「今回も教科書問題でいきましょう」
「私は、教科書を見ると眠くなってしまうのです」
「あのを、勉強しろと言っているわけではありませんからね」
「すいません、教科書の問題と聞こえたので、問題を解くのかなと思ったものですから」
「あのね……。教科書問題がこれから政治の最前線に出てくる可能性があります」
「えっ、どういうことですか?」
「21世紀は言論戦、イデオロギー戦になることが予想されます。その時の国民の武器が教科書だからです」
「最初に国民を洗脳させようということですね」
「日本の政治家は極めて無頓着ですが、大陸の国は真っ先に教科書に目を付けます」
「だから、逆に彼らは日本の教科書の記述に敏感なのですね」
「常に妥協をしていると、歴史が書き換えられてしまう可能性もあります」
「一人ひとりがしっかりしなくてはいけない時代になってきたのかもしれませんね。ここからが本論です ↓」
教科書採択をめぐる攻防
公立学校の教科書採択は、教育委員会で行われますが、どの教科書会社のものをどのように選ぶかという問題が、しばしば問題になったりすることがあります。今はちょうど来年度の教科書の採択の時期ですが、今年も列島の各地でちょっとした「騒動」があったようです。
「騒動」のおよその中身は、ある会社の教科書を採択しないように、手紙や電話攻勢をかけたり、実力行使をした団体または個人がいたりということです。ただ、それは威力業務妨害として刑事告発で対応すべき事案だと思います。
『八重山日報』(2020.8.12日付)に採択をめぐる詳細な報告記事が載っていました。ここまで詳しく報道されるのは結構珍しいことなので、それを紹介しながら採択の在り方につい考えてみたいと思います。
石垣市では2011年度に、育鵬社の教科書が採択されそうだということで、委員に対するメディアの取材が過熱し、委員の名前や会議日程が漏洩するなど大きな騒ぎになったようです。教科書を選定する会議は非公開で行われたようですが、当日は大勢のメディア関係者が会場周辺に詰め掛けたようです。採択が終わった後も、採択に賛成したという委員がメディアに中傷されるという事態も起きたとのことです。
そのような騒ぎがあったため、4年後の2015年以降は協議会の規約、開催日程、委員名などを一切公表しなかったそうです。協議会というのは、教育委員会に教科書選定の答申をする役割を担っているのですが、石垣市の場合は議長を除く7人が審議・選定を行うとされているそうです。最初の選定の時に7人の票が割れます。公民教科書についてですが、育鵬社4人、東京書籍2人、帝国書院1人となります。単純に多数決を採用していないようです。協議会の規約が分からないので、あくまでも予測的判断ですが、意見が3つに分かれた場合は、再協議というような規定があるのでしょう。
2回目の協議で育鵬社6人、東京書籍1人ということで、育鵬社となり、その結論が教育委員会に答申されます。それが8月7日です。そして11日に教育委員4人の全員一致で育鵬社が採択されたということです。
採択についての問題提起
以上の流れを見ると、第一に、教育委員4人の役目は一体何なのかということです。単なる「採択マシーン」になっています。事実上の判断は、協議会の7人の採決で決まっています。第二は、極めて重大な役割を果たす協議会の7人がどのように選ばれるかという問題があります。
私立学校は担当教員が選ぶということで特に大きな問題は起きていないと思います。ただそれを公立に適用すると、組合との問題が絡んでくるのでしょう。つまり、形の上では学校の教員が決めたようになっているのですが、実際には、組合が各学校の組合員に対して、教科書採択についての指令を出してしまうことが起きるということです。しかし、それも情けない話だと思います。
ただ、日本はこのように、検定教科書をさらに教育委員会でまた採択を絞り込むための決定会議を設けています。このような国は、世界の中で中国くらいです。検定制度を導入している国でも、最後の採択は現場の学校の教員が決めています。
それから、採択した教科書しか使えないという制度も変えた方が良いと思います。例えば、フィンランドは、教科書はデジタル化されているので、メインで使う教科書は決めつつも、単元によっては他社の教科書を使うこともあるとのことです。フィンランドは教科書は無償配布で学校に置いておくということなので、そのようなことが可能とのことです。ところで、文科省は2020年度までにデジタル化に移行すると言っていたのですが、一体どうしたのでしょうか。
どのような社会科教科書を子供たちに提供できるか、ここに日本の未来がかかっている
19世紀から20世紀は熱戦の時代でした。それが終わり冷戦の時代となり、これからは、論理を武器にした言論戦の時代になると思います。言論戦の時代ですから、手を出した方が負けます。いかに、相手に手を出させるか、しかも大きく手を出させないで、少し手を出させる、できれば手を出そうとするところが分かるのが一番良いのです。多分、21世紀はそこが勝負となるでしょう。
今、「敵地攻撃」ということを言っていますが、手を明らかに出そうとするところをいかに早くキャッチして、相手に攻撃を加えるかということです。しかも、専制攻撃ではなく、あくまでも専守防衛の延長線での行動であることを国際法的に証明する必要があります。もちろん、技術的にクリアをすることが多くあります。
話を戻します。今までは、相手に攻撃されないように、そのためには相手を怒らせないようにするという戦略が選択されたと思います。中国や韓国といった近隣諸国に対する日本の方針は概ねそのような考えのもとで行われてきたと思います。
21世紀は逆です。相手をいかに怒らせ、刺激を与えるかという戦略にすべきなのです。アメリカも中国も、それが分かっているので、常に刺激的なメッセージを発するようになっています。
だから、21世紀は自己主張の時代です。今度は自国の国益を全面に出して、論理的に相手を論破できるように知的な武器を政治家一人ひとりがもつ時代となりました。
そのような時代において、教科書が「命綱」になります。韓国の教科書は国定です。中国は日本と同じく検定制度が導入されています。日本はせっかくの検定制度が生かされていません。
中国はつい最近、香港の教科書から三権分立を削除しました。中国は、教科書を大変重要視しているのです。だからこそ、日本の教科書にやたらと干渉してくるのです。教科書に書かれたことが、その国の子供たちにプログラミングされるので、言論戦で勝つためには相手国の教科書を自国に都合の良いようにしてしまえば良いと思っています。
日本の政治家は、防衛意識が極めて薄いと思います。教科書の内容を守ることは、自国を守ること、その位の意識で臨んで欲しいと思います。
また、防衛は一人ひとりの国民の問題でもあります。自分の身近なところで、気が付いたところから行動なり、意見を発するようにして欲しいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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