
「昨日、衆議院第一議員会館で「旧姓の通称使用」の法制化を求める国民集会が実施されました」

「例の夫婦同姓問題ですね。このブロクでも過去に2回位発信してきました。ところで、いかがでしたか?」

「地下一階の大会議室が埋まりましたからね。国会議員が80人参加しました。そして、今回集会の呼び掛け人が6人いるのですが、そのうち5人が女性です」

「自分のことと言うより、高い視点からこの問題を考えているということですね」

「各党の代表者ということで、自民党、維新、参政党、保守党の国会議員からの代表挨拶がありました」

「公明党は来なかったのですね」

「公明党は夫婦別姓賛成ですからね」

「数的には、どうなんですか?」

「自民党の中にも夫婦別姓に賛成する方たちが一定程度いますので、下手をすると法案が通ってしまう可能性があります」

「通るとどうなるのですか?」

「別姓導入後、2年間にわたり、既に結婚している同性夫婦も別姓を選択する経過措置が用意されます。あなたのご家庭はいかがですか?」

「今さらという感じがしますし、子供の姓も絡んできますので、ウチには関係ないですね」

「家族制度は日本のアイデンティティそのものですので、それが破壊されることになれば、国そのものの衰退を招くと思います」

「逆に、それを狙っている人たちがいるのでしょ。ここからが本論です ↓ 表紙イラストは「高校生新聞オンライン」提供です」
氏(姓)の誕生と定住生活の関係
日本において氏(姓)の概念が生まれた背景には、定住生活の定着が深く関わっています。最近の研究によれば、縄文後期にはすでに定住生活が始まっていたと考えられており、日本は豊かな自然環境に恵まれていたため、世界の他の地域と比べて比較的早い時期に定住が進んだとされています。
定住生活を営む上で最も重要なのは、生活の基盤となる土地や資源を確保し、それを維持することです。狩猟採集生活では移動を前提としていましたが、定住を選択した社会では、外部からの脅威や環境の変化に対処しながら、自らの生存を守らなければなりませんでした。そうした厳しい環境の中で、家族や親族が協力し合い、共同で生産や防衛を行うことが必要不可欠になったのです。
家族や親族が一体となるためには、互いに役割を分担し、組織として活動することが求められました。そこで登場したのが「氏(姓)」の概念です。氏は単なる名前ではなく、家族や血縁の絆を示し、共同体の結束を強める象徴となったのです。スポーツチームが名前を付けて、結束をしようとするのと理屈は同じです。このようにして、個人が氏族の一員として認識されるようになり、社会的な秩序が形成されていったのです。定住生活の定着とともに、氏が家の存続や社会的な地位の維持において大きな役割を果たすようになりました。
このような歴史を振り返ると、氏が単なる名称以上の意味を持つことが分かります。家族や血縁の結びつきを示す氏は、社会の安定に寄与する重要な要素だったのです。
(「全国こども考古学教室」)
家族主義的国家観と日本のかたち
日本の国家観には、古来より家族主義的な思想が根付いています。「国」に家族を意味する「家」という字が含まれるのは象徴的であり、日本において国家とは単なる統治機構ではなく、家族の延長として捉えられてきたことが分かります。
古代の日本では、天皇を中心とする朝廷のことを「大宅(おおやけ)」と呼び、庶民の家庭を「宅(やけ)」と呼んでいました。この表現には、国家が単なる権力の集合体ではなく、一つの大きな家族であるという意識が込められています。家族が集まり、宅(やけ)を形成し、それが連なって国全体が形作られるという発想は、日本独自の国家観といえるでしょう。
このような家族的な国家観においては、家族のまとまりが国の安定に直結します。家族が崩壊すれば、それは国家の基盤そのものが揺らぐことを意味します。近年議論されている夫婦子供別姓の制度は、この伝統的な家族観を根本から覆す可能性を持っています。夫婦や親子が別々の姓を持つことは、家族の一体感を損ない、結果的に日本の社会構造を大きく変えてしまう危険性を持っています。
もちろん、個々の自由を尊重することも重要ですが、国家の安定を支えてきた伝統を見直さずに変革を進めることには慎重になるべきです。家族主義的な国家観を崩すことが、日本にとって本当に望ましいのか、冷静に考える必要があるでしょう。
(「Vogue Japan」)
夫婦子供別姓制度とマルクス主義の影
夫婦子供別姓制度の導入を推進する動きは、一見すると個人の自由を拡大するように見えます。しかし、その背景には単なる個人主義の台頭だけでなく、社会構造の根本的な変革を目指す思想が関与している可能性があります。
本来、社会主義や共産主義の思想に基づく革命運動は、明確な理想を掲げ、それを実現するために組織的な活動を行うものでした。しかし、現代ではそうした直接的な革命が難しくなったため、国家の組織そのものに狙いを定め、徐々に社会の基盤を変える戦略が採られているように思います。革命と単なる破壊は異なります。国家の枠組みを維持しながら社会を変革するのが革命です。だから、そこには理想があり夢もあったので、一世代前は多くの若者を惹きつけたのです。例えて言えば、考え方を変えるのが革命なのに、身体の組織細胞を攻撃してしまっています。
最近の世論調査によると、20代~39才世代の日本共産党の支持率は1%台です。今回の夫婦子供別姓制度への取り組みを見ても分かりますが、破壊主義者に転落してしまったとさえ思えるようなゲリラ活動が目立つため、とても支持することはできないということでしょう。
家族の絆を尊重することと、個人の自由を拡大することは、本来相反するものではないはずです。だから、「旧姓使用法」(仮称)を国会の責任で通せば良いと思います。自由に旧姓を使えるような社会にすれば、下に示した課題のうち、パスポート、金融機関、納税手続きなどが解決します。(一人っ子同士の結婚による姓の問題は、政治的な問題ではありません。これは当事者間で解決すべき問題なので、これを例にあげること自体が不見識です)。それはともかく、もし社会全体の安定を揺るがす方向で制度改革が進められるのであれば、日本の国家や社会を弱体化させる方向で進んでいくことになるでしょう。
(「東京新聞」)
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