「さあ、今日はいよいよ明治憲法と日本国憲法を繋ぎたいと考えています」
「最初聞いた時は、えっと思いましたけど、今までの説明を聞いて段々納得してきました」
「戦後の学校教育の中で、変に洗脳されていますので、その2つは対立していると思い込んでしまっている人が多いと思います」
「教科書には必ず比較表が載っていて、いかに2つの憲法は違うのかということで教えられた覚えがあります。だけど、根本的な態勢は全く変わっていないということですね」
「かつては国体と言っていたのですが、シラス・ウシハクの権威・権力分離体制は少なくとも約1千4百年間、変わっていません」
「確立したのが天武期ですか? 」
「そうだと思います。それまでは大王(おおきみ)ですが、その頃に天皇という名称が定着します」
「そういった歴史を踏まえて大日本帝国憲法がつくられていく訳ですね」
「一番苦労したのは、欧米の法概念をそのまま日本に当てはめることができなかったことです」
「どうして、そのまま適用出来なかったのですか?」
「一番大きな原因は、国づくり、つまり国家の考え方が違うのです。欧米では、国を国民の対抗概念として捉え、そのための「武器」として権利(right)が唱えられます。日本は国と民は同じ大きな家(大宅/公)に住む家族と考えていたので、「臣」という字を使って臣民とします」
「氏姓制度の時代の臣(おみ)、連(むらじ)を使ったのですね。苦労が偲ばれます」
「あと、頭を悩ませたのは「right」の訳をどうするかです。直訳すると正義となるのですが、民が国家に対して何か要求することを「正義」と考えるのは日本では無理だと思ったのです。それで苦労して西周が「権利」という言葉を捻り出します。「権」というのは秩序ある社会、集団という意味です。利は利益に通じ「理」を意味する場合もあるので、2つを組み合わせて言葉を作ったのです」
「福沢諭吉がそれに反発したと聞いたことがあります」
「よくご存じで……。彼は、「通理」か「通義」にしろと言っています」
「違いはどこにあるのですか?」
「「権」というランクの高い言葉をあてなくても良い、その社会でたまたま相通じたような一つの考え方であり、道理であるということで、「通理」。分かりにくいというならば、「義」は儒教の言葉で馴染みがあり、それを使えば良いと考えたようです」
「そういったやりとりがあったのですね。ここからが本論です ↓」
目次
明治憲法と日本国憲法は、連続的に捉える必要あり
大日本帝国憲法 | 比較事項 | 日本国憲法 |
元首、シラス者、(象徴) | 天 皇 | 元首、シラス者、象徴 |
臣民として権利の主体者 | 国 民 | 国民として権利の主体者 |
シラス者から委任をされ統治権あり | 大 臣 | シラス者から委任をされ統治権あり |
国土と国民を守る陸海軍あり | 国 防 | なし (不戦主義という名の無防備) |
天皇が大権を発して対応 | 緊急事態条項 | 規定なし |
2つの憲法を簡単に比較できる表を作ってみました。比較する場合は、最も重要な項目について比較しなければ意味がありません。社会科の教科書を見ると、主権という項目を作っていますが、大日本帝国憲法は主権という言葉を使っていません。勝手に「天皇主権」という言葉を作って、国民主権と無理矢理対比させている教科書がありますが、イエローカードです。
そもそも、主権というのは、対外的に国家の存在を示す時に使う概念として出てきたものです。主権国家を独立国家と同意で使いますが、日本は島国のため有史以来江戸期まで、隣国と国境を巡って争ったことがないため、主権という概念は必要なかったのです。だから、明治の憲法に使うはずがないのです。
現在の憲法は、大日本帝国憲法の改正条項を使って、戦後の第90帝国議会で可決成立したものです。その歴史的経緯を踏まえて、2つの憲法は連続的に捉える必要があるのです。
シラス(知らす)、ウシハクで説明している中学教科書は自由社のみ
自由社の公民教科書には「日本は天皇の知らす国」と明確に書かれていますが、他の教科書にはありません。自由社の教科書には、こういう説明がされています――「『知らす』は豪族や外国の領主のように、領土や良民を私物として支配するのではなく、天皇が国民の心に寄り添いながら治めることだと理解しました」。それを踏まえて、起草者の井上毅は憲法草案の第一条を「日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(シラ)ス所ナリ」としたのです。ただ、この言葉は英米法にも、大陸法にもありません。伊藤博文は井上の考えを理解した上で、シラスは英訳すれば統治になるので、最終的に「天皇之ヲ統治ス」としたのです。ただ、これを統治権とすると別の意味になってしまいます。
