「その胸に付けているカラフルなバッジは何ですか?」
「これは、今流行りのSDGsバッジです(下に紹介があります)」
「SDGsというのは、……」
「持続可能な開発目標です。2015年に国連サミットで採択されたのですが、全世界で17のゴールを設定し、それに向けて努力しましょうということになったのです」
「17色というのは、ゴールを表しているのですね」
「そのうちの1つに最近話題のジェンダー平等の推進というのがあるのです」
「辞めてしまいましたが、森会長の女性がいると会議が長くなる発言で、にわかに日本のこの問題についての取り組みが注目されるようになりましたよね」
「叩かれて、そのままお辞めになったのですが、もう少し言うべきことを言って欲しかった気がします」
「言うべきことというのは、何ですか?」
「話が長くなるのは差別発言ではないということです。神様が子育てをするために、女性を話好きにつくったからだ、だから話が長くなるんだよと位言えば良かったのにと思います」
「森会長の雰囲気の問題もあると思います。それより、それがきっかけで何となくジェンダー問題にスポットライトが当たるようになったと思うのですが……」
「もともと厳しい風が吹いていたのに、さらに厳しくなったというイメージですね。ただ、方向違いの風だと思っています」
「方向違いの風、というのは?」
「平等というのは形式的平等と実質的平等があります。日本は実質的平等で男女の役割分担を考えてきた国です。そこに突如として、形式的平等の西洋の風が吹き始めたということです」
「じゃあ、その辺りを本論で見てみましょう ↓」
「ジェンダーギャップ指数」――日本と大陸の国とは出発点が違う
世界経済フォーラム(WEF)が3月31日に世界各国の男女平等の度合いのランキングを発表しました。「ジェンダーギャップ指数2021」と言いますが、日本は156か国中120位(前回は121位)でした。主要7か国(G7)では最下位でした。この結果をどう見るかということです。
マスコミの論調を見ると、日本は到達レベルが低いということで、総じて批判的です。中には政権批判と絡めて論じられることもあり、全体的にヒートアップしている感がします。ただ、ジェンダーギャップの問題を語る時、日本と大陸の国とは出発点がそもそも違うということをまずは念頭に入れて置く必要があると思います。
「歴史と文化がある限り国は滅びない」。この言葉は実は先日アメリカのバイデン政権が撤退を決めたアフガニスタンで唱えられていた言葉ですが、日本人こそがこの言葉を噛みしめる必要があるのではないかと思って紹介をするのです。というのは、何かを判断する場合、自分の国の歴史と文化を踏まえて判断しなければいけないということを言っているからです。
日本人の悪い「クセ」は、規準や根拠を外に求めようとするところです。だから、外圧に弱いのです。それはともかくとして、ジェンダーギャップについて考える上で、日本の歴史と文化を踏まえた男女役割分担論について見てみたいと思います。
(外務省×SDGs on Twitter/twitter.com)
農耕民族であるが故に「役割分担論」によって家庭を築く
農耕民族である日本人は、土地を家族で守ることにより食糧と生活を維持することを考えます。「家内」、「嫁」、「奥様」という言葉が残っていることから分かるように、女性は家の中のこと、男性は外で働くという役割分担が定着していきます。そして「カミさん」という言葉があり、女性に対して付けられたということ、『古事記』のイザナギ、イザナミの2神が二人で協力して国をつくった話を総合すると、日本的な平等感覚が国全体を覆っていたことが分かります。
「カミ」は大和言葉で至上最高という意味です。この宇宙での最高神を『古事記』はアメノミナカヌシノカミと言っていますし、長官を「カミ」と読んでいたのです。家の中のことは女性が「カミ」として振舞う、外のことは男性が主として振舞うという役割分担の考え方をとっていたのです。従って、男と女を単純に並べてどちらが偉いとか、どちらが尊重されるべきかという考え方をしません。どちらも偉いし、どちらも尊重されるべきなのです。
