
「日本と韓国が国交正常化に向けた条約を調印してから今年が60年目の節目にあたります」

「ということは、1965年に条約が結ばれたのですね。私は生まれていないので知りませんが、結構大変な条約交渉だったと聞きました」

「第一回の会談は1952年の2月ですが、交渉そのものは1951年から始まっています。その年は、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日米安保が締結された年です」

「要するに、先の大戦で戦った国々との和解を始めた年なんですね」

「だから、足掛け15年かかって何とか結んだ条約が日韓基本条約です」

「どうして、そんなに年数がかかったのですか?」

「一言で言えば、歴史認識です。戦前の併合条約をどう見るかという問題です。合法か、非合法なものなのかで対立します」

「何か、永遠に平行線になりそうな議題ですね」

「実際に、そうなりました。日本側は国際法上合法な条約であったと主張し、韓国側は武力を背景にしたもので正当な条約とは言えないと主張しました」

「どこで折り合いをつけたのですか?」

「お金で折り合いをつけました。無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助での決着となりました。ただ、韓国は賠償金と捉えていますが、日本は経済援助だと主張しています」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「テレ東BIZ」提供です」
経済的苦境と日韓条約締結の背景
1965年当時の韓国の国家予算は約3億5千万ドルでした。それに対して、日本が無償・有償あわせて提供した経済協力金5億ドルは、国家予算の1.4倍に相当する巨額なものでした。韓国が日本との間で最終的に条約締結に踏み切った背景には、当時の厳しい経済状況が大きく影響していたと考えられます。
1950年に始まった朝鮮戦争では、韓国の国土の多くが戦場となり、深刻な被害を受けました。復興には莫大な資金と時間を要する状況に置かれていたのです。さらに、当時の北朝鮮は、日本統治時代に築かれた水力発電などのインフラを活用し、ソ連型の計画経済を導入して工業化を進めていました。そのため、経済力において韓国は北朝鮮に後れを取っていたのです。
私自身、小学生のころ(1960年代中頃)「韓国は農業国、北朝鮮は工業国」と教えられた記憶があります。韓国政府としては、経済格差が拡大すれば北から再び軍事的脅威が及ぶ可能性があると危機感を抱いていたことでしょう。復興と経済発展を急ぐ必要があり、そのための資金援助を日本との条約交渉の中で求める動機があったのです。こうして、両国が妥協を重ねながら日韓基本条約が締結されたのです。
(「GenSpark AI」)
新政権と日韓関係の行方
2025年6月3日に韓国で大統領選挙が行われ、革新系「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)氏が新たな大統領に選出されました。投票率は79.38%で、過去20年で最高を記録しました。これは保守・革新の主要候補の支持率が拮抗し、激戦となったことが影響していると考えられます。
李氏は過去に北朝鮮寄りの言動をとってきた経緯があり、文在寅政権期のように日韓関係が再び悪化するのではないかという懸念も一部にはあります。たとえば、文氏は金正恩総書記と手をつないで軍事境界線を越えるなど、北朝鮮との融和姿勢をアピールしていました。その結果、日韓関係は「過去最悪」と評される状態にまで冷え込んだのです。
しかし李氏は、大統領就任に際して日本を「重要なパートナー」と明言し、従来の主張を抑えつつ国益を優先する姿勢を見せています。そのため、極端な対立には至らず、一定のバランスを保った外交を展開していくものと予想されます。北朝鮮に対しても積極的な接近や対立的な姿勢は見せず、抑制的に対応する可能性が高いとみられます。
(「AuDee」)
新たな日韓友好の可能性
現在では、日本と韓国の1人あたりのGDPはほぼ同水準に達しています。この経済的平準化もあり、日本を訪れる韓国人観光客が急増しています。2023年には約695万人だった観光客数は、2024年には881万人にまで伸びました。韓国国内では「済州島より九州の方が安い」といった声も聞かれ、日本旅行が手軽で魅力的な選択肢となっています。観光を通じて、実際の日本に触れたことで、韓国の人々の中にも偏見が薄れた方がいるかもしれません。こうした民間交流の積み重ねは、国家間の真の友好関係の基盤となり得るものです。
古代にさかのぼれば、日本と朝鮮半島は盛んに交流し、人的・文化的な往来がありました。日本語と朝鮮語は、文法構造が似ており、古代人にとっては「方言のようなもの」と捉えられていた節もあります。「帰化人」という言葉にも、当時の人の感覚が込められています。「日本に住んでいた人が、半島に何年か行って、そして帰ってきた人」という意味を込めています。その位交流があったということです。
このような自然な交流関係を断ち切ったのが、明治の藩閥政府でした。欧米には岩倉使節団を派遣して友好関係を築く一方で、朝鮮には軍艦を派遣し、1875年の江華島事件で軍事的な圧力を加えました。その後の日清戦争・日露戦争を経て、1910年には朝鮮を併合するに至ります。こうした歴史の出発点に誤りがあったのではないか。今こそその歴史認識を再検討し、未来志向の関係構築に活かすべき時代が来ているのではないでしょうか。
(「PR TIMES」)
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