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「自由競争市場」は人類の歴史と共に成長――「資本主義」だけを切り取って批判する発想自体が誤り / 『資本論』批判(1)

女性

「マルクスのカリスマ性というのは、本当に凄いのですね。私なりに調べて思いました。胸像も世界各地にありますしね」

「だから『資本論』という言葉を入れた本を出版すると、よく売れると言います」

女性

「『経済学批判』にかこつけて、『資本論批判』を書いてみたらどうですか?」

「批判したら売れないでしょう。弁護する立場、絶賛する立場でないとダメだと思います。日本には、社会主義・共産主義を信奉している「固定客」が結構いますからね」

女性

「私の父は、大学でマルクス経済学を学んだと言っていました」

「お父さんの世代なら、経済学を勉強すると言うと、「近経」にするか「マル経」にするかと最初に聞かれたと思います。それで、「マル経」を選択したのだと思います」

女性

「今もそうなんですか?」

「今は大学で「マル経」の講座を開設しているところは殆どないと思います。ちなみに、お父さんはどうして「マル経」を?」

女性

「実はそれを聞いて笑ってしまいました。「近経」は微積を使って難しそうなので、「マル経」にしたと言っていました」

「成る程、「マル経」は結局、資本論の時代の資本主義の仕組みを勉強することになってしまうので、経済学というより古典の学習になってしまうのではないかというのが私の見解です」

女性

「マルクスの考え方を現代の資本主義社会に応用することは出来ないのですか?」

「そういう柔軟性があれば学説が発展したのでしょうが、資本主義そのものを否定していますので、無理だと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 経済の考えはデフレーターが必要

前回のブログで書きましたように、マルクスはユダヤ人ですので、彼の民族としての思いを含ませながら解釈をしないと狂いが生じます。そして、天才と言われるほどの人でも時代を乗り越えることは出来ません。思想ならともかく、特に経済社会関係では無理な注文です。そして、もし学ぶ場合は、デフレーター(現代に合わせて学説を解釈し直すこと)をする必要があるのですが、マルクス信奉者はそのようなことを基本的に嫌います。マルクス教と言われる所以です。

ただ、それでは、高等数学を解くのに、九九を使うようなものです。

 

 「資本主義」だけを切り取る発想自体が誤り

人間は社会的動物だとアリストテレスは言いました。彼が生きている時代には、すでに貨幣も市場もあり、経済活動が営まれていました。人間の歴史とともに経済活動が始まっていますので、歴史が終わるまで、それは続くでしょう。

なぜ続くのか。それは市場のシステムには、人類の叡智が詰まっているからです。名付けて「自由市場経済」、もう少し詳しく言うと「自由競争市場経済」です。それが、人類の起源とほぼ同時に成立をして、現在まで続いています。マルクス主義者は、途中のある期間だけを「資本主義」と言って、そこに攻撃を仕掛けていますが、「資本主義」の本質が「自由市場経済」である限り、「資本主義」は人類の歴史が続く限り存続します。無くなることは、ありません。

(「わたしたちが安くて良い商品を買えるワケ~市場における競争の必要性」)

 「自由市場経済」である限り、競争も続く

資本主義の本質は、自由競争市場です。2つは、表裏一体のものですが、資本主義というネーミンーグの背景には、大量生産大量消費という意味が込められています。時代が進んで近代となり、西洋では科学技術の成果を生かして生産現場に最新機械が導入されます。いわゆる、大量生産時代の幕開けです。ただ、そこから競争が始まった訳ではなく、古代の時代より遥かに前から、経済活動が行われ、競争は始まっていたのです。競争と言っても、社会に殆ど影響のないようなものです。「10円なら買う」「15円でどうか?」「高いな、どうだ13円で」というやりとりは、当人たちは意識していないかもしれませんが、立派な価格競争です。

つまり、産業革命と同時に競争市場が突如出現した訳ではありません。もともと、人類の歩みとともに存在していたものです。産業革命期に、世の中の資本(お金や土地など)を元手に会社を設立して、当時の最新式の機械を使っての大量生産が始まります。この今までに見たこともない状況が現出します。マルクスがこの地上に現れたのは、ちょうどその頃なのです。

彼が目にしたのは、「町工場資本主義」と言ってよい状況でした経営者と労働者。その両者の間には埋め尽くすことができない溝があり、労働者だけが汗水を流して働いている不合理な社会と写ったのでしょう。

当時は民選議会の存在は、ポピュラーなものではありません。資本を持つ者と持たざる者、その対立を基軸にこれからの歴史は進んでいくと彼は思ったのです。(続きは次回にします)

(「Wikipedia」)

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