「女性活躍推進法という法律があることを知っていましたか?」
「ゴメンなさい。知らなかったです。今は、『女性活躍』という言葉が前ほど聞かなくなったような気がしますけど……」
「女性活躍社会を目指すということでは、国民の合意が出来ていると思います」
「家庭内で活躍することは、想定していないのですか?」
「それは極めて日本的ですが、法の求めているのは企業社会の中で活躍する女性をもっと増やそうということでしょう」
「ただ、女性の場合は男性と違って2つのタイプがあると思っています。キャリアウーマンタイプと家庭内でのマネージメントに生き甲斐を感じる人です」
「確かに、男の場合は、家の中に入りたいと言う人はいませんからね」
「ただ、そういった男女の気持ちや価値観の違いは余り考慮されず、とにかく女性は外で活躍することが大事だと急に言われ始めた感じがしています」
「確かにそうですね。女性活躍推進法は2016年に10年の時限立法として制定されています」
「法律の『名宛人』は誰ですか?」
「企業ですね。100人以上雇用しているような企業に対して、女性の活躍する場をつくって下さいという趣旨内容となっています」
「成果は出ているのですか?」
「日本の場合は特に、男女の役割分担の問題に絡むので、急に数字が良くなるとは思っていません」
「確かに、そうですよね。法律一つで社会がそちらに舵を切る程、単純ではありませんものね」
「話は変わりますが、ところで、あなたはどちらのタイプですか?」
「えっ、私ですか? 私はどちらかというとダンナや子供たちの面倒を見るという後方支援タイプだと思っています」
「それは意外ですね。人は見かけに……。イヤ、止めましょう。最近は、こういう話が出来にくくなりましたね」
「そうかもしれませんね、ここからが本論です ↓」
平等という概念をそのまま現実の世界に適用しようとする愚
平等という概念は、歴史的には18世紀の市民革命期に生まれた概念です。それが明治期の日本に入ってきたのですが、当時の日本人にはどういう意味なのか分からなかったと思われます。それで福沢諭吉が「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉で平等を説明したのです。儒教の中には天命という言葉もありますし、当時の庶民は「天罰」、「天の神様」を普通に使っていましたので、天という言葉と上と下を組み合わせれば、誰でも理解できるだろうと考えたのです。
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ただ、平等という概念は、結構やっかいな概念だと思っています。一つの理念なり目標として掲げる分には良いのですが、それを具体的な数字に表して追い求めるものではないと思っています。追い求め始めた瞬間から、逆差別が発生することがあるからです。使い方が難しい概念だと思います。
どういうことか。「人間平等」、「男女平等」は正しいスローガンとして用いられています。何故、正しいのかと言えば、抽象的な「人間」、抽象的な「男女」しか、そこには登場していないからです。しかし、現実の世界は、個性をもった男女がそれぞれの価値観をもって生活していますので、そこに抽象的スローガンを当てはめようとすると、必ず矛盾が生じるということです。
平等には形式的平等と実質的平等がある
平等には形式的平等と実質的平等があります。1つのケーキを兄弟3人で分ける時、1/3ずつ分けるのが形式的平等です。年齢や食べる量を考えて1/2、1/3、1/6に分けるのが実質的平等です。単純な例なので、どちらで分けても平等で正しいのですが、実際の社会では使い方を間違えて逆差別になることもあります。
韓国の文大統領は当選した2017年当時「フェミニスト大統領になる」と言って、それまでの韓国のジェンダーフリーの政策を引き継ぐことを公約したのです。韓国の女性政策は約20年位前からスタートしています。2001年には女性省、女性部(ジェンダー平等部)、2005年には女性家族部を発足させ、議員選挙や大学の教員や企業の雇用分野にクオーター制を導入しています。クオーター制というのは、簡単に言えば特別枠ということです。ただ、女性だからという理由で特別枠がもらえ優遇されれば、男性側からそれは男性に対する差別だという声が当然出てきます。
アメリカでは、アファーマティブアクション(affirmative action/「積極的格差是正措置」)と言われ、もともとは、1965年にアメリカのジョンソン大統領が大統領執行命令のなかで、職業における積極的な差別是正措置を求めたことが起源とされています。マイノリティに対して大学入試や就職、昇進において優遇的な措置を推進するようになりました。そういった流れが世界に広がり、韓国もそれに影響を受けての措置だと考えて良いと思います。ただ、本家のアメリカでは各州で見直しが進んでいて、カリフォルニア州、ワシントン州では全面的に廃止、フロリダ州では教育の場面での優遇が廃止になっています。アファーマティブアクション自体が、憲法違反ではないかという意見すら出ています。
(「ニコニコニュース」)
どちらの「平等」を適用するかが一番の問題
雇用や人材の採用は個人の能力や適性、さらには会社の事情を踏まえて、個々のケースに合わせて決定されるものです。つまり、性別に関係なく、あらかじめ定められた基準に基づいて採用するべきものです。そして、その結果において男女差の極端な偏りがある場合は、採用の場面で数合わせ的に調整するのではなく、その原因を分析して、そこから改善するべきことです。
クオーター制を導入する場面というのは、人の羨望が働かないようなものを単純に配るというような場合では有効だと思いますし、余り苦情も出ません。例えば、日本のコロナワクチン接種の仕方はクオーター制の考え方が採り入れられています。高齢者優先でまず接種をしました。そこには、それなりの理由があったのですが、特に大きな不満も苦情もなく国民に受け入れられたと思っています。
クオーター制は、実質的平等に基づいた考え方ですが、このように適用する考え方は形式的平等なのか、実質的平等なのかを考えないと「逆差別」の問題が出てくるということです。人間社会を治める難しさが、こんなところにもあるのです。
(「ミツカリ」)
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