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復刻版『初等科國史』を通して、歴史教育について考える / 日本の国の特徴や活躍した人を紹介するのが教科書の役目

  • 2020年8月19日
  • 2020年8月19日
  • 教育論
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「日本の外交下手ということを前回のブログで書きました」

女性

「戦前からだったのですね」

「国際社会においては『サイレント・メジャー』(声なき巨人)と言われたこともあります。もっともそれは、1990年代までのことです」

女性

「やはりこれからは、議論をしてなんぼですか?」

「『阿吽の呼吸』という言葉があるように、余分なことを言わない、気持ちは通じるはずというのが日本人の感覚としてあるのですが、それは国際社会では通じません」

女性

「議論をするにしても、その元となるものが必要ですよね」

「そうですね、問題意識がない人は何を話題にして良いかが分からないと思います。識者が政治家や外交官に薦めるのは『孫子』ですよね。西洋人のインテリが中国の古典の中で読んだ方が良いということで、真っ先にあげるのは『孫子』です」

女性

「論語と孟子は学校で習いましたけど……」

「論語と孟子は生き方の手本としては良いと思います。孫子は名前の紹介くらいですよね。だけど実は、明治維新期のリーダーは誰もが暗記するくらいに『孫子』を読んだと言われています」

女性

「あと、それ以外にはいかがですか?」

「福沢諭吉が10回以上読んだと言われているのが『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』です」

女性

「春秋というのは、中国の春秋時代ということですか?」

「中国の春秋戦国時代です。諸子百家といって多くの思想家が現れる時代です。非常に魅力的な書が多く輩出されます」

女性

「中国と渡り合うためには、当然その辺りの古典は政治家は読んでいなければいけないということですね」

「そういう知識を当然もっていたうえで議論するということだと思います。国会を見ていても、議論になっていない。権力闘争の場だと誤解をしている政党もある。だから、単に言い合っているだけで、アイディアが出ないし議論も深まっていない。あれでは、政府も国会を開いて議論したいとは思わないでしょう」

女性

「ここからが本論です」

 神話から始まるということは、古い伝統がある証拠

復刻版『初等科國史』が手元にありますこの教科書は令和元年に復刻出版されたものです。この教科書は、1943(昭和18)年から使用されることを目的として編集されたものです。


ただ、昭和19年6月から学童疎開が実施され、まともに授業ができなかったのではないかと思います。敗戦となり、すぐにGHQによる占領が始まり、年末には歴史の授業そのものが停止となったので、この教科書は殆ど陽の目を見る事がなかったと思われます

『初等科國史』の内容を読んで驚くのは、レベルの高さです。初等科、つまり小学校5.6年生用として書かれたものですが、現代の中学生でも読み込むのは大変だと思うような内容です。当時の日本の小学生は、読解のレベルが高かったのでしょう。

折角なので、その一節だけでも紹介をします――「織田信長のあとをうけて、海内平定の遺業をはたし、更に世界の形勢に目を放って、国威を海外にかがやかしたのは、豊臣秀吉であります」(「二 聚楽第」)

「海内平定」、「遺業」、「国威」、これらの言葉は今は小学校の教科書では使いません。今の中学生でも、これらの言葉に結構引っかかってしまうのではないかと思います。

 

 神話から始まる

初等科國史』は神話から始まっています。日本の場合は、これはやむを得ないと思っています。どういうことか。国史なので建国の歴史を書く必要があります社史であれば、何年に創業したのかを初めに書きます。それと同じ理屈です。ところが、何年と明確に分かっていないほど古いのです。であれば、国づくりの話が『古事記』の中にあるので、ここから始めるのが筋というものです

現行の中学の歴史教科書はどうなっているか、見てみましょう。「人類の誕生」、つまり猿人から始まっています。考え方は人類の歴史、世界の中から日本の歴史を見るという考え方だと思います。そういう観点から日本の歴史を学びたいのであれば、それは学問の世界のことなので、大学で研究すべきことだと思います

何故なのか。進化論も絡んだりして、謎が多く、分かっていないことが多すぎるからです。進化論ですら科学的に正しいとされている訳ではありません。「猿人は猿ですか、人ですか」と質問されても分からないと言うしかありません。原人と新人はどう違うのですかという質問も困るでしょう。その分野は人類学や生物学の知識が必要です。例えば、アフリカが人類の起源というところまでは分かっていますが、何故東へ東へと移動したのかさえ分かっていません。へたに教えて、先入観をもたせるのも良くないと思います。中学生の「歴史」の授業で教えることではないのです

そうではなく、日本人の一員として知りたいのは、この日本はどういう国なのか、どういう歴史があったのか、どういう人が活躍したのかだと思います。類人猿とか、氷河期とか、そんなものはどうでも良いのです。とにかく、どのような国づくりがなされてきたかを知らせる必要があるのです。トヨタに入社したのに、株式会社の歴史は1600年の東インド会社が起源ですと教えられて、「何なの」と思うようなものです。

神話教育はGHQは禁止しましたが、アメリカの中学生用の教科書に日本の神話のことを紹介しています。教科書の表題は『アジア・アフリカ世界――その文化的理解』です。「神々の国」と題して、約600字位で紹介しています――「日本の子供たちは、学校で次のように学んでいる。イザナギという権威ある神が、その妻イザナミと共に「天の浮き橋」の上に立った。……」まさに、『古事記』の国生み神話の場面です。

