「ゴルバチョフ氏死去のニュースが流れたので、大変な功績を遺した人だろうなと思ってニュースや新聞記事を読みました。ノーベル平和賞を受賞したソ連最後の大統領なんですね」
「彼の考えは当時のソ連では極めて先進的だったと思います」
「ペレストロイカ(再建)とグラスノスチ(情報公開)ですよね」
「ペレストロイカもグラスノスチも高校世界史の教科書に載っていますからね」
「今年から「歴史総合」ですが、……」
「「歴史総合」の教科書にも掲載されていますよ。冷戦終結に重要な役割を果たした大統領ですからね。当然と言えば、当然かもしれません」
「実は、ウクライナ侵攻もあったし、今回のゴルバチョフ氏死去のニュースが入ってきたので、ロシアという国そのものの歴史や文化を調べてみたいと思って高校時代の「世界史」の教科書を引っ張り出して読んでみたのです」
「多分、よく分からないと思います」
「全くその通りで、ページを飛ばして断片的には書かれているのですが、結論から言うと良く分からなかったということです」
「人間の認識は時間軸と空間軸の2つのベクトルを土台にしています。ただ、軸なので原点を移動されてしまうと、認識しづらくなります。「世界史」の教科書はそれぞれの軸が交錯してしまっているので、普通に読み進めることが出来ないと思います」
「何か急に難しい話になってしまってますが、そうなんですね。私は世界史が苦手だったのですが、それは教科書の問題だったのですね」
「いや、その辺りはノーコメントですね。教科書を上手く使って分かりやすく教えることが出来る教員もいますからね」
「だけど、本来は教え方に関係なく、読めばすっと分かるような教科書が望まれると思いますけど……」
「あなたのような思いを持っている人は結構いると思います。私も、現場にいた人間として、何でこんなに分かりにくい教科書を作るのかなと思っていましたからね」
「先程おっしゃっていた時間軸と空間軸が関係があるのですか?」
「例えば、2つの軸を混ぜてドラマは作れないと思います。主人公が空間移動できないからです」
「時間移動しか出来ませんよね」
「人間の頭というか、認識は時間軸を固定するか、空間軸を固定するかしかないのです。具体的に言うと、例えば、ロシア史ということで空間軸を固定しながら、ロシアの歴史を時間軸に沿って説明すると人間は理解できるのです」
「成る程、今日はそのロシア史を深めたいと思います。一応、2回シリーズの予定でいて下さい。ここからが本論です ↓なお、表題の画像は「PIXTA」の提供です」
その国のことを知りたければ、歴史を辿る
「知もてロシアは解しえず」は、オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインの言葉です。ただ、彼が言っているロシアはソ連邦成立前のロシアです。こういう言葉を見ると、民族のDNAというのは時代が移っても余り変わらないで、特性や性向といったものはそのまま受け継がれているのではないかと思います。
だから、その民族の思考パターンや行動パターンを知るためには、その民族の歴史を丹念に調べる、民族のアイデンティティを探る、それが何より重要ではないかと思います。そういった予備知識が、外交を正しい方向に進めたり、企業が商談を進めたりする上で重要だからです。日本の戦後の歴史教育は、すべての国がまるで「無色透明」で「能面」の様な顔をもっているかのように扱っています。しかし、ロシアや中国、北朝鮮や韓国といった隣国の政治家の顔を具体的に思い浮かべてもらえば分かりますが、それぞれ「クセ」を持っているのです。
それらの「クセ」が一体どこから来ているのか、その歴史を辿ることこそが学問であり、それを理解するのが勉強だと思っています。
(「Twitter」)
ロシアの「歪み」は屈辱の歴史から来ている
ロシアのウクライナ侵攻で一番分からないのは、世界一の広大な領土を持ちながら、さらに隣国に攻め入るというその心境でしょう。しかも2014年に念願の要衝のクリミア半島を併合したのでアゾフ海と黒海への影響力は格段に増したはずです。それでも飽き足らず、さらにという発想は農耕民族の日本人には理解できないと思います。まさに、狩猟民族ならではの発想だからです。そして、そういった行動の裏には、民族の独特の歴史が隠れていることがあるのです。それを探っていきたいと思います。
ロシアの歴史を辿ると、絶対権力者に支配され、さらには他民族に長年領土を奪われ支配された記憶が民族の汚点として彼らのDNAに深く刻み込まれているのではないかと思うことがあります。記録によると、9世紀頃モスクワ近辺でスラブ人たちが狩猟生活を送っていたことが分かっています。そこに、リューリクという名のノルマン人のリーダー率いるノルマン人の一行がスラブの地を占拠して、ノヴゴロド公国を建設します。スラブ人とノルマン人はやがて同化することになるのですが、スラブ人はノルマン人たちをルスと呼び、それがルーシに転じてロシアになったと言われています。
つまり、国名のロシアの語源は他民族の名前なのです。屈辱から始まっていますが、彼らの持っている歪みは、ここから受け継がれているのではないかと思うことがあります。
(「NHK」)
ロシアの国旗の双頭の鷲の意味
ロシアの中心はやがてキエフに移り、キエフ公国として栄えます。今のウクライナの辺りです。ロシアがウクライナを兄弟国というのは、こういった歴史を共有しているからです。ただ、このキエフ公国はモンゴル軍のチンギス・ハンによって攻め滅ぼされます(1240年)。日本では元寇があった頃です。その後、ロシアはモンゴル族の圧政に苦しむことになります。これが「タタールのくびき」(1240~1480)と言われるものです。240年間の他民族の完全な支配によって更に歪みが増すことになります。
そして、この「タタールのくびき」の後、ロシアの国旗に双頭の鷲が加えられます。双頭の鷲の意味は、アジアとヨーロッパを睨んでいる、つまり「復讐するは我にあり」ということで、何か隙あらば鷲のように襲い掛かって奪い取るという決意を込めたのではないかと思います。そう考えれば、中立条約を破って北方領土をかすめ取り、ブタペスト覚書でウクライナを「丸裸」にした上での今回の侵略行為。彼らにしてみれば、15世紀に決意した民族の悲願を実行しただけなのかもしれません。
鷲の性格を考えれば、鋭い爪で獲った獲物を返すことはありません。外交交渉だけでは、北方領土は永遠に返って来ないことを自覚する必要があるでしょう。ウクライナへの軍事侵攻は現在進行形です。停戦交渉を一時期双方で行ったことがありましたが、無駄だと思っています。徹底的に軍事の力で叩くしかないというのが、歴史から予測できるウクライナのあり方です。
(「Wikiwand」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