「今日は前回の続きで、蘇ったフランケンシュタインの話を……」
「それに関連して、今日の「産経」(7/7付)に石平氏が興味深い文章(「全世界の方向性まで示す習主席」)を載せています」
「石平(せき・へい)氏というのは、中国の方ですか?」
「中国の四川省の出身ですが、20代で日本の大学院に入学をされ2007年に日本国籍を取得して現在は評論活動をしておられます」
「中国の事情に詳しそうですね」
「独自に中国の情報を得ておられると思います。いつも興味深いデータや話を紹介してくれます」
「今回は、何を?」
「記事を読んでさもありなんという感想をもったのですが、要するに最近の習主席関連のニュースには、全世界の人々が進むべき方向を彼が、つまり習主席が示しているという冠表現が付き始めたということです」
「それは、どういう意味として解釈すれば良いのですか?」
「2つの意味があると思います。一つは、中国の経済力・軍事力の高まりに対する絶対的な自信。もう一つは、その方向性しかないと思い込み始めている政治的な危険性です」
「前者のような中国にしたのは、アメリカと日本に責任があるという前回のお話でしたよね。後者は、今後の日本に影響を与えそうですよね」
「このままいけば、ロシアのように暴発して台湾、沖縄あたりのラインが攻撃を受ける可能性があります。人間が一番怖いのは、思い込みなのです」
「それしかないという思い込みが犯罪を引き起こしていますからね。その理屈は、分かります」
「政治家や統治者も同じです。自分が立てた目標に高速で行き着こうとします。スピードが出れば出る程、周りは見えなくなります」
「思い込みの強さが、スピードなんですね」
「政治的に最も恐れなければいけないのは、独裁者の思い込みです。外交努力と言いまいすが、各国の首脳は、独裁者が思い込みをしないよう、客観的なデータに基づいて冷静な頭になるような話をし続ける必要があるのです。独裁者の周りは、全員「よいしょ」します。止めるのは、国外の首脳の説得的な話しかないのです」
「国外の方も「よいしょ」する方がいますからね」
「相手にとって心地の良い言葉を言うことが友好ではないのです。勘違いしている方や国があると思っています」
「ロシアと中国は、お互い「よいしょ」している感じですよね。ここからが本論です ↓」
社会や歴史の流れは、人の予想を超えることがある
社会や歴史の流れは、何かの原因で違う方向に変わります。流れが変われば、その対処方法も変わります。場合によっては目標そのものの変更が生じるかもしれません。その辺りは、自然との格闘と同じです。
ところが、人や政党によっては、何があっても目標を堅持するし、それが正しい生き方・あり方だと頑なに思っている場合があります。勿論、内容によっては美談として語り継がれるようなこともあります。偉人の話には、そういう話が多いと思います――99回実験に失敗して最後の1回に成功して、人々が喜ぶような発明、発見をした。
名もない市井が目標を立ててそれに向けて努力するのは美談ですが、権力者の場合は、多くの場合違った結果をもたらすことが多いのです。それは何故なのか。社会や歴史の流れは、時には予想外に大きく変わってしまうことがあるからです。その点が、個人の場合とちがうところです。
「将来は、プロ野球の選手として活躍する」。プロ野球そのものがなくなるということは殆ど考えられません。ただ、社会の場合は、その位の変化は普通にあるのです。
(「SankeiBiz」)
中華思想で世界を一つにまとめる無謀な企み
時代が変わっても、相も変わらず中華思想を掲げて世界を一つにまとめようとしています。
一つのキャンパスに様々な色が様々な形を伴って描かれているものを「美」と考える人と赤一色でムラもなく塗り込んだものを「美」と考える人がいます。どちらが美的に正しいのかということを議論しても意味がありません。それは人間の感覚だからです。ただ、農耕民族のDNAを考えると、日本には前者を「美」と考える人が多いと思います。自然と調和することを好んだ民族だからです。
日本の大陸や半島との交流史を調べてみると、隣国なのに余り交流がないことが分かります。遣隋使、遣唐使そして半島とは百済との交易くらいです。その根底には、価値観の違いを鋭く察知した先人たちが、彼らと意識的に遠く付き合うようにしたのではないかと思っています。
(「刀剣ワールド」)
中ロの常識と西側諸国の常識とは違う
香港がイギリスから中国に返還されて25年となりました。「一国二制度」の約束が返還後50年だったのですが、完全にそれが破られてしまっています。2020年に「香港国家安全維持法」が制定され、自由な言論・表現活動が出来なくなりました。その結果、いくつかのメディァが活動停止に追い込まれています。日本の戦前の治安維持法の中国版です。
というか、これが中国にとっての統治の常識なのではないかと最近思い始めています。
中国の歴史を調べると、古代の戦国時代を経て、王朝が代わる代わる国土を支配する歴史を刻んでいます。隋、唐、宋といったいずれの王朝も中央集権国家です。一人の皇帝に巨大な権限を与え、その力で国内をまとめていく。確かに、広大な領地と多くの異民族の民。これを呑気に一人ひとりの意見を聞いていたら纏まるものも纏まらないと考えるのも無理がありません。
独裁政治の流れが、現在の時代にまで継続していると考えれば、それはそれで納得することはできます。だから、西洋的な民主主義の観点から中国を批判すると、必ず彼らは反発します。彼らにとって西洋的な民主主義では、中国を治めることは出来ないし、そんな経験を歴史的にしたこともないのでやれないということだと思います。
ロシアもある意味同じです。皇帝の独裁政治が長く続き、それが社会主義革命によってソ連邦となり、1991年にそれが崩壊、現在のロシアが誕生するなど体制的に大きな変動がありつつも、基本的に独裁政治が継続していたのです。
(「政経電論」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