
「前回、ウェルビーイング学部の話題が出ましたが、それを作るのなら、歴史学部を作って欲しいですね」

「歴史学部はないのですか?」

「基本的に歴史学が文学部に属しているケースが一般的ですので、文学部史学科という扱いになっているところが殆どです」

「そうすると、どういったことが問題になるのですか?」

「社会が単純な構造の時は良いのですが、現代のように複雑な社会になると、経済学や法学、行政学、社会学といった分野の学びがどうしても必要となってきます」

「従来のような考えでは、対応できないということですね」

「文学部史学科ですと、経済学や法学といった社会科学の講義を受けることはできませんし、学ぶ保障もありません」

「単位取得がかなり自由になっていると思いますが、限界はあるのでしょうね」

「大学の学部環境によります。文学部しか設置していない大学もあります。自ずから制約を受けると思います」

「海外はどんな状況ですか?」

「海外では歴史学部(Department of History)が独立している大学もあります。日本では筑波大学の人文学類で歴史学を独立して扱っているくらいです」

「日本なりの事情が、何かあったのですか?」

「日本の歴史研究は伝統的に漢学や国文学と密接に関係していました。江戸時代の「国学」や「漢学」の研究者は、歴史を文献学の一部として扱っており、その流れを汲んだ結果、歴史学が文学部の中に組み込まれることになったのです」

「一度、制度が決まってしまうと、それを崩すのは容易なことではないと思いますが、検討する価値はあるかもしれません。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「淑徳大学」提供です」
複雑な社会を生きていくためには総合的な学びが必要
日本の文系学部の縦割り構造は、今から約150年位前の学問体系の考え方によるものです。法学部、経済学部、文学部、……という学部の定め方がありますが、見直す時代に入ったと思います。世の中が単純であればあるほど、学びも単純で良かったのですが、今はそういう時代ではなくなりつつあります。社会そのものが、経済や法律、教育、政治などの問題が渾然一体となって我々の日常生活に覆いかぶさっています。
複雑化する社会。その複雑さは、今後もさらに加速度的に度合を進めるでしょう。法律だけ勉強していれば何とかなるという訳にはいかなくなります。時々ピントがずれた判決が出ることがあります。知識が極端に偏ることは余り良いことではありません。資格を一つ取っていれば、一生安泰という時代では無くなりつつあります。そういった時代に対応すべく、総合文系学部にして、法学、経済学、文学、教育学といった学問を自分の興味関心に応じて学べるような態勢を作る時代です。修業年も4~6年と不定期にします。
大学は学問を修めるところなので、別に4年で区切る必要はないと思います。その人が自身の将来を考えて、修業年を4~6年の間で決めれば良いと思います。
(「loftwork lnc.」)
世界は総合的な歴史研究の必要性を認識している
西洋の歴史学(特にアメリカやフランス)では、すでに社会科学的なアプローチが主流になっています。例えば、フランスのアナール学派は、歴史学に経済学や社会学の視点を取り入れ、「長期的な構造変動」に着目しました。また、アメリカの歴史学は政治学・法学・経済学との結びつきが強く、歴史研究が単なる文献解釈にとどまらないようになっています。
日本でもこのような学際的アプローチの重要性は認識されていますが、大学の学部構造(文学部に属する歴史学科)や研究者の育成システムが依然として縦割りであるため、十分に学際的な研究が進んでいないのが現状です。
歴史学がより実証的で総合的な学問へと進化するためには、学際化を意識的に進める必要があります。過去の経済政策や市場構造の変化を分析して、歴史の事象との因果関係を検証してみる。憲法学や法制度論の学問成果に学ぶ。単純に、勝った負けたという戦争の総括ではなく、地政学的に有効な戦争だったのかという視点も必要です。
(キャリアガーデン)
日本歴史学の縦割り構造に問題あり
日本の歴史学の特徴は、時代ごとに専門分野が細かく分かれていることです。日本史学会そのものは存在するのですが、実際には古代史学会・中世史学会・近世史学会・近代史学会などに分かれています。この辺りは、西洋史の影響を受けていると思われます。さらに、各学会の研究者が自分の専門分野に集中することが重要と考えている方が多く、そのため時代を超えた歴史の大きな流れを研究する意識が希薄です。
日本の歴史は、一つの王朝(天皇家)が千数百年にわたり継続しているという極めて特殊な特徴を持っています。それにもかかわらず、日本の歴史学はその全体像を俯瞰的に捉える機会が少なく、全体像を各自が勝手に自分の頭の中で描きながら部分史を語っているようなところがあります。だから例えば、古代の天皇権力と近代天皇制を同じものとして議論する研究者もいれば、全く異なるものとして断絶的に捉える研究者もいるのです。
何事もマクロとミクロの視点が重要です。西洋の歴史学では、時代ごとに専門化はされていますが、マクロな歴史を扱う学会や議論の場が確立されています。例えば、アメリカ歴史学会では、時代を超えた歴史的テーマ(帝国の興亡、資本主義の発展、人種・ジェンダー問題など)が活発に議論されています。フランスのアナール学派では、歴史を「長期的な視点(longue durée)」で分析することを重視しています。
日本だけがミクロの視点で一般の人たちには殆んど関心がないようなテーマの論文を自己満足的に学会誌に載せて済ませているような状況があります。日本の大学では、研究者がポストを得るために論文数が重視されるため、「とりあえず書けるミクロなテーマ」で論文を書いて業績を増やそうとするからです。ただ、これでは何のための研究なのか分かりません。このまま現状維持では、歴史学が本来果たすべき「歴史を通じて現代を理解する」という役割を十分に果たせなくなってしまう可能性が高いと思っています。
(「日本史学専攻/神戸女子大学」)
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