「今年はイスラエルが独立して75周年ということで、日本イスラエル親善協会主催の「独立記念の夕べ」(5/31)に参加してきました」
「どういった内容ですか?」
「駐日イスラエル大使の方がご挨拶をされていました。英語ですけどね。通訳付きでした」
「イスラエルで思い出しました。確か、サッカーのU-20で日本はイスラエルと対戦して負けていますよね」
「そのことも言っていましたね。日本に勝ってしまったと。ゴールを決めた子はアラブ人だと紹介して、我々ユダヤ人は周辺諸国との友好を大事にしていると言っていました」
「それ以外で記憶に残っていることはありますか?」
「そうですね、週2回の直行便が就航したので、是非イスラエルに来て下さいということと、経済連携をさらに進めたいということをおっしゃっていました」
「経済連携というのは、自由貿易ということですか」
「いえ、民間の企業同士の交流を深めるという意味です。出資、さらには資本参加や資本進出などです。ちょうど、日本とイスラエルの交流イベント週間になっていて、イスラエルから200社くらいが参加しているとのことでした」
「結構な数ですね。昨夜のイベントは他には何か行われたのですか?」
「チェロとピアノによるアンサンブル演奏があり、ユダヤの音楽を鑑賞しました」
「いかがでしたか?」
「チェロのせいもあるかもしれませんが、もの悲し気なメロディが多かったですね。演奏曲の中には、手拍子を伴うものもあったのですが、どこかに悲しい雰囲気が流れている感じでした」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「オリーブ山通信」提供です」
日本人とユダヤ人—— ある意味「対照的」な民族
イザヤ・ベンダサンという日本生まれのユダヤ人が書いた『日本人とユダヤ人』(山本書店、1970)という本があります。著者は1918年に神戸で生まれ、戦火が迫る1941年に渡米、移住しています。そして、戦後イスラエル共和国が建国(1948)された頃に、イスラエルのテル・アビブに移住しています。ユダヤ人ですが、日本の学校教育を受けていますので、日本語は勿論のこと日本文化や歴史に精通した方です。
イザヤ・ベンダサンが『日本人とユダヤ人』の題に込めた思いは、日本人とユダヤ人はある意味、対照的な民族だということです。そして、日本人は自分たちの立ち位置が当たり前と思っている節(ふし)があるので、そうではないということを発信するために、この書を世に送り出したのではないかと思っています。
一番最初に彼が書いていることは、安全と自由と水のことです。日本人は、すべてタダと思っている節があるのですが、ユダヤ人はしかるべきコストを払って手に入れるものと考えているのです。
「内なるゲットー、外なるゲットー」(テオドール・ヘルツェル)
ゲットー(ghetto)というのは、「ヨーロッパ諸都市内でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区」(Wikipediaより)、簡単に言うと隔離された区域という意味です。ヨーロッパ各地にそのように作られたユダヤ人居住区がいくつもあったのです。それを「外なるゲットー」と言っています。限られた区域内ですが、その中は自治区なので自由に行動することができます(下の写真は、ゲットーですが、出入り口を警察が監視しています。) 但し、そこから外部に出た場合は「自分の精神のまわりを黒幕で包んで、全く心にもない生き方をしなければならない――いわば隠れ切支丹が仏教徒として振舞ったように生きなければならない」(『日本人とユダヤ人』12ページ)。
内なるゲットーという言葉は、「隠れユダヤ人」として生きることを意味しています。ということは、ユダヤ教の信仰を表面的に捨て、敬虔なカトリック教徒として振舞わなければなりません。怪しまれないためには、多額の献金や寄附を用意しなければならないのです。仮に素性がばれてしまった場合は、死罪を免れることは出来ません。そんな危険性を背負いながらの生活となります。こういう人たちのことを「マラネン」と言います。隠れユダヤ人ということですが、宗教的な迫害が多かったスペインで多くいたそうです。
「外なるゲットー」は、アウシュビッツが有名ですが、ヨーロッパ各地にはユダヤ人が迫害を受けた痕跡はいたる所にあります。殊に13、4世紀の頃にペストがヨーロッパ世界に流行るのですか、それはユダヤ人の仕業であるということで多くの人が殺されています。
(「ワルシャワ・ゲットー」/鳥飼行博研究室)
ユダヤ人から多くを学ぶ時代
亡国の民として諸国を彷徨い歩いた民族です。その間は常に「よそ者」なので、迫害されてきました。そういった悲惨な歴史を背負った民族だからこそ、彼らの中に蓄積された知恵があるはずです。日本とある意味、対照的な歴史を歩んできた人たちと交流することによって、彼らの叡智に学ぶ時代だと思っています。
日本イスラエル友好議員連盟というのがあります。現在の所属国会議員数は15人と少なめです。この組織の設立は1984年ですが、自民党から参加した議員はわずかに2名だけ。与党議員は産油国からの反発を恐れて、多くが参加しなかったのです。野党の中からは、保守系の民社党から多くの議員が入りました。
それから約40年。当時はアラブ諸国は反イスラエル一辺倒でしたが、今はそういう状況ではありません。産油国を恐れて加入をためらう必要もないのですが、友好議員連盟に参加する国会議員が少ないと思っています。
イスラエルの国防費はGDPの4%ですし、教育費は7%です。国をとにかく守る。外敵から守り、内側の人間を人財としてきちんと育てて守る。彼らには国を運営していく上での理念があります。残念ながら、今の日本にはありません。であれば、イスラエルの議員と交流をして、少しでも学んで欲しいと思っています。
(「東京新聞」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