(amazon.com)
だから例えば、「外」の場面においては、女性を保護する必要がありますし、「内」の場面においては、男性が劣っていて当たり前と考えます。例えば、前者の例で言うと日本では女性の生理休暇を認めています(労働基準法第68条)。医師の診断書は必要なく本人の申し出があれば雇用者は休暇を与える義務があり、もし違反、つまり無視して働かせた場合は罰金刑まで課せられます(同法第120条)。実は、生理休暇は欧米にはありません。女性に対する考え方が違うからです。欧米には「奥さん」という感覚がないのです。たぶん、日本の生理休暇の話をすると欧米の女性は驚くと思います。
また日本の場合、女性は「奥」にいて子供を産み育てるという大切な役割があります。「出産手当金」と「出産育児一時金」の制度があります。「出産手当金」は産休中の生活保障のため、「出産育児一時金」は出産にかかる費用の負担軽減のために約40万円支給されます。この「一時金」は、例え死産であっても支給されます。この手当の制度も世界に誇って良いような内容です。そこには、母胎保護という明確な考え方があります。
実は、一番最初に紹介した「ジェンダーギャップ指数」には、こういった考えや金額は全く反映されていません。
「ジェンダーギャップ指数」が絶対的なものではない
日本の「ジェンダーギャップ指数」が低いのは、政治と経済分野のスコアが低いからです。政治で言えば「国会議員の男女比」「閣僚の男女比」、経済で言えば「幹部・管理職の男女比」の分野で平均を大きく下回っているのですが、これは日本の男女の役割論とその歴史に絡む問題です。単純に数字を上げれば良いという問題ではありません。そして、これらは急に上がるものでもないし、急に上げれば必ず「ひずみ」が出てきます。
そもそも、「ジェンダーギャップ指数」自体が一つの考え方であって、その指標として選ばれた項目と配点、さらにはそれらの総合点が高いと男女平等社会が実現するのかという問題があります。この現実の社会はゲームの世界ではないので、仮に「国会議員の男女比」、「閣僚の男女比」、「幹部・管理職の男女比」がすべて1対1になると理想の政治が行われ、理想の会社経営が行われるのかと問われれば、誰もが「NO」と言うと思います。そういうものではないと思うからです。
「ジェンダーギャップ指数」の項目の選び方を見てみると、狩猟民族の発想になっています。欧米の狩猟民族は、土地を中心に考えずに、すべて狩猟を中心に考えます。土地を確保したところで、そこに獲物がいなければ殆ど意味がないからです。そうなると、家族として考えるのは、いかに協力して獲物を採るか、その一点に尽きます。身体能力が高い女性は当然いますので、中には男性より多く獲物を採る女性もいたことでしょう。
この生活においては、役割分担をする必要がありませんので、男女同じ指標によって比較することができます。社会生活はすべて男女が同じ方向を向いて生活しますので、同じモノサシで測れるというふうに考えます。
日本は先に述べたように、役割分担論をもとにして家庭を考えますので、成人男女は違うベクトルの中で生活をします。だから、政治と経済について、点数が低くなるのはある意味当たり前のことです。逆に、子供たちの教育について見てみると、日本はすべての項目に於いて平均を上回っています。男女平等の教育が施されているということです。女子しか入れない医大も用意されています。
その後の社会生活は、各自の努力と能力、そして考えのもとに歩むことであり、その部分を同じように考えて点数化するのはおかしいと思います。女医は0点で、女性国会議員になるとどうして点数が入るのでしょうか。政治、経済分野は点数化するにしても、配点を低くする必要があるでしょう。
とにかく、何事も鵜呑みにしないこと、日本の歴史と文化を踏まえて、批判的に物事を見るということです。特に、日本人は国際的な機関が出してきたものに弱いという特質があります。変な論評に惑わされないようにして下さい。
(plaza.rakuten.co.jp)
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