
「久しぶりに『Hanada』(6月号)を買ってきました」

「何か気になる記事でもあったのですか?」

「「戦慄の東大病院」内部告発とあったので、何かなと思ったのと、保守党のことが書かれていたので、買いました」

「どちらの紹介からいきましょうか?」

「政治ネタはいつでもできますので、医療問題について深めたいと思います」

「「戦慄」の中身を教えて頂けませんか?」

「その質問は、ど真ん中のストライクという感じですね。そうですね、一言で言えば、間違ったエリート意識のため、裸の王様になっているということです」

「分かったような、分からないような解答です。ところで、その論文を書かれた方は、どういう方なのですか?」

「そういうふうに、順番に聞いてくれれば少しずつ分かってくるのに、……。書かれた方は95歳の現役の医師で、彼の言葉を借りると「東大卒の東大嫌い」だそうです」

「東大の医学部に入るのは物凄く大変です。プライドを持って仕事をするためには、ある程度のエリート意識を持つのは、ある意味仕方がないと思っていますけどね……」

「彼の主張は、エリート意識が間違った方向に行ってしまっているということなんです」

「その辺りについて、ネタばれにならない程度で本論で語って下さい ↓ 表紙写真は「Wikipedia/東大医学部」提供です」
「鉄門の常識は、国民の常識と乖離」
東京大学医学部は、日本の医学界において圧倒的なブランド力を誇っています。その象徴ともいえるのが、東大医学部のOBと在学生による親睦団体「鉄門倶楽部」(通称「鉄門」)です。鉄門は単なる同窓会の枠を超え、日本の医療界における人脈と権威の中枢をなしており、大学病院の教授や厚労省官僚、さらには医療系学会の幹部の多くが鉄門出身者によって占められています。
こうした鉄門中心の医療支配構造には、「優秀な人材が医療界を牽引するのは当然」という見方もありますが、一方で、現場との大きな乖離が生じているという批判も根強くあります。今回『Hanada』に寄稿された坂本先生は循環器内科の専門医ですが、この状況に対して警鐘を鳴らし、「鉄門の常識は、国民の常識と乖離している」と断言しました。
特に問題とされているのは、「診療よりも研究を重視する」という思想です。本来、医療の出発点は患者を診ることにあるはずですが、鉄門文化の中では、研究こそが優秀な人材の進むべき道とされ、臨床医療はその下位に置かれているのです。こうした価値観が、現場のニーズと大きくかけ離れた医学教育や人材育成につながっているのが現状です。
(「UMIN」)
臨床軽視の流れは、東大闘争がきっかけ
日本の医学教育における臨床軽視の流れは、1968年から69年にかけて起こった「東大闘争」に端を発しています。この闘争は、東大医学部生による「インターン制度廃止運動」がきっかけでした。戦後の1947年に導入されたインターン制度では、医師免許を持たない医学部卒業生が1年間、医療現場で臨床実習を行うことが義務付けられていました。しかし、無免許での医療行為は法的に問題があり、医療事故が起きた場合の責任の所在も曖昧でした。
この問題に対する批判の声が高まり、インターン制度は廃止され、新たに「医師臨床研修制度」が導入されました。この制度では、医師国家試験に合格した後に現場で研修を受ける仕組みとなりましたが、当初は努力義務にとどまりました。つまり、現場での実地経験がないまま医師となるケースも発生し、臨床軽視の芽がこの段階で生まれたのです。
その後、2004年からは初期臨床研修が必修化されましたが、今度は別の問題が噴出しました。病院側の受け入れ体制や教育内容にばらつきがあり、必ずしも質の高い研修が行われているとは限らないという現実が浮かび上がったのです。こうして、東大闘争を起点とする制度変更の連鎖が、臨床軽視という流れを助長してきたと言えるでしょう。
(「共同通信社」)
人間全体を診て、診断できる医師を育てる
坂本先生が現在の医学教育に対して抱いている最大の懸念は、「人を診る」力の欠如です。医師を志す動機の多くは、「病に苦しむ人を助けたい」という思いだったはずです。ところが、現実の医学教育は、狭い専門領域の知識の習得に重きが置かれ、患者と向き合う臨床能力の育成がなおざりにされているように見えます。
坂本先生は、診療の原点に立ち返る必要があると訴えています。たとえば、循環器や呼吸器疾患の初期症状は、聴診器によって検知できることが少なくありません。高齢者に多い肺炎も、背中の下部に聴診器を当てることで早期に兆候を察知することができるのです。こうした基本的な技能こそ、現場では最も求められています。
しかし現在の医学界では、聴診器を使いこなす能力よりも、専門医の資格を取るための知識習得が優先されています。これは、教育学など他の学問分野にも通じる問題であり、研究偏重・現場軽視の構造は、偏差値教育と学歴主義の延長線上にあると考えられます。今こそ、知識よりも知恵、研究よりも実践を重視する姿勢が求められているのではないでしょうか。
(「日本医学教育評価機構」)
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