「不登校が29万人ですって。私の子も小学生なので、心配になってきました」
「不登校の子が、お子さんのクラスにいるのですか?」
「いや、聞いていないのでいないと思いますけど……。ただ、ウチの子はそういうことに気が付く子ではないので、分かりませんけど」
「文科省が、直接実態調査に入るみたいですけどね」
「現場を信用していないのですか?」
「フィルターをかける学校もあるので、正しい状況を把握したいのだと思いますよ」
「去年が24万人、今年が29万人と子どもの数が減っているのに、増えているのは心配ですよね」
「このままだと、更に増えるでしょうね」
「ただ、何となく気になっているのが、社会全体が無理して行かなくても良いのではという雰囲気が出来つつありますよね」
「それは私も感じます。私の時代は、学校は行くものという感覚でした。行かないという選択は確かになかったですね」
「私の時代もそうですよ。勉強そのものが目的というより、給食とか、友達と遊べるし、行けばそれなりに楽しかったですけどね」
「それで良いと思いますけど、そういったことすら今の学校が創り出せなくなっているのでしょうね」
「ここからが本論です ↓」
増え続ける不登校
2015年度の不登校生徒は12万5千人、それが7年後には倍の25万人となり、現在は29万人という凄まじい数になりました。
さらに、不登校でそのことを相談もしていない、つまり不登校自体を別に問題と考えていない割合も上昇傾向を示していて、現在40%です。
こういった原因をどのように考え、どのような解決の方向性を出すかということです。根本的な原因は、全国一律教育にあります。江戸時代の教育は世界トップ水準だったと言われています。識字率が70%位であっただろうと言われています。開国してすぐに近代化に進めたのは、幕末期に地方ごとに特色ある教育によって人材を育成していたからです。
(「読売新聞オンライン」)
教育機会確保法が不登校を増やすことに
2017 年 2 月に「教育機会確保法」(義務教育の段階における普通教育に相当 する教育の機会の確保等に関する法律)が施行されました。要するに、何らかの事情によって学校に通えなくなった子供たちに対して、様々な手当てをしなさいという内容の法律です。
立法趣旨は分かるのですが、こういう対処療法的な発想で法律を作ると、大体が上手くいきません。結局、受け皿の「フリースクール」が多く作られ、学校には行かなくても良いという雰囲気が作られることになります。そして、さらに不登校が増えることになります。上のグラフを見ると、それまでは横ばいだったのですが、2017を境に加速度的に増えています。
そして、「フリースクール」も学校の代わりのスクールなのか、最終的に学校に行かせるためのスクールなのか、二つに分かれているように思えます。いずれにしても、「フリースクール」は正規の学校ではありませんので、卒業をしても資格とは認められないこととは確かです。この「フリースクール」を最終的に制度の中に位置付けるのか、それともあくまでもサポートのままにしておくのか。文科省はそのあたりを考えないといけないと思います。
(「長野県飯田市のフリースクール・民間学童保育」)
諮問教育行政が続く限り教育は停滞する
文科省の役人は、国家公務員上級試験(総合職、甲種)に合格した人たちの中から採用されます。教育行政の担い手ですが、教育現場の経験がある訳ではありません。時々の教育のテーマについては中教審に諮問をして回答をもらい、それを現場に流していくというかたちを取っています。
ただ、問題なのは中教審の審議委員も現場の経験がある人が殆どいないことです。結局、現場を知らない者同士でキャッチボールをして、出てきたものを教育委員会に通達しているという状態です。
「主体的、対話的、個別最適な学び」(文科省)と言うならば、教育課程編成権を地方の教育委員会に渡してしまって、地域の実情に合わせた教員養成と教育営為を地域責任において行うようにさせた方が上手くいくと思っています。江戸時代は各藩が藩校を作っていました。もちろん教育課程は各藩の考えによって大きく違いました。例えば、熊本はディベートや体育が主の教育を行い、佐賀藩は記憶中心の詰め込み教育をしました。
佐賀藩出身の大隈重信はそのような詰め込み教育では創造性が養われないと言って、早稲田を創設したのです。
(「高田馬場経済新聞」)
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