「「女性議員飛躍の会」というのが、あるのですね。そのメンバーである自民党の稲田朋美議員が『女性のいない民主主義』からの脱却を目指して、これからも頑張ります!とツイートしています」
「女性議員は新内閣には2人、党4役にはいません。そのことに少し憤っているようなツイートです」
「それをどう評価するかということですが、女性の立場からすると少ない感じがしますが、どのように考えますか?」
「平等を考える時に気を付けなければいけないことが3つあります。1つは、平等という観念は、西欧社会が生み出した観念だということ。2つ目は、単純に現在の到達点を他と比較して論評するのは間違いであること。3つ目は、平等は形式的平等と実質的平等があるということ。それらを踏まえて論じる必要があります。以上3つですね」
「世界経済フォーラム(WEF)が毎年「ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)」を公表していますが、参考までに順位をお知らせしましょうか」
「日本の場合は、男女平等が謳われたのは戦後になってからです。そのため、高くはないと思っています。そういったものは経済関係のランキングと違い、歴史の積み重ねによってランキングが左右されるからです」
「ちなみに、順位は何位くらいだと思いますか?」
「想像がつかないのですが、そういう質問をするということは、相当に低いということですね」
「2019年版(対象国数/世界153カ国)によりますと、日本は121位と昨年の110位から11順位を下げ、過去最低の順位でした」
「近隣諸国の状況は、どうだったのですか?」
「中国は106位で、韓国は108位で、それより日本の方が下だったのです」
「それは意外だと思いますが、身近なところから改めることができれば良いと思っています」
「男女平等が憲法に規定されて4分の3世紀しか経っていません。それを斟酌する必要があると思います」
「ここにきて、ようやく稲田議員のような問題意識をもつ人が出てきたということではないでしょうか」
「ここからが本論です ↓」
平等には、形式的平等と実質的平等がある
平等というのは、形式的平等と実質的平等があります。世界経済フォーラム(WEF)が用いている「ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)」によって男女平等のパフォーマンスを論ずるのは早計だと思っています。そこで使われている指数は、「ジェンダー間の経済的参加度および機会」「教育達成度」「健康と生存」「政治的エンパワーメント」の4種類です。それらは、すべて数値で表されるものなので、形式的平等の指標です。
西欧的な男女平等の発想は、形式的平等に基づくものです。形式的平等というのは、目に見えるかたちで示され、誰にでも分かります。実質的平等というのは、その「裏側」に流れている理念を理解しないと判定できません。
どういうことか。例えば、硬式野球の試合に女子をどのようなかたちで参加させるかという問題を考えてみましょう。3通りあると思います。女性はすべて関わらせないこととする、マネージャー業務だけを女子にお願いする、登録選手の半数は女子の選手とする、この3通りでしょう。
硬式野球はバットが重く、球速があるので女子ではかなり無理があると思います。そのため、前2者が実質的平等による判断となり、最後の処置が形式的平等の考えに基づく判断となります。チームの中に女子を入れることが平等と考える場合は、体力的な素養の問題があるので、長期的に女子選手を育成するプランを考える必要があります。
幸福追求があっての平等権の主張
今の論議のトレンドを見ていると、もっぱら形式的平等の観点からのみの主張が多いように思えます。そこにおいては、世界ランキングを判断する指標が形式的なものになっているため、その考えに流されてしまっているところが多分にあると思います。ちなみに、男女平等世界ランキングは以下の通りです。
1. アイスランド(1)
2. ノルウェー(2)
3. フィンランド(4)
4. スウェーデン(3)
5.ニカラグア(5)
6. ニュージーランド(7)
7. アイルランド(9)
( )内の数字は前年度のランキング
その他G7の国々のランキングは、ドイツ10位、フランス15位、カナダ19位、英国21位、米国53位、イタリア76位で、日本はG7の中で最下位という結果でした。ただ、何回も言うようですが、これらは形式的平等にもとづくランキングだということです。
先程の硬式野球のことを例にとると、世界ランキングの指標は、チームの中に何人女子の選手が入っているかで判断しているのです。日本は、もともとチームの中に入れるつもりはありません。むしろ、外で応援する側にまわってくれた方が、お互いが幸せだと考えるからです。日本には、夫唱婦随という言葉があります。両雄並び立たずなので、家庭内で覇権を争うようでは、お互いが幸せになれませんし、何のための平等権なのかが分からなくなるからです。
形式的に平等を考えるのか、それとも実質的に考えるのか。どちらが正しいのか、両方とも正しいと思います。選手の中に女子を入れるのも一つの考え方、女子は選手としてグラウンドでプレィはさせないとするのも一つの考え方です。どちらを選択するかは、その国の歴史や文化と絡んでくることです。問題なのは、一つのモノサシで判断してしまうことの危うさなのです。
日本社会の状況を男女平等パフォーマンスで分析する
日本の評価は、項目ごとに優劣がはっきりしているのです。読み書き能力、初等教育(小学校)、出生率の分野では、男女間に不平等は見られないという評価で昨年同様世界1位でした。
その一方で、中等教育(中学校・高校)、高等教育(大学・大学院)、労働所得、政治家・経営管理職、教授・専門職、国会議員数では、男女間に差が大きいとの評価で世界ランクがいずれも100位以下です。その中でも、最も低いのが閣僚数で139位。国会議員数でも135位とかなり低い数字となっていますが、それらをどう見るかということです。
日本政府によると女性議員の割合は衆院で9.3%に満たず、列国議会同盟の調査では193か国中163位でした。2015年時点で、フィンランドでは42%以上のもの女性議員がいるそうですが、ここまで来るのに110年かかったと言っています。
女性議員の割合を増やす必要があるというならば、その目標値を設定して、いつ頃までに到達する必要があるのか、そのためにはどのような環境整備をする必要があるのかといったことを考える必要があります。
そもそも、会社の取締役の中に占める女性の割合、学校現場で言えば、校長や教授に占める女性の割合、それらもヨーロッパ各国と比べて低いです。これは日本の社会が長年にわたって男性中心で動いてきたという歴史的な経緯の中で起きていることです。これに対して「男女平等」という掛け声一つで数字が急に改善することはありません。現実の世界は漫画の世界ではないからです。
改善が必要だと言うならば、達目標をいくつかに分けて順番にこなしていくということを考えなくてはなりません。ただ、日本の場合は、形式的な男女平等社会に向けて進もうという合意ができていないと思っています。例えば、女性の国会議員を増やせという国民の声が強いとは思えません。それは、全体を見渡して大所高所から意見を述べる女性議員が殆どいないということと関係があります。
形式的なのか、実質的なのか、どこの分野を改善する必要があるのか、そこから始める必要があるでしょう。
読んでいただき、ありがとうございました。
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