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情報や知識、データなどの組み合わせが富を生む時代 / 新しい資本主義の時代が密かに進行している

  • 2020年11月12日
  • 2020年11月12日
  • 教育論
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「経済は生き物という言葉を聞いたことがありますか?」

女性

「大学の一般教養で経済学を受講した時、教授が最初に言った言葉がそれです」

「えっ、そうなんですか!その後は何と言ったのですか!」

女性

「よく覚えていませんが、要するにどのように動くか、予測しづらいものであるということの例えとして生き物という比喩の話をしたと記憶しています」

「私は経済編に入る時、それまで習った政治と対比して説明することがあります。政治編で扱う法や制度はどちらかと言えば固定的だけど、経済は流動的ですと言います」

女性

「景気の波のイメージですね」

「その波を人類はコントロールすることはできてないんだよ、という話をします」

女性

「そのことで前から不思議に思っているのですが、経済活動は人間が主体になっているのに、どうしてコントロールできないのですか?」

「考えてみれば不思議ですよね。それは、人間の思惑が直接市場に入ってくるからだと思います」

女性

「どういう意味ですか?」

「売ったり、買ったり、モノを生産したりする際に必ず「儲けたい」とか「安く買いたい」といったことを思いながら経済活動をするということです」

女性

「なるほど、そうなると今後はそういった動きが今まで以上に強く動くようになりそうですよね」

「これからはモノを作ったり運んだりという資本主義から、情報や知識が主導する経済に移行するので、強く振れるようなことはなくなるとは思いますが、予測は今まで以上につきにくくなるのではないかと思っています」

女性

「そうすると、大きく何か変わるものはあるのでしょうか?」

「これからは単純に大量生産したものを売るという時代ではなく、モノとモノ、モノとサービス、無価値なものを商品、新たなサービスなどを考える時代なので、学び方と教育が大きく変わるだろうとドラッカーは言っています。さらに、続けて、「知識社会が必要とする教育制度を手にしている国はない」と指摘しています」

女性

「これからが腕の見せ所ということですね」

「見せることができれば良いと思いますが、日本政府は教育を一段低く見る傾向があります。今の認識では駄目だと思っています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 資本主義社会の次は、「知識社会」 (ドラッカー)


経済学の本で教育論を展開すること自体珍しいのですが、ドラッカーは『ポスト資本主義社会』の結論部分に教育に関する記述に多くのページを割いています

彼は、資本主義社会の次に来る社会を「知識社会」と定義づけた上で、そこでは学校の役割が極めて重要になると言います4つの要件を挙げています。一つは、読み書きを超える高度の基礎教育二つ目は、継続学習の習慣。三つ目が、再教育のシステム。四つ目が、他の機関との競争と提携です

 

 高度の基礎教育と継続学習の習慣

読み書き算盤(算術)とかつての時代は言ったことがありました。それは当然のこととして、それプラス、アルファーが求められます。文明が進展すればするほど、学習内容は当然難化するのは当たり前です。教える側のレベルも上げる必要があります。教師の問題意識が高ければ、子供たちの学習が高度化するからです。

そして、その子の能力を見極めて、その能力を伸ばす教育が一人ひとりに保障される必要があります。一斉授業で基本的なことを教えますが、理解できない子が必ずいるので、それをフォローする態勢をとります。端末を有効に活用して、落ちこぼれた子がいないかを見ます。出来れば、1クラス2人の教員を割り当てるようにします。一人の目では見逃してしまうことも、2人で見ることによって、新たなその子の特性や能力を発見できるかもしれないからです。

教える側も、一人よりも二人であれば心強いですし、チームを組むことによって精神的なゆとりも生まれます。教育技術を共有することができます。素晴らしい技術であれば、受け継いで他のメンバーに伝えていくこともできます。現在の1人で何でも教えてしまうという方法では、仮に素晴らしい教育技術や指導の仕方をもっていたとしても、結局は後輩に伝わることなく消えていきます。考えてみれば、大変な損失だと思います。教育技術もオープンにして、良いものは後世に伝えていくようにするべきでしょう。

そして大事なことは、人間を育てるという観点です。単に、学問内容を教えただけで済ますようでは、人間は育ちません。人間はロボットではありませんので、プログラミングをするかのように勉強を教えるだけでは駄目なのです。無機質な人間を増産するだけです。現在の状態がまさにそうです

どうすれば良いのか。人間と動物の違いは、自分の成長と向上のために目標を立て、それに向けて継続して努力しようとするところです。継続して努力するためには、エネルギーが必要です。子供の場合は、そのエネルギーを自分の力だけで賄うことはかなり難しいと思います。

家族や友人、地域の人たちや学校関係者、それらの人たちが発するエネルギーを上手くまとめて、子供たちに与えることができる人が必要です。その役割を担当の教師が上手く担う必要があります。人間を育てるためには、このような視点が必要なのです。教科書の活字を読ませていただけでは、ダメなのです

 

 再教育のシステム

学校もまた継続学習に向けて組織されなければならなくなる学校は開かれたものとならざるをえない」「今日当然とされるべきは、学校教育を受けるほど、再び学校教育が必要になるとの新しい原則である。すでにアメリカでは、医師、弁護士、技術者、企業経営者は時代遅れにならないために、数年ごとに学校に戻ることが当然となっている」(ドラッカー『ポスト資本主義社会』)とのことです。

日本では、学校は卒業したら、もうそこは戻る所ではなく懐かしむ所という意識があります。ところが、これからの時代はそうではないのです。ドラッカーは「成人が学校に戻ることが常識になっていく」と言います。何のためか。社会で再び有用な人材として活躍するために、自己を充電するために学校で学ぶのです

そうすると、学校自体も変わらなくてはなりません。年齢に関わらず、いついかなる場合でも、臨機応変に受け入れられるように新たにシステムとカリキュラムを考える必要があります。まさに、生涯教育が文字通り実現します。ただ、そのためには小、中、高、特に高校では従来の文系、理系の枠を取り払う必要が出てきます。どのような社会になるか分からないので、何にでも対応できるように幅広く学んでおく必要があるのです

 

 他の機関との競争と提携が進む

競争は学校と塾や予備校との間、大学と専門学校の間で今以上に起きるでしょう。学校は知識の多様さを教師だけでは賄いきれなくなり、企業や各種団体、学会、大学、民間団体などとの提携を深めていくことになるでしょう。

「何を教え、何を学ばせるか。学校の顧客とは誰か。社会における学校の役割はいかにあるべきか。これらの問いに対する答えのすべてが、今後数十年の間に劇的に変わっていく。学校ほど根本的な改革を迫られている機関はない」(ドラッカー 前掲書.264ページ)

変化できるものだけが、生き残ることができます伝統校ということに胡坐をかく時代ではなくなりつつあります。学校関係者は準備をし始める時期です

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