「アメリカの軍事力評価機関(GFP)が先月各国の軍事力を発表しました。韓国は5位、北朝鮮は36位、ちなみに日本は7位です」
「北朝鮮はGDPが低い割には、軍事力を持っているということですね」
「経済力と軍事力は大体は比例するのですが、かの国の場合は、軍事優先国家ですからね」
「前回、不気味なことをおっしゃっていましたよね。私も気になって情報を集めてみたのですが、ワシントンポスト紙が戦争へ決断したみたいなことを論評しているのですよ」
「かつては国連が一つの歯止めになっていましたが、ロシアのウクライナ侵攻、そしてイスラエルのガザ侵攻と続いて、何か理由があれば武力を使っても構わないみたいな雰囲気が現在はありますからね」
「最近は、そのロシアとの軍事的な結びつきが言われていますよね」
「ロシアからすれば、世界のあちこちで紛争が起きた方が、変に注目されなくて良いと思っているかもしれませんね」
「裏から煽っているということは、ないでしょうね」
「弾薬やミサイルが足りないと言って北朝鮮から買っている立場なので、もう少し待って欲しいと思っていると思います」
「それに向けて準備している段階ということですか?」
「様々な種類の巡航ミサイルを開発していますし、その実験も着々と行っています。防衛のための核は理屈が成り立ちますが、巡航ミサイルは攻撃を想定しているということです」
「その巡航ミサイルも大型という話ですよね」
「空母への攻撃を考えているのかもしれません」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「プレジデントオンライン」提供です」
戦争準備を本気で行っている兆候あり
北朝鮮は今まで中国にとっての「緩衝帯」としての役割を果たすために、軍事的には孤立主義を貫いてきたと思います。中国から見れば、韓国と日本に米軍基地がありますので、北朝鮮が間にあることは軍事的に重要です。
ただあくまでも「緩衝帯」としての役割を果たしてくれれば良いのであって、核武装をするとか、必要以上の攻撃力・軍事力を持つ必要はないというのが中国の考えだったと思います。そういった中国の方針に対して不満がありつつも、渋々従いつつ、密かに核開発を行ってきたというのが今までの北朝鮮だったのです。
その転機がロシアによってもたらされました。ロシアのウクライナ侵攻が始まってもうすぐ2年となります。弾薬、ミサイルの供給を通して、ロシアとの軍事的結びつきが強くなったのです。軍事技術面での協力も得られる見通しとのこと。中国とロシアの関係も現在は良好ですので、そういった2か国のやりとりを、見て見ぬふりをしているのだと思います。
(「TBS NEWS DIG-TBSテレビ」)
経済的な行き詰まりを一気に打開する
北朝鮮はコロナ禍の中、2020年に国境を封鎖して、物資の輸入を断ち切りました。コロナ感染ということもありますが、本当の狙いは国民の心を揺すぶるような中国や韓国の文化をはじめ西側文化の流入阻止にあったと思います。
ただ、国境を封鎖すれば外貨収入がなくなってしまいますので、その不足分を埋め合わせるために労働者を中国の縫製工場に派遣していたのです。15か所の縫製工場に派遣した労働者は数千人。その彼らへの賃金はすべて政府関係者に支払われ、そこから国が中間マージンを取って残りを労働者に払っていたようです。ところが今回その賃金が全く支払われなかったそうです。それに怒った彼らたちがストライキ、さらには暴動となり、少なくとも1人の政府関係者が死亡し、3人が重傷を負ったというニュースが飛び込んできました。
派遣された労働者は1日14~15時間働いていたそうです。その賃金をすべて搾取しようとしたので、怒りの暴動になったようですが、本国はそのくらい搾取しなければならない経済状態ということです。食料事情が悪く、経済状態が悪ければ、その批判の矛先は指導者に向けられます。ただ、それは何としても避けなければいけない、その思いが外に敵をつくり、すべての原因をその敵のせいにする。これが一番手っ取り早い方法なのです。
(「中央日報」)
北朝鮮賛美思想―—チュチェ思想とは何か
国家を一つにまとめるためには、理念なり思想が必要です。北朝鮮には、そういった役割を担う思想として、チュチェ思想というものがあります。チュチェというのは、主体の意味です。北朝鮮は国際共産主義運動の「間(はざま)」、つまりスターリニズムと毛沢東主義の影響を受けてきた国ですが、その両者に与(くみ)しないという考えであり、決意なのです。
要するに、独自路線を歩むという意味のチュチェです。その内容について、4つのスローガンを掲げています。①思想における主体 ②政治における自主 ③経済における自立 ④国防における自衛 です。
チュチェ思想研究全国セミナーが昨年、沖縄県で開催されています。セミナーには、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長をはじめ、各地のチュチェ思想研究者ら130余人が参加したそうです。その数の多さに少し驚きましたが、事務局長の尾上氏によれば「民衆が主人として生きる自主の時代の哲学」と言っています。「主人として生きる」ためには、国家が民衆に対してどのようなスタンスを取るかが問題です。自主的な考えを許さないような国では、「主人として生きる」ことは不可能ですし、すべては空念仏になるでしょう。
(「www.amazon.co.jp」)
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