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「財務省という国家」―― 官僚制が政治を呑み込む構造  / 明治以来の官僚主導国家と試験制度による支配の実像

女性

「今の日本をどう見れば、良いのでしょうか? 」

「一言で言えば、議会制民主主義の皮をかぶった官僚的中央集権国家です」

女性

「議会制民主主義の国ではなく、仮面をかぶっているというオチがついているということですね」

「その仮面がなかなか見えないのは、何故だと思いますか?」

女性

「えっ、何故でしょうか? 考えたこともありません」

「簡単に言えば、先入観のなせる業です。教育の効果もあるとは思いますが……」

女性

「先入観ですか、要するに思い込みですね」

「イギリスの哲学者のベーコンはイドラ(幻影・先入観)という言葉で表現したのですが、物事を正しく見るためにはイドラを取り除かなければいけないと言っています」

女性

「私は思い込みが強い方だと自分でも思うのですが、そういった思い込みはどうして発生するのでしょうか?」

「突き詰めて考えようとしないからです。人の言っていることを安易にそのまま信じるクセが付いているからです」

女性

「そういうのも、一種のクセなんですか?」

「一種の思考パターンのようなものですから、「クセ」と表現して良いと思います。一般的に信じられている社会常識的なものを時には疑ってみることが大事だと思います」

女性

「ここからが本論です ↓表紙写真は「松下幸之助.com」提供です」

 「首のない鶏」としての日本――財務省支配の原型

大村大次郎氏の『財務省解体マニュアル』(かや書房、2025年8月刊)は、権力を握る財務省の実態に迫った書として注目を集めています。著者は元国税調査官であり、現場の体験をもとにしたリアルな分析が説得力を持っています。氏は、財務省に異常なまでに権力が集中している現状を告発しています。

この問題は、外国人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンが『日本権力の構造』の中で指摘した「首のない鶏」状態に通じます。政治の責任の所在がどこにあるのか分からず、キャリア官僚・政権政党・財界が「互いの均衡を保ちながら権力を維持しているものの、最終的な責任主体が存在しない」(同上)という構造です。まさに「与党・官僚内閣制」とも言うべき、日本特有の政治形態がそこにあります

歴史を遡ると、この「首のない鶏」の原型は明治維新期に作られました権力を握った藩閥勢力は、まず官僚組織の整備に着手します。大蔵省は1869(明治2)年、文部省は1871年、陸軍省・海軍省は1872年、内務省は1873年に設置され、内閣制度(1885年)や帝国憲法(1889年)よりも早い時期に整えられました。つまり、憲法や議会よりも先に官僚制度が国家運営の中枢に据えられたのです。その体制が戦後も形を変えて続き、政権政党とキャリア官僚の癒着が「55年体制」期に固定化しました。

(「魚水屋」)

 立法と行政の癒着――「与党事前審査システム」という歪み

三権分立の原則からすれば、立法と行政の間には本来、緊張関係がなければなりません。議員や政党と、行政を担う官僚とは独立した主体であるべきです。議院内閣制の本家本元のイギリスでは与党議員と官僚機構の接触が原則として禁じられています。しかし日本では、予算編成のあらゆる段階に与党が介入する「与党事前審査システム」(清水真人『財務省と政治』)が存在します。これは三権分立の趣旨から明らかに逸脱した「日本特有の制度」なのです。

こういった実態について、本来ならマスコミが批判的に報道すべきですが、彼らも官僚制国家に取り込まれているというか、財務省の睨みの前にペンを執ることが出来なくなっているのです。戦前の「陸軍省支配」が、戦後は「財務省支配」に置き換わったかのようです。

大村氏は著書で「朝日新聞が財務省の広告塔になる」という項目を設けてその経緯について書いています。朝日新聞は1988年には消費税導入に明確に反対していましたが、2012年を境に賛成に転じました。その背景には、2008年に発覚した約4億円規模の脱税事件があると大村氏は見ています。起訴基準を超える金額であったにもかかわらず、朝日新聞の代表者が起訴されなかった点を考えると、裏取引があった可能性を否定できません。もしそれが事実であれば、報道機関の「第四の権力」としての独立性がすでに失われていることを意味します。

(「講談社」)

  「試験による貴族」――キャリア官僚制度の構造的差別

財務省をはじめとする官僚機構の問題は、制度的に「特権階級」を生み出している点にあります。日本では、国家公務員総合職試験(旧上級試験)に合格した者がキャリア官僚として採用され、その他の職員はノンキャリアとして区別されます。ノンキャリア職員はどれほど能力があっても、原則として昇進の道は閉ざされています。いわば「1軍と2軍を最初から固定する」ような制度です。

総合職に合格した者は各省庁に配属されますが、基本的に省庁間の異動はありません。点数上位者が財務省や外務省などの花形省庁を希望し、配属される傾向があります。キャリア官僚は国家公務員全体のわずか1%にすぎませんが、試験一発で生涯の地位・給与・天下り先がほぼ保障される構造は、憲法14条の平等原則に反しているといっても過言ではありません

また、「天下り」はその人の本来の実力による再就職ではなく、省庁の影響力によって外部企業や団体に職を得る仕組みであり、明らかに腐敗の温床です。中国ならば汚職官僚として処罰される事案でも、日本では「慣行」として容認され、批判の声すら小さくなっています。財務官僚の多くが複数企業の社外取締役や外郭団体を渡り歩き、結果的に生涯で10億円を超える報酬を得ることもあるといわれています。試験によって選ばれた「官僚貴族」が、民主主義の上に君臨しているのです。この現状をまずは直視して欲しいと思います。その上で、今回の自民と維新の連立をどう見るか、次回のブログで発信したいと思います

(「X」)

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