アメリカは州によって教科書が違いますし、検定制度もありません。日本では考えられないような分厚い教科書を使うこともあります。『歴史と生活――世界とその国民』は世界史の授業で使う教科書として採択されたものですが、768ページあります。この中にも「日本の神話によれば、日本の国土は、一人の男神と女神とが創造し、そこに住み着いたとされる。太陽の女神の孫に当たる神が、統治者として選ばれた。キリスト紀元前660年に、その子孫の一人神武天皇が、初代の天皇になったと伝えられる。……」という記述があります

 歴史は自分の国の特徴や活躍した人を書くべきもの

「社史」を例に取って話をします。書くことは創業者について、その人柄や考え方、経営理念、会社の製品の自慢話、歴代社長の業績、活躍した社員のことなどを書こうとすると思います。それを読んで、私も頑張りたいと思う社員が一人でも多く出るように、なるべく具体的に、心情がわかるように書くと思います。日本の歴史もそういう考え方で書くべきだと思います。

ところが、何年に何があって、どういう法律が制定されてなどと客観的な事実だけを淡々と書かれていたのでは、何の面白みもありませんし、読んでも力にはなりません。文章というのは、書き方によって読んだ側の受け止め方が随分違ってくるものです。

中学校の歴史教科書の文章を紹介します。

「豊臣秀吉の死後、関東を領地とする徳川家康が勢力をのばしました。1600年、秀吉の子豊臣秀頼の政権を守ろうとした石田三成は、毛利輝元などの大名によびかけ、家康に対して兵を挙げました。家康も三成に反発する大名を味方につけ、全国の大名は、それぞれ東軍と西軍に分かれて戦いました。」(新しい社会『歴史』東京書籍)

今度は、「初等科國史」の文章です。やはり同じく、秀吉の死後から関ケ原の戦いまでのいきさつです。

「秀吉がなくなった時、子の秀頼は、やっと6歳でありました。秀頼の行く末を深く心配した秀吉は、徳川家康と前田利家に、くれぐれも、あとのことを頼みました。家康は伏見城で政務をさばく、利家は大阪城で秀頼を育てる、これが、それぞれに命じられた役目でした。ところで、利家がまもなく病死しましたので、ひとり家康の勢いが、目立って盛んになって行きました。

家康は、三河から出て、初め今川義元の人質になり、義元の死後は信長と組んで、しだいに勢をのばしました。本能寺の変後、秀吉と小牧山に戦い、長久手にその別軍を破って、武名をあげました。まもなく秀吉に仕える身となり、小田原攻めにてがらを立てて、北条氏の領地を受けつぎ、武蔵の江戸に根城を移して、関東の主となりました。従って、家康は秀吉の部下といっても、生え抜きの家来ではなく、しかもいちばん勢が強かったのです。

秀吉恩顧の大名石田三成らは、家康の勢が増す一方なので、幼い秀頼の身の上を案じ、毛利輝元や上杉景勝らと力を合わせて、家康を除こうとします。ここに全国の諸大名は、三成方と家康方との二手に分れ、美濃の関ケ原で激しく戦いました。」(『初等科國史』)

秀吉の死後から関ケ原の戦いまでのくだりです。2つの歴史教科書を読み比べて頂いたと思います。本来歴史というものは、その国の中で重要な役割を果たした人がどういうことを思い、考え、どのような人生であったが分かるようにすべきなのです。そうすれば、それを学んだ子供たちがそれを人生の手本にできるからです

徳川家康は「人生とは重荷負うて遠き道を行くがごとし」といった人生訓を遺し、天下人秀吉から警戒をされ、関東へ移封を命じられます。当時の江戸は不毛のススキが原の台地だったと言われていますが、そこから治水、干拓、開墾と計画的な街づくりを進め、現在の東京の発展の礎を築きます。『初等科國史』の文章は、そのように重要な役割を果たした彼にスポットライトを浴びせて書いています。東京書籍の現行の教科書の文章は、その時代の人物を「平等」に扱っています。読んでも力が入らないと思います。「あっ、そうなの」という感じです。この違いは何なのかというと、歴史という科目を単なる事実の羅列と考えるのか、一つの生きる指針としても考えて欲しいと思って書いているかの違いだと思います。

検定教科書はどの会社も似たり寄ったりです。試しにもう1社だけ紹介します。

「豊臣秀吉の死後、五大老の一人であった徳川家康が勢力をのばした。これに対し、秀吉の子である豊臣秀頼を中心に豊臣政権をまもろうとした石田三成は、毛利輝元らの大名に呼びかけ、1600年に家康と戦ったが敗れた(関ケ原の戦い)。」(日本と世界『中学歴史』山川出版社)

アメリカのように、多くの種類の中から教科書として選んで教えて良いという態勢にはなっていません。だから、日本の子供たちは、全国一斉につまらない歴史を勉強しているのです

歴史教科書の中身、検定制度の在り方を含めて、考える時代です。国会での議論を期待したいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

なお、アメリカの教科書の情報については、『世界に生きる日本の心』(名越二荒之助、展転社.1987) (↓)からのものです。表紙の写真は、『古事記』の中のイザナギとイザナミの2神が国づくりをしている場面です。その横の英文が小さくて分かりづらいですが、その説明です。


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