓として未来に伝えていくことが求められます。
(「You Tube」)
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