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日本共産党を検証する(その1) ―― 創設の背景、組織原則、歴史分析の限界など

  • 2025年9月18日
  • 2025年9月18日
  • 政治
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「今は亡き立花隆氏が書いた『日本共産党の研究』(講談社学術文庫、1983)という書があります」

女性

「私が最も苦手とする分野です」

「戦前の共産党の活動史をまとめたものです」

女性

「全3巻の大作ですよね。戦後の活動については、何も触れていないのですか?」

「触れていませんが、彼の問題意識は戦後の党の体質は、戦前から繋がっているので、そこを丹念に調べれば問題点があぶり出されると思っていたフシがあります。「共産党の戦前史は、現在の共産党がその上によって立つルーツなのである」と書いています」

女性

「戦後のことに触れると差し障りがあると思ったのではないでしょうか?」

「そういう計算があるかもしれませんね。共産党は必ず反党的な言論だと言って、攻撃をしてきますからね」

女性

「戦前のことであれば、大丈夫なのですか?」

「歴史研究の一環と言って逃げることができます」

女性

「なるほど、ところでその本が書かれた頃の共産党は結構勢いがあったのでしょ?」

「そうですね、1980年代に書かれた本ですからね。今は、かつての勢いが無くなっています」

女性

「どうしてですか?」

「それをこれから解明しようと思っているのです」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「fuuca-design.jp」提供です」

 コミンテルンとの密接な関係

日本共産党は1922(大正11)年に、コミンテルン日本支部として創設されましたところが『日本共産党の百年』(新日本出版社、2023年)では、この経緯を伏せ、共産主義者のグループや個人が集まって結成されたと記しています。コミンテルンとは、1919年にレーニンが設立した「第三インターナショナル」であり、世界に共産主義を広めることを目的とした国際組織です。日本支部は1922年、中国支部はその翌年に設立されました。支部組織である以上、本部からの指導や資金援助があったのは当然といえるでしょう。

立花氏の書を読むと、今のお金に直すと何億円という資金の援助がその都度なされています。ただ、ある時はそれを個人的に遊興費として使ってしまい、その金額が余りにも大きいのでその出どころは一体どこかということで警察に目をつけられたという話も出ています。ソ連との関係、カネをめぐる怪しげな話など、突っかれたくない話があるため、コミンテルンとの関係に触れていないのだと思います。

日本共産党は今でこそ「自主独立の党」を強調していますが、立花氏の著作によれば、同党は極めて忠実にコミンテルンに従っていたとされています。彼は「日本共産党は、終始一貫、驚くほど忠実にコミンテルンに従った。コミンテルンの権威に疑いを差しはさんだのは、転向者だけだった」と記しています。つまり、戦前の共産党の歴史はコミンテルンと切り離せず、維持も壊滅も再建もすべてコミンテルンに依存していたということです。その忠実さゆえに、解党状態に至った側面も否めません。

(「Wikipedia」)

 民主集中制という組織原則

日本共産党を理解するうえで避けて通れないのが、民主集中制の問題です。「民主」という言葉が入っているため、一見すると民主的な制度のように思えます。しかし実態は、皆で決めたことに従うという原則を掲げながらも、決定過程では上部組織の意見が優先される仕組みです。形式的には討議を行いますが、不満があっても最終的には従わざるを得ません。

要するに民主集中制とは、指導部を守るためのシステムなのです。会議の運営によっては、あらかじめ用意された結論を党員に押し付ける場面もあります。政党である以上、決定には行動が伴うため、サークル活動のように自由に意見を残すことはできません。この仕組みについては「パンの代わりに石を与えられても、組織全体が気付かず石を食べようとする」と評されたこともあります。つまり、軍隊的な統制を政党活動に応用した組織原則といえるのです。

軍隊は上の命令を下部にいかに迅速に、かつ正確に伝えるかが重要です。下部の意見を聞いている暇(いとま)はありません。軍隊の場合は、任務の特殊性ゆえに許される組織系統ですが、それを政党に適用すること自体に問題があると思っています。平時から戦時体制をとっているようなものだからです。

(「ピクシブ百科事典」)

 歴史分析の不十分さ

『日本共産党の百年』を読んで気づくのは、日本の歴史分析がほとんどなされていない点です日本がどのような歴史を辿ったのかを正確に理解できなければ、革命の成否を論じることはできません。日本の国には他国にはない歴史の特殊性があります。天皇という存在をとってみても、特殊であることが分かります。西洋の王でもなければ、中国の皇帝でもありません。それも含めて日本の社会、統治のあり方についての考察が足りないというか、まったくなされていません。

同書は「資本主義は必然的に社会主義・共産主義へ移行する」という公式を信じることが大前提になっています社会主義・共産主義になれば、誰もが幸せになるし、それは間違いなく素晴らしい社会だと思い込んでいます。そして、資本主義から必然的に社会主義・共産主義に移行すると思っていますが、その必然性を論証していません。私は絵に描いた餅だと思っています。

分析不足という点で言うと、共産党結成当時の日本を「天皇が内政・外交の全体にわたる絶対的な権限を持っていた」と記していますが、これは憲法の文言をそのまま受け取った記述に過ぎません。実際には軍部官僚や内務省のキャリア官僚が実権を握っており、「天皇絶対の専制政治」という表現は中国や欧州の皇帝と同一視する誤解に近いものです。こうした不正確な認識は、日本の政治史の特質を見誤らせ、分析力の限界を示しています。結局、その程度の理解のままでは、現実の社会変革を論じることは難しいのです。

(「塾講師ステーション」)

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