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日本人は森に対して、どのように接してきたか ―― 戦後の経済の論理が森の多様性を奪う / 「森林危機」がクマを出没させた

  • 2025年9月4日
  • 歴史
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「前回のブログで、あらためて日本は「森の国」ということを、多くの人が気付いてくれればと思っています」

女性

「殆んどの日本人がそのことを知らないと思いますよ」

「そうだと思います」

女性

「逆に、日本より割合的に多くの森林面積を有する国はどことどこですか?」

「フィンランドとスウェーデンです。フィンランドが73~76%、スウェーデンは日本より少し多い位です。」

女性

「観光客が日本に多く来るようになりましたが、考えていたより緑が多いので驚いたという声をよく聞きます。その森の緑を守ることをもっと意識しないと駄目でしょうね」

「森の緑ということを言う人は多いのですが、森に住む動物や森の中の植物のことを考えている人は本当にわずかです」

女性

「クマさんもそのうちの1つですよね」

「駆除一辺倒の考えではなく、共生のためにはどうすれば良いのかを人間が知恵を出して考え、実行すべきなのです」

女性

「今までは共生が上手くいっていたのは、何かそこには合理的な考えなり方法があったのでしょうか?」

「いろんな工夫が見られます。縄文時代の後期から定住生活に入ったと言われていますが、森の存在が大きかったと思います」

女性

「森があったから、早くの定常生活が可能だったということですね。ここからが本論です ↓ 表紙画像は「Go Green MUSUHI」提供です」

 縄文時代~中世にかけて

縄文人は定住生活を営みながら、森の恵みを主食的に利用しました。木の実(クリ・ドングリ・トチ)を食料として貯蔵。木材を道具や竪穴住居に使用。樹皮・蔦(つた)で縄や衣服を作る。森が人の命を繋いでくれるので、縄文人たちは何か神秘的な力が森の中にはあるに違いないと思うようになったのでしょう。森は精霊や神が宿る聖域と考えるようになります。縄文の森は「生活圏=信仰圏」であり、人と森がほぼ一体の関係でした。

稲作の普及により、水田開発が進み、森林は切り開かれて農地化されます。それまでは森は収穫する場所でしたが、次第に「資源」へと偏り、伐採や焼畑による森林減少が進みました。同時に、神道や仏教の影響で、森が聖地(鎮守の森)として保護される側面も生まれました。森が「利用」と「保護」の両面で意識され始めた時期です。

中世(平安時代~戦国時代)なると、都市(平安京・鎌倉・京)や寺社勢力の発展に伴い、木材需要は急増します。社寺建築や城郭建設のための伐採、鉄生産(たたら製鉄)のための木炭需要といったことで大規模伐採が進みます。その一方で、寺社や荘園が森林を管理対象とする制度を作り出しました。農村では「入会地」が成立し、村人が共同で森を利用・維持する仕組みが広がりました。森は「資源」として使用されつつも、共同管理の発想が芽生えた時代です。

(「goo BLOG」)

 江戸時代に循環型システムを導入する

江戸期には人口増加と都市拡大により、木材需要がピークになります。初期には伐採過剰で森林荒廃が深刻化したことがありました。しかし17世紀後半以降、幕府や藩は森林保護政策(山方役人・伐採規制)を導入します。

同時に、農村では「薪炭林の輪伐制」が定着します。つまり、薪や炭にして良い木の順番を予め決めておくのです。クヌギ・コナラを定期的に伐採して薪炭材を確保。下草や落ち葉を肥料として利用。里山という「半自然・半人工」の森林体系が形成され、江戸社会は森を持続的に利用できる体制を築きました。江戸の森林利用は「資源利用」と「環境保全」のバランスを取った高度な仕組みだったといえます。

日本の森は「原生林」として放置された存在ではなく、常に人間の手が入り、文化・経済・社会制度と一体で形作られてきたものです。伐採と再生の繰り返しにより、陽光が差し込み、多様な植生と生物が共存する里山生態系が維持されたのです。江戸の林業は「人が手を入れることで森を更新し、多様性を保ちながら利用する」という循環型システムでした。

 

 観 点   江戸時代    戦後~現代
森林のあり方 里山・雑木林を中心に多様性維持 単一樹種の人工林が拡大
利用方法 輪伐制で持続的に薪炭材を供給 木材供給を目的に大量植林
管理主体 村落共同体・藩の規制 国の政策主導、のちに管理放棄
生態系 光と多様な植生が共存、生物多様性高い 暗く下草のない森、生物多様性低い
社会的意味 生活資源の確保、共同体の結束 経済成長の資源、だが需要減で価値喪失

 

 戦後の経済の論理が森の多様性を奪う

第二次世界大戦後、日本は復興と高度経済成長を目指すなかで、国策として大規模な拡大造林が行われました。人工林の大量造成。スギ・ヒノキを中心に、成長が早く材として需要の高い樹種を全国に植林。単一林分の拡大。生物多様性は低下し、下草が育たない暗い森に。山菜や果実といった野生動物の餌資源も乏しくなった。木材需要の変化、輸入木材の増加とともに、国内材の価格は低迷。手入れのための間伐や枝打ちが採算に合わなくなり、管理が放棄された。戦後林業は「経済効率」を優先しすぎた結果、森の多様性を奪い、利用も続かなくなった「放置林」を大量に生み出しました。

江戸時代の林業は、資源の有限性を理解し、人と森の共生を前提に制度と文化を築きました。一方で、戦後の拡大造林は経済の論理で推し進められ、結果的に森の多様性と持続可能性を失わせました。

現在、里山の荒廃や人工林の管理放棄が熊の出没をはじめとする「森林危機」を引き起こしています。解決のヒントは、むしろ江戸の循環型林業に学ぶことにあるでしょう。森を「利益の源泉」ではなく「生活と文化の基盤」として捉え直すことが、21世紀の日本に求められています。

(「PIXTA」)

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