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法科大学院 誕生から20年 —— 様々な「計算違い」が発生  / 日本は中央集権体制が続く限り、この種の失敗が続く 

「法科大学院というのを設置して20年になります。その20年を振り返ると、日本の行政の問題点が見えてきます」

女性

「かつては司法試験一発ですべてが決まっていたのですよね。それで良いような気がしますが、何故そういう大学院をつくろうと考えたのですか?」

「レベルを維持し、かつ法曹人口を増やしたい、というところから出てきたものです」

女性

「司法試験は、公認会計士と並んで超難関国家試験と言われていましたが、その合格者を増やすということは考えなかったのでしょうか?」

「それをすると、レベルを維持できないと考えたようです」

女性

「超難関を難関にして、その後のフォロー次第でレベルを維持できると思いますけど……」

「ペーパー試験至上主義みたいなものが日本には伝統的にあり、試験の結果ですべてを判断したいという考え方が根強かったと思われます」

女性

「それで出てきたのが法科大学院ということですね」

「政府の司法制度改革審議会が2001年に法科大学院の構想を発表します。年間3千人の合格者を出すという目標を立てます」

女性

「当時は年間の合格者は何人だったのですか?」

「およそ千人です。それを3倍にしようというのが当時の目標です」

女性

「その目標は達したのですか?」

「いえ、一度も。現在は2千人位で推移しています」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「東大大学院法学政治学研究科」提供です」

 様々な「計算違い」が発生—— 法科大学院

法科大学院を設置して20年になります。『朝日』は「誤算の20年」と報じました(2025.1.10日付)。行政が中央集権的に一つの理念なり、目標を掲げて制度設計をして現実にスタートさせても、結局は、様々な「計算違い」が発生するということです。

法科大学院は大学の法学部を卒業した人だけでなく、他の学部を卒業した人も入学できますし、社会人も可としたのです。広く門戸を開いて、多様な人材を集めようとしたところは評価できると思います。そして、法学部出身者については2年、法学未修者については3年という教育課程を用意します。

法学未修者でも3年勉強すれば、法曹資格を取ることが出来る。可能性があることイコール確定ではないのですが、人間は自分に甘い動物です。法学未修者が多く大学院入学を希望するようになります。2004年には、大学院入学者の約6割が法学未修者でした。こうなってくると、高校や大学での進路指導はどうなっているのかと思ってしまいます。目標の1つであった、「質」と「量」は確保できたのかということですが、年間2千人位の合格者に留まっています。大騒ぎをして全国で74の法科大学院をつくったのですが、その割には合格者を増やすことができなかったということです。要するに、大学院での講義の内容や指導をそれぞれの大学に任せてしまい、求めていたレベルの人材を輩出できなかったのです。

(「弁護士ドットコム」)

 地域間格差是正という目的も達成できず

2001年次の法曹人口が2.2万人、その時の民事・行政訴訟の数が約310万件です。法曹人口の中には、裁判官、検察官も入っていますので、仮に弁護士が2万人として訴訟の数で割ると、1人当たり150件となり、かなり多い数となります。1人当たりの件数を減らすためには、合格者を増やすしかない。増やしながらも、質を保持し、なおかつ地域間格差是正も成し遂げたい。それらを一挙に解決するために法科大学院構想が出てきたと思われます。

そんなこともあって、全国(24都道府県)で74の法科大学院が法学部のある大学に設置されます。ただ、合格実績が上がらなければ淘汰されます。ある意味、自然の法則です。その結果、現在は34まで減ってしまいました。その内訳を見ますと、東京に14もある一方、九州に1、四国は0です。首都圏を頂点とする偏差値ランキングが、そのまま反映された状況となっています。

こういった地域間格差について、どう考えるのでしょうか。何もしなければ、四国地方は人口に見合った弁護士を確保できなくなります。現在、地域医療をどうするかという問題がありますが、問題の構造は同じです。彼らも生活や収入のことを考えれば、首都圏で勝負したいと普通は思います。国がシステム的に何の手当てもしなければ、医療や法曹サービスが偏在する状況が今後さらに拡大するような事態となります。

(「文部科学省」)

 中央集権制が続く限り、この種の失敗が続く

『朝日』は「誤算」と遠慮がちに書いていますが、完全な失敗です。その根本原因は、中央集権制にあります。日本が今後も現在の中央集権制を維持するならば、このような「誤爆」をこれからも繰り返すことになります。日本人は心が温かい人が多いため、誰も何も言いませんが、そろそろ各自が声を上げる時期かと思っています。

文科省の「ゆとり教育」も完全な失敗でした。1990年代に提起され、何の総括もされないまま、ひっそりとその看板を下げましたが、失敗の根本原因は、中央集権制にあります中央集権制というのは、例えて言うと、特急電車の運転席に座って物事を考えているようなものです。周りの景色は見えず、前の目標が一つの点になっている状態です。それに向かって全速力で走ろうとします。正しい考えなど出てくる訳がありません。

法科大学院協会元理事長の大貫裕之(中央大学教授)氏のコメントが紹介されています――「社会のニーズと弁護士の仕事を、うまく結びつけられなかった。組織的に社会の隅々に弁護士を送り込む仕組みを、制度開始前に整えておくべきだった」(『朝日』2025.1.10日付)。運転席から降りると、このように冷静な判断が出来るようになるのです。

(「鉄道コム」)

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