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大日本帝国憲法に対する内外の評判 ―― 検定歴史教科書に見られる誤り 

「新年おめでとうございます」

女性

「月並みですが、今年もよろしくお願いします。初詣は済ませたのですか?」

「私にとっては恒例ですが、靖国神社で挨拶をして、先程地元の神社に参拝して帰って来ました。靖国の拝殿には明治天皇の御製が掲げられていました。後で紹介します」

女性

「天気が良くて、良かったですね」

「日本海側は大雪の所もあり大変みたいですが、東京は風もなく、陽が出ていたので有難かったです」

女性

「今年は冬季オリンピックの年ですね」

「そのオリンピックが中国開催ということで、何か運命的なものを感じます」

女性

「日本は外交的ボイコットをしたのですよね」

「明確に宣言をしていないと思います。閣僚の派遣を見送るので、事実上の外交的ボイコットというような言い方ですね」

女性

「米中のどちらにも顔を立てようとしているのが分かります。ただ、外交面については全体的に自信をもって対応して欲しいと思っています。特に、近隣諸国に対して……。どうして、いつも腰を引いてしまうような対応をするのですか?」

「何故でしょうか。政治家が日本の歴史をきちんと学んでいないからではないかと思っています。様々な問題は、歴史的に考えれば解決が付きます。それが分かっていないので、あちらから何か言われるたびに動揺している感じを受けます」

女性

「あと、マスコミの問題があるのではないでしょうか?」

「マスコミの中に、冷戦構造の時代の感覚のまま記事を書いている人がいます。そういう方は、ジャーナリストの役割は政府の暴走を止めること、だから批判から始めるのが当たり前と思っている人もいます」

女性

「教科書の問題もあるのではないでしょうか。普通に学んでいると、反体制派に行き着くとまでいわれています。誰もが、必ず教科書は読みますからね」

「その教科書ですが、教科書検定不合格処分となった自由社が国を相手取って損害賠償請求訴訟を東京地裁に昨年の9月に起こしています」

女性

「そうなんですか。ほとんど、どのマスコミも取り上げていないと思いますけど……」

「知らない人が多いと思います。文科行政には結構ヤミの部分がありますからね。ただ、そういった訴訟が出たので、改めて本当に検定制度が必要なのかということを考える機会にすれば良いと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 「あらたまのとしを迎へて萬民  ひとつ心に國いはふらし」

明治23年の明治天皇の御製です。明治23年は議会政治が始まった年です。国民や国への思いと、心を一つにして欲しいという願いが込められています。明治天皇を独裁者であったかのようなイメージを持っている方がいるかもしれません。日本の教科書(中学校)の書き方の問題があると思っています。

(「週刊東洋経済プラスー東洋経済オンライン」)

 検定歴史教科書に見られる誤り

山川出版(検定本)

「1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布された。オスマン帝国でも1876年に憲法が制定されていたが、2年後に停止されたため、日本は欧米諸国以外で近代的な憲法を持つ事実上最初の国となった。 (→ 回りくどい)

 大日本帝国憲法では、天皇が元首として国家を統治すると定められた(天皇主権)また、戦争の開始と終了、条約の締結、陸軍と海軍の編制・作戦・指揮などが、天皇の権限として明記された。その上で立法は帝国議会、行政は内閣、司法は裁判所と、三権分立の仕組みを採り、それぞれの機関が天皇を補佐することとされた。……」

(「Ameba」)

自由社(検定不合格本)

「1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。この日は、前夜からの雪で東京市中が一面の銀世界になりましたが、祝砲がとどろき、山車が練り歩き、仮装行列がくり出して、祝賀行事一色となりました。

大日本帝国憲法は、まず天皇が元首として日本を統治すると定めました。その上で、実際の政治は、各大臣の輔弼(助言)に基づいて行うものとされ、天皇に政治的責任を負わせないこともうたわれました(君主無答責)。……」

自由社の教科書が検定不合格になっていますが、書いてある内容は、きわめて正確です山川の教科書は「天皇主権」とありますが、これは間違いです。どの出版社も当たり前のようにこの言葉を使っていますが、明治憲法は「天皇主権」という言葉を使っていません

そもそも主権という言葉は、階級国家観に立った上で、国民と統治者が対立した場合はどちらの意見を尊重すべきかという考えに基づく概念です。日本は伝統的に家族主義的国家観です。日本という大家族の家長が天皇という捉え方ですから、そもそも根本的な対立がないだろうというので主権という概念を使っていないのです。

さらに、権威と権力・権限を分離するというシステムを天武朝以来採用していますので、それは明治になっても同じです。権力を時の為政者に委任をして、現実政治を任せるということを行ってきました。奈良・平安時代は有力貴族に、鎌倉以降は有力な武士政権に委任をしたのです。江戸の15代将軍慶喜がその政権を朝廷に返したので(大政奉還)、今度はその政権を各大臣に分担させたのです。それは憲法を読めば分かることです。第55条に「国務各大臣は天皇を輔弼してその責に任ずとあります。これが根拠条文となります。従って、山川の「天皇の権限として明記された」という記述も訂正が必要です。

 大日本帝国憲法に対する内外の評判

アジアで最初の成文憲法が制定されたので、そのことに対して当然国内外から多くの反応があったはずです。教科書の多くは、それを全くと言って良いほど伝えていません。その代わりにフランス人ビゴーの風刺画を載せています。

(「thisismedia-ThisisGallery」)

なぜ、反応を載せていないのか。評判が良かったからです。民権派憲法学者の高田早苗は「余は大日本帝国憲法を良憲法と思うなり」(伊藤哲夫『明治憲法の真実』致知出版社2013年/176ページ)と言っていますし、当時の急進的な民党の論客、今で言う野党の幹事長クラスの人だった犬養毅は「今や憲法制定、実に東洋万邦生民以来,未だかつて有らざる所、而して我邦永く之が儀表となり、……」(同上/176-177)とあり、彼は聖徳太子の遺志も受け継がれたと言っています。

日本は各国に憲法を翻訳した上で配信、外国の評判も良かったのです。そのことを唯一書いているのが自由社の教科書です――「イギリスの新聞は『東洋の地で、周到な準備の末に、議会制憲法が成立したのは何か夢のような話だ。これは偉大な試みだ』と書きました。イギリスのある学者は、日本の憲法が古来の歴史と習慣をもとにした穏健な立場でつくられていることがもっとも賛成できる点である、と述べました。ドイツのある法律家は、議会を両院に分け、衆議院のほかに貴族院を設けた知恵を評価しました。……」

イギリスはこの10数年後に日本と対等の同盟を結びます。勿論、アジアの中では最初です。王室があり、民主政治の伝統国であり、プライドも高い国です。そのイギリスが日本と同盟関係を結んだ背景には、日本の皇室の存在、さらには憲法の内容もさることながら議会政治に向けての努力を評価してくれていたことは確かです。天皇主権の独裁政権が誕生し、それを規定する憲法が作られていれば、イギリスは日本とは同盟を組まなかったでしょう。

外国の反応は、そのように物事を客観的かつ正確に知るために必要なこともあるのです。

(「livedoor」)

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