1867年に「王政復古の大号令」が出されますが、その冒頭「徳川内府、従前御委任ノ大政返上、将軍職辞退……」の箇所に、「しらす・うしはく」の考え方が示されています。江戸幕府が天皇の委任を受けて「うしはく」をしていたが、国家にとって危急の事態が訪れたので、本来の「しらす」すべき皇室に政権を返上したということです。まさに、大政奉還であり、『古事記』が言うところの国譲りだったのです。
今度は返してもらった政権をどこに委任したのかということですが、それは憲法の前文に明記してあります――「朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク……」。読み取りにくいかもしれませんが、大臣に委任をしています。そして、このことは第55条にも規定があります――「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其の責に任ス」。つまり、明治維新というのは、シラス者の天皇の地位は変わらず、ウシハク者を将軍から大臣に変更したという意義があったということです。
(「yayoigaoka-seminer.com」)
現行憲法もシラス(知らす)、ウシハクで説明できる
日本国憲法の第1章は天皇についての規定です。これは大日本国憲法と同じ扱いです。そして、その第6条で、天皇が内閣総理大臣と最高裁判所長官を任命するとしています。このことは、天皇が「しらす」地位にあり、その意を受けて内閣総理大臣と最高裁判所長官が「うしはく」をする、つまり実際に統治をすることを意味しています。
このように天皇を「しらす」者として解釈しないと、象徴天皇がどうして内閣総理大臣さらには最高裁判所の長官を任命できるのかということに対して、明確に説明できないことになります。任命というのは、認証と違い、懲戒権を担保する強い権限だからです。
つまり、明治憲法で定められた「しらす・うしはく」体制は、象徴天皇制と名称が変更になったものの、根本的な統治態勢は本質的に何も変更されることなく追認されています。そして、その憲法は現在も改正されることなく存続しているので、日本は古代から令和の現在まで、「しらす・うしはく」の原理が連綿と続いている国、ということが言えます。このように、天皇の地位も含めてすべて、明治憲法と日本国憲法を連続的に解釈する必要があるのです。
(「和語の里-はてなブログ」)
この間、十七条憲法から五箇条の御誓文、大日本帝国憲法、そして日本国憲法を概観してきました。これらを、一連の流れの中で理解・解釈する必要があるのです。戦前と戦後をことさらに分断し、戦前からは学ぶべきものは何もない的な色眼鏡で時代を見つめても、何も教訓として導き出すことはできません。「賢者は歴史に学ぶ」と言います。約2000年の歴史の中には、学べば国や個人のために役に立つものが多くあります。現在の状況は、単にデータとして持ち歩いているだけで、余り活用されていません。活用するためには、問題意識が大事です。常に、歴史に問いかけ、そこから答えを導き出そうとする姿勢が大事です。
平和主義は憲法用語としては不適格
最後に、平和主義と緊急事態条項について。平和主義という言葉は、憲法用語としては不適格です。何故なら、平和は自国と周りの国の努力と協力によって成り立つ概念であり、自国の努力だけでは実現できないからです。憲法というのは、自国の統治の考え方を示すものなので、それに見合った言葉を使う必要があります。敢えて言うならば不戦主義でしょう。そして、この考え方を貫くならば、軍備は持てませんが、どう考えても現実的ではないので、早急に変える必要があるのです。
また、緊急事態条項が現行憲法にはありません。従って、強力なロックダウン(都市封鎖)はできません。現在は立法措置によって対処していますが、いろんな意味で苦しい対応になっています。何故苦しいかというと、誰かが店の営業を自分の生活権、営業権を理由に法を無視して営業した場合、それが裁判に持ち込まれた場合は、当然店側が勝訴すると思われるからです。憲法25条を根拠とした生活権、22条を根拠とした営業権を言われた場合、単なる国会を通過しただけの法律では太刀打ちできないだろうということです。実際にこのような裁判は起きていませんが、コロナ禍が長期化すれば、法を破っての営業も出てくると思われます。
今回のような事態よりも強烈な事態が、今後日本を襲ってくるかもしれません。今のうちに、緊急事態条項を入れるため、憲法改正に着手すべきでしょう。隣国へのプレッシャーにもなります。
(「産経ニュース」)
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