「眞子さまが結婚をされましたね。結婚内定から4年ですよ」
「週刊誌が騒いでいたのは知っていたのですが、どうしてこんなに遅れてしまったのですか?」
「彼のお母さんの問題です。それが一番の原因だと思います」
「まあ、そういった困難を乗り越えて結婚できたのだから、良かったといっても良いのではないでしょうか」
「それは男の人の価値観だと思います。華やかなドレスを着て、皆さんから祝福される結婚式を挙げられないまま、アメリカに行っちゃうんですよ。何か、可哀そうだと思いませんか」
「眞子さまは、上皇陛下にとって初孫でしたよね」
「そういうふうに考えれば、今回の件はすべてにおいて異例な事態と言えると思います」
「秋篠宮家の見送りのシーンをテレビで観ました。佳子さまと抱き合っていましたね。多分、皇室の女性があのように振舞うのは珍しいと思います」
「あれを見て、一瞬ぐっときてしまいました。いろいろな思いが詰まった抱擁だったと思います」
「ただ、皇室関係者で恋愛結婚によって皇籍を離れる方は、彼女が最初ではないでしょうか?」
「由緒正しい家柄の方は、見合い結婚ですものね」
「家を存続させるという大きな目的がありますからね。個人の幸せは、その中で考えるということです。ただ、今回の一件で女系のイメージが国民に何となく知らせることができたのではないかと思います」
「女系が良いとなれば、お二人のお子さんが天皇になることもあり得るということですからね」
「ただ、その瞬間に小室家が天皇家の中心になります」
「ということは、小室さんのお母さんが天皇の祖母になるということですね」
「そうですね、自動的に皇室関係者になります」
「女系容認の怖さが、何となく分かるような気がします。ここからが本論です ↓」
目次
皇室があることによって、国家の品位と権威が保たれる
皇室があることによって、国家の品位と権威が保たれます。イギリスには王室がありますが、フランスは18世紀の市民革命で王室を無くしてしまいました。今頃になって悔いています。王室外交ができないからです。
日本の皇室は、世界に類を見ない歴史と伝統を有しています。現在の天皇陛下が126代目です。世界一古い王朝を有しているのが、この日本なのです。皇室の存在そのものが、日本の文化でもあるので、政治の責任においてそのままのかたちで未来に引き継ぐ必要があります。
憲法によれば、総理大臣、最高裁判所長官の任命、外国の大使、公使の接受、文化勲章など栄典の授与は天皇陛下が対応されますが、それ以外のご公務を皇室のメンバーで手分けして行っています。今回、眞子さまが皇室を離れますので、今まで携わってきた公務を誰が引き継ぐのか、あるいは空席にしておくのかといった問題が生じると思います。この約10年の間に、今回の眞子さまを含めて、お3方が皇籍を離脱されることになりました。中には、結婚後も元皇族としていくつかのご公務を継続した例もあるのですが、眞子さまはすべて退任されてアメリカに渡られます。
国民的な行事に皇室関係者が臨席していただくだけで、威厳が出ますし、団体の名誉総裁にでも就任していただくだけで団体の権威と信用が一気に上がります。そのため、多くの要請が宮内庁にあると思いますが、対応し切れていないというのが実情だと思います。
公務は国内だけでなく、日本と外交関係を樹立した国からの訪問要請もあります。記録によりますと、眞子様は5年連続で7か国36都市を訪問されています。これを誰が引き継ぐのかという問題が、これから出て來ることでしょう。そういったことと、皇位の安定的継承を併せて考えるならば、旧宮家の復帰を真剣に考える時でしょう。女性天皇はともかくとして、女系天皇は論外です。
(「nippon.com」)
象徴天皇制の原型は天武朝の時代につくられる
象徴天皇制の成立を戦後と思っている人が結構多いのですが、象徴天皇制の原型は、はるか昔の7世紀の天武朝の時代に形づくられます。
その辺りのことについては、今谷明氏の研究に負うところが多いのですが、先人は日本の社会を安定的なものにするために、皇室制度を導入したのです。確立するまでは、試行錯誤の時代が続きました。天皇が権力者として振舞った時もありました。中国の王朝政治の情報も入っていたと思いますので、当然それらも参考にしたでしょう。
古代の象徴天皇制の確立において大きな役割を果たしたのが天武天皇です。白村江の戦い(663年)で日本は唐と新羅の連合軍に惨敗します。3万人の兵力を失くしたと言われています。凄まじい戦いであり、手痛い敗戦であったことが、その犠牲者の数から想像できます。
天武天皇はその敗戦を契機にして、中国に対する防衛を意識するようになります。軍事的な備えと国内組織の整備に乗り出します。中国の歴代王朝の統治システムも当然参考にしたでしょう。隋が興り、すぐに唐が興るという歴史の巡り合わせに遭遇したのも大きかったと思います。隋ほどの大国、その以前では3世紀の秦もそうですが、どうして滅びてしまったのか。中国で起こることは日本でも起こるかもしれない。それを防ぐには、国内組織をどのようにすれば良いのか。思案の日々だったと思います。そこで辿り着いたのが、中国の国家づくりと逆発想の国づくりを思いつくのです。
皇統の安定的確立と継承は、国の安定的存立に繋がる
権力を一人もしくは一つに集中するので標的にされてしまう。良い時は良いのですが、一度歯車が狂い始めると滅びの道を歩み始める。中国の皇帝は、権威と権力を一身に集めた存在です。それに相応しい人物が君臨していれば良いのですが、人間には寿命があります。代を継いだ者が、皇帝として振舞うことができるかどうかは定かではありません。そのような偶然とか運に任せるような国づくりは出来ないと考えたのです。
代を継いで常に安定した国となるために、権威と権力を分離するアイデイアを考えだします。それを制度化したのが象徴天皇制です。その時々の権力者が天皇を擁して実権を握って政治を行います。権力者の中には、天皇になり代わろうとする者が現われるかもしれませんので、それを防ぐために男系という血筋を絶対条件としたのです。歴史的に見ると、2人くらいが天皇になり代わろうという画策をしたようですが、その条件と伝統の重みの前に野望は打ち砕かれることになります。
皇統の安定的確立と継承は天皇家だけの問題ではなく、国の安定的存立と大いに関係があるのです。
(「KADOKAWA」)
女系天皇や女性宮家創設は、国の混乱の元となる
日本という国を弱体化させたいと思っている勢力は、その権威を弱体化させるための動きを見せ始めています。女系天皇はその一つです。「天皇の制度について、憲法に照らして女性天皇、女系天皇、女性宮家を認めていくべきだ」(志位委員長)。「憲法に照らして」というのは、具体的には平等権(14条)を指していると思います。男女平等を理由に女系天皇や女性宮家を言っていますが、平等権とは次元の違う問題です。
そもそも平等権が歴史的に成立したのは18世紀です。そのはるか以前に天皇制は成立しています。伝統や文化については、今までの「流れ」をモノサシにして考えるべきなのです。祭りの神輿を誰が担ぐのか、相撲の土俵のしきたりなど、伝統や文化を継承する場合は、今までのルールを優先して考えるべきなのです。そこに途中から出てきた規準に変更すれば、混乱が生じるだけです。女性天皇はありですが、女系天皇、女性宮家は前例がありません。天皇制のルール変更は国の混乱の元となります。
(「短鎖脂肪酸/ユコサンテ液」)
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