
「バブル期に実家に帰った時に親父が珍しく上機嫌で、「10万円あったら、お前どうする?」って、いきなり質問してきたことがありました」

「何て答えたのですか?」

「定期預金に預けると答えたら、『お前はバカか』と言われ、びっくりしました。理由は何だと思いますか?」

「私も多分、そう言うだろうと思いますけど……。何でしょう。見当が付きません」

「要するに株を買えと言いたかったのです。どうも母に聞くと、大分儲けたみたいでご機嫌よ、と言っていました。会社が潰れたらゼロになると言ったら、「上場企業が潰れる時は、日本が潰れる時だ」と興奮気味に言っていました」

「ただ、それが現実になってしまうのですね」

「親父も一瞬良い夢を見て、次に地獄を見たのかもしれません。次に帰った時は、株の話は一切ありませんでしたからね。それはさておき、今日は「失われた30年」の3回目をお送りします」

「バブルと普通に呼んでいますが、そうではなかったかもしれないというのが前回の話でした」

「今日はその後の対応について話をしたいと思います」

「ここからが本論です ↓ 表紙は「メルカリーMercari」提供です」
財務省の誤算と硬直的な政策思想
大蔵省(現・財務省)は当初、「バブル」後の不況を「一時的な調整局面」とみなしていました。不良債権や地価の下落を「市場の自浄作用」として歓迎という態度でした。そして、財政出動よりも「構造改革」や「金融システム健全化」を優先し、あえて厳しい政策をとって、膿を出し切ろうという考え方でした。しかし、結果的に膿がたまって、経済が腐り始めたのです。
日本の省庁は前例主義が原則ですが、財務省は大蔵省の時代から、財政均衡主義に固執してきました。森永卓郎氏の言葉を借りれば「1円でも多く増税し、1円でも多く歳出をカットする財政緊縮路線」(『ザイム真理教』)を貫いてきました。彼らは自らを完全に「国の金庫番」だと思い込んでいます。財務省の大きな役割の一つに財政政策によって景気を浮揚するというものがあるのですが、全くそれについては等閑視してきました。
景気が悪いというのは、市中に通貨が回っていない状態を意味します。その場合、日銀による金利引き下げと、政府による積極的な財政政策が求められます。状況によっては国債を発行してでも有効需要を創出すべきというのが、現代貨幣理論(MMT)の教えるところです。ところが、財政政策をせず、金利を上げるという真逆の対応をしたのです。
(「www.amazon.co.jp」)
国債発行と信用創造の本質
日本には、建設国債と赤字国債という独特の分類があります。一般的に、返済する見込みがあるか否かで区別されていますが、国債に「赤字国債」と表記されている訳でもなければ、両者の利率が違う訳でもありません。この分類は大蔵省・財務省が「建設国債までは容認するが、赤字国債は原則的に禁止」とする考えから生まれた政治的レトリックと言えます。
財務省は国債を「国の借金」として捉えがちですが、実際には信用創造のためのツールという側面が大きく、経済を活性化する手段として極めて重要です。資金の流れが停滞している時には、国が積極的に財政支出をして、景気を下支えすることが求められています。
問題なのは、どの程度まで国債を発行できるのかということです。現在、国民の金融資産が2,000兆円くらいあります。そこまでは国債を発行できると思います。例えば、個人が融資を受ける場合、資産価値5千万のマンションに住んでいたならば、5千万円が融資を受ける限度額となります(実際には、4千万程度になるとは思います)。担保価値があるものをどの程度保有しているかによって融資を受けられる金額が異なります。そして、実際に融資を受けて、その5千万を消費すれば、その分経済の活性化にとってプラスに作用します。国債も一種の通貨ですので、同じ理屈で考えることができます。国民が出来ない消費行動を、国民の金融資産を担保にして政府が代わって行うということです。
(「旧・財源研究室」)
「金庫番国家」の裏側──財務省とメディアの共犯関係
1990年3月27日、大蔵省銀行局長・土田正顕の名で「不動産融資総量規制」という一通の通達が、全国の金融機関に発せられました。内容は新規融資の抑制を強く求めるものでしたが、その行政指導が1991年の12月まで1年9カ月続きます。基本的には、新規融資が出来ないということです。既に融資契約をしていた企業も対象となり、実際に融資が停止される事例も発生しました。「貸し渋り」・「貸しはがし」という言葉がよく使われていたのがこの頃です。この規制は、当時の次官と大蔵大臣の了承は得ていたものの、国会では全く審議されていませんでした。ほんの一握りの官僚たちによって重大な経済政策が決定されたのです。こういう実態を見れば、日本は形式的に民主主義の様々な手続きがありつつも、実質的に官僚が統治する「官治国家」であることが分かります。
さらに、大蔵省御用達の大手新聞社が礼賛記事を書きます。「地価バブルを完全につぶそう」(朝日)、「居座り許せぬバブル地価」(毎日)、「地価対策の手綱を緩めるな」(読売)、「地価は落ち着いても楽観できない」(日経)、「なにゆえ慌てる金融緩和」(東京)でした。このようなメディアの姿勢は、日清戦争の頃から見られた従軍記者による報道に酷似しています。新聞各社は戦意高揚を煽(あお)る記事を通じて部数を伸ばし、日本国民の気持ちを戦争協力に向けていったのです。軍部や戦争に批判的な内容の記事はほぼ皆無でした。そんなこともあり、国民は聖戦だと思い込まされていたのです。それと同じようなことが起きています。
そして知らない間に、大蔵省のバブル期の対応の失敗が企業の対応ミスになっており、責任が転嫁されています。例えば、毎日新聞は「失われた30年の教訓」(2024.4.30日付)という表題で長文の社説を出していますが、「最大の誤りは、バブル崩壊後の1990年代以降、企業が働き手をコストとしか見なさず、人員削減や正規から非正規雇用への切り替えを進めたことだ」と報じています。他紙もこの問題については、同じようなスタンスです。少なくとも財務省を批判するような内容の記事を見たことはありません。歴史の書き換えは、このようにして行われていくということでしょう。
(「日本経済新聞」)
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